銀しゃり一夜譚

 最初は羊皮紙だった冒険者章が銀に変わってから、どれくらい経ったか。

 いつもの癖で左のポーチを漁ろうとして、左肩がぴくりと動く。———そうだ、俺の左肩はんだった。俺は冒険者章を見る気も失せて、店内を見渡した。


 店は貴族にこの前連れてかれた店と比べると格段に狭い。ただ、演劇みたいに調理場と周囲を照らすいくつかのライトだけで、十分すぎるくらいに『イイ店』なんだなってのが分かる。上品な木のカウンターに、グラスの影。これだけで絵画みたいだ。


 ――薄暗い店は辛気臭ぇ感じがするが、この店は心地良い薄暗さだ。暗さですら上品ってもんが在んだなぁ、ってことを最近知った。



「すまない。待たせてしまっただろうか」


 後ろからガラガラと扉を開けて、いつも通りの堅っ苦しい感じでアイツが入ってきた。


「いいよいいよ、どうせ今は俺は暇なんだ」

「そう言ってもらえるとありがたい」


 アイツは上等なサーコートを小粋に着こなしながら、俺の隣に腰掛けた。

 昔っから、何やらせたってサマになる。あれで幼馴染の女房一筋ッてんだから罪深い男だ。


「話には聞いていたが、改めて見ると痛ましいな。治療の目処めどは立っているのか?」

「当たり前だ。俺は仮にも銀等級の冒険者だぞ」

 俺の左腕だった場所を見ながら眉をひそめた戦友の顔が見てられなくて、少しだけ強がった。

「・・・そうだな。お前の実力は、私もよく知っているとも」

「それに、せっかくこんなイイ店に連れてきてもらったんだ。飯食う前から辛気臭ぇのはいただけねえよ」

「そうだな。この店の味は、私が保証しよう」


 そう言うのを待っていたかのように、木の板に乗った寿司スシが出てきた。

「旬彩握り十貫・マツです」

「有難うございます。食べるのには不自由ないか?一応、片手で食べられるものを選んだつもりだが」

「重力系魔法の応用で、たいていは何とかなる」

「そうか」


 そう何気なく言いながら、俺の分の小皿にも醤油を注いでいく。

 ―――こういう気遣いができるやつだから、出世したんだろうな。


 目の前の寿司スシは彩りに満ちていた。どれもコメの上に切り身、そして少しの薬味が乗っているだけなのに。

 赤、橙、白、銀。その隙間を埋めるように薬味の緑、黄色。昔、勇者パーティゆかりの港町で物珍しさに寿司スシを食ってみたことがあったが、その時とは比べ物にならないのがもう伝わってくる。

 

 となりを見ると、薄い銀の寿司を手に取って醤油をつけたところだった。俺もそれをマネて、薄い銀の寿司を貴重品のように手に取った。身が醤油をわずかにねながら照り返す。


 一貫を一口に入れると、口の中で上品な脂が広がる。噛むほど出てくるコメと魚の甘味が、酢の味と醤油のキレと一体になって一つの料理として完成した。


 長年酒場の麦酒エールと干し肉に飼いならされてきた俺の舌が驚愕する。こんな繊細な美味いもんがあったなんて。最低限お偉いさんの会食やら依頼の成功祝いやらで舌は肥やしてきたつもりだったが、また耕し足りないらしい。


 目の前でひと際輝く、桃色の寿司を手に取る。身を横断するように何本もサシが入り、その間にも葉脈のように脂が入っている。俺はゴクリと喉を鳴らす。体が資本の冒険者の中じゃあ、いくつになっても脂っこいものが食えるのが一流の証だ。

 

 小皿にひと擦りしてやると、さっきの身にも増して醤油を弾く。赤紫のしずくを滴らせる寿司を一息に頬張ると、ガツン、とうまみが口いっぱいに広がる。

 爆発したうまみは甘味すら感じるもので、口の中で溶けて瞬く間になくなってしまう。後に残る脂は思ったよりずっとすっきりで、グラスの水一杯で清らかに消えた。


「・・・相変わらずいい店を知ってるな」

「特別な客や友人を招くときに必要になるからな。『異世界横丁』の店は、いつも空いているわけではないから困ることもあるが。こういうときはこの店が一番いい」

「そうかよ」


 しばらく、沈黙が続いた。

 それは俺たちの口が寿司を味わうのに忙しかったから、というのもあるし、アイツが俺が話したいことがあるのを察してじっと待っていたのもある。


 俺は意を決して、口元を拭うアイツに声をかけた。

「・・・この腕、治そうと思ってな。聖天ギルドに行って予約を取ってきたんだが・・・とんでもない額だった。ここ1年の儲けがまるまる吹っ飛ぶくらいだ」

 冒険者の活動期間は短い。『一人前の冒険者は一年で農民の四倍稼ぐ』と言われるが、それはほとんどそのまま平均活動期間に反比例する。

「どうせ天涯孤独の身だ。これを治したあとどうしようってな。・・・この年にもなると、考えちまうのよ」


 アイツは水を一口飲んで、その蒼い眼でこっちを真っすぐ見つめる。

「そうか。確かに・・・厳しい話だな。」

 俺の真っ黒な髪と正反対の白銀の髪。その隙間で、駆け出しの五年で同じ夢を見た瞳が静かに揺れる。


「白銀等級を諦めた俺が言ったら、お前は笑うかもしれないが・・・。どう進んだとしても。お前自身の、後悔のないようにすべきだと、俺は思う」


「・・・いつの話してんだ。銀等級までのし上がって、今はメルベン商会でお抱えだろ。俺なんかより、よっぽど大したもんだ」

「そうか。そう、かもな」

「ああ。あの頃の俺らに聞かせたら、おったまげるだろうよ。

 ―――話が辛気臭いとたまらねぇな。すまねぇ、酒はあるか」


 白い帽子を被った店主は振り返ると、「ここにあるのは出せます」と言った。見慣れない瓶だ。俺が考えていると、

「では、お勧めをお願いします。できれば飲みやすいものを、二杯ほど」

 とアイツが気を利かせてくれた。


「悪ぃな」、と一言口にすると、

「いや、私も懐かしい顔を見て一杯呑みたかったところだ。この後商会に顔を出さなければいけないが・・・。まあ、治癒魔法があれば一杯くらいいけるだろう」

 と悪い顔で笑った。


 この顔を見るのも、ずいぶん久しぶりだ。星空の下、保存食を齧りながら、あのゴブリンの巣穴は燃やしてやろう、と作戦会議したあの日が瞼の裏によみがえった。



「冒険者辞めたら、こうしてお前とか・・・リースとか、ベッサムとか。アイツらと会う機会もなくなっちまうのかなァ」

 俺は呟いた。


「あまり冒険者上がりを甘く見るなよ」

 その呟きに隣から帰ってきたのは、鋭く優しい声だった。

「お前が戦場にいれば心強い。もしまた私たち四人が揃ったら、翼竜ワイバーンの群れにだって勝てるだろう。

 ―――でもな。こうして一緒に酒が呑めるだけで、俺は十分だ」


 店主がそっと、二杯の酒を差し出してくる。なるほど紹介が気の利く男なら、この店もその類ということか。取引にも重用するわけだ。


乾杯カンパイ


 俺たちはそっと言葉を合わせて、そして酒を口にした。

 ほとんど無色で透き通ったこの酒は飲んだ覚えがなかったが、寿司を食った口に不思議と性に合った。酸味も苦みも薄く、ただ淡い甘みとキリっとした感覚が喉を通り抜けて、最後にふわりと香りを残し、ほのかに漂う。



 しばらく静寂が流れた。不思議と、それを苦には思わなかった。ギラついていた昔は、俺もアイツもこんな時間があったら話すなり食うなりしただろうが・・・・。


 俺たちも、ただ隣に座って酒を呑む歳になったのだろう。


 気づけば、夕刻の鐘が鳴った。

「すまない。私は行かなければ。―――では、勘定はいつものところに。個人名義でお願いします。お前は、もう少しゆっくりしていくといい」


 アイツも立ち去って、目の前には酒の残ったグラスだけが残った。



「すまねぇ。おすすめのヤツをもらえるか」

 店主は静かに頷いて・・・口を開いた。


「お兄さん、欠損を治すのがなぜ高いか知ってますか」

 俺は面食らった。人の神経質になりそうな話題に、よりにもよって物静かな店主が突然首を突っ込んできたから。俺は一周回っちまって、「知らねぇ」、と素直に答えた。


「欠損を治す相場はギルド同士の協定で決まっているんです。貴重な能力を持つ人材に相応の待遇を与えるのが一つ。闇医者的な治療の横行を防ぐのも一つ。

 そして―――あまり欠損を安くなおせてしまうと、冒険者たちは取り返しがつかないほど深くに進んでしまうから」


 取り返しのつかないほど深く。

 調査の依頼で、ダンジョンの奥深くで、幻獣の住まう谷で。

 何度も、取り返しのつかないほど深くに進んでしまった冒険者たちを見てきた。自分自身が踏み入れる直前で引き返せたことも、一度や二度ではない。


「つまり、その値段は、命を見つめなおす値段なんですよ。

 ―――あるいは、その機会を得たともいいます。私と同じようにね」


 そう言って木の板に載せられてきたのは、三貫の銀色の寿司だった。

 端は黒く焦げていて、身の上にはきらきらと小さな結晶が散らされていた。


「塩を振って炙ってあります。そのままお召し上がりください」


 最初に食べたとき―――醤油をつけて食べたときのような、大きな衝撃はない。

 ただしみじみと、噛めば噛むほどに、口の中に染み入って旨味が広がった。




 三貫の寿司を食べ終えて、この分を勘定を払わせてくれ、というと、

『うちは一括しかやってないんです』、と人の悪い笑みで返されてしまった。きっとアイツが、事前に何か言い含めておいたのだろう。




「有難う、ご馳走様」


 そう言い残して店を出る。治療は明後日。そのあとは、二週間も慣らせばある程度昔のように戦えるようになるという。



 いまさら、剣を手放そうとは思えなかった。

 たぶん俺は、そういう人間だからだ。きっと俺は、南剣星座サザンクロスのもとに生まれてきたに違いない。



 夜空を見上げる。王都の明かりの奥に煌めく、銀の星。



「俺のやりたいこと・・・か」


 アイツは「育ての親と義兄弟たちに一生分の金を仕送りしてやりたい」と言って冒険者になり、そして今立派に商会でやっていっている。業界が違うのに名前が流れてくるぐらいだ、ずいぶんとやり手なんだろう。


 右手に、思わず力がこもった。作った握りこぶしを開いて、もう一度握る。


 ―――あの頃は『銀等級や金等級の冒険者になれば』、といつも思っていた。

 確かに、一人でオーガに勝てるようになった。いろいろな魔法が使えるようになった。それで結局、俺は何をしたかったんだっけな。




 出世狙いの依頼はやめよう。


 昔、ゴブリンから助けてやった村があったはずだ。あそこに行って、久々に洞窟の様子を見てこよう。リースの故郷からも錫等級向けの安い依頼が出ていたはずだ。———それに、故郷の様子も見てきたい。故郷のガキに稽古でもつけてやるか。


 それが終わったら―――旅団クランの中で、あるいはいっそ俺も商会の私兵団で教導をやるのもいいかもしれない。



 王都の道を歩く。

 最強の英雄にはなれなくても、せめてカッコ良いオッサン・・・いや、兄サンぐらいにはなりてぇな。


 剣のない軽い背中を目いっぱい伸ばすと、夜空の星が少しだけ近くに見えた。

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