道士と傀儡1
「――じゃあ、
「そういうことになってる。三年前、玄礼の兄は死んだはずなの。でも今、
尾崎が見ているのは鬼市に関わっている猟鬼師のリストだ。部外秘なので、宇岡は見ることができない。管理局の役所の地下、狭い資料室で宇岡は壁に張りつくように立っていた。
「生きてない……?」
「よく見たら分かるよ。瞳孔は開きっぱなしだし触ると冷たくて脈が無い。コート着てるのはそういうのを誤魔化すため」
尾崎は言いながらファイルを閉じ、次のファイルに手を伸ばす。
言われてみれば夕嵐に違和感を覚えたことがあるような気もしたが、やはり、とうに死んだ人のようには思えなかった。
「……でも、兄弟仲が良いんですね。死んでも蘇らせたいって相当っすよ」
「どうだろう」
尾崎は薄く笑った。
「生前、玄礼の兄はあまり外に出てこなかったの。でも一応鬼市に住んでたから、私は何度か会ったことがある。その時の印象と今の夕嵐がだいぶ違うというか――」
言葉を切り、尾崎は声を低めた。
「ほぼ、別人。そもそも殭屍にあれだけ人格が残ってるのも変だけど」
「別人、って……」
その言葉の意味に愕然とする。同時に、兄弟かと訊いた時に夕嵐が曖昧な反応をしたことも思い出した。
「たぶん名前も違ったような気がするんだよね。……まあ、玄礼が自分の兄の死体に何しようが、私には関係無いけど」
尾崎はあっさりと片付け、言葉を失っている宇岡にファイルを開いて見せた。
「――見つけた。
粗い解像度の写真には、鬼市の雑踏の中に佇む品の良さそうな若い女が笑顔で映っている。隠し撮りのようだったが、彼女の視線は真っ直ぐカメラに向いていた。
「大量の妖怪を調教して使役してる。管理局に何度か指導も受けた要注意人物ね。彼女があの取引とどう関わってるのか分からないけど、きな臭い」
「あのビルから一人逃げたかもって話、この人なんですかね」
「分からない。とにかく捕まえて訊いてみないと」
携帯のカメラで開かれたページの写真を撮る。尾崎は写真を確認してからファイルを棚に戻した。
「悪いけど、宇岡くんからその写真、玄礼に送っといて。私のメアドは使いたくないから」
「バレたらヤバいんすか」
「ヤバいよ、クビが飛ぶ。でも宇岡くんならバイトだし、他に色々働けるところあるでしょ?」
「……バレたら尾崎さんの名前出しますからね」
「好きなもの奢ってあげるから勘弁して」
「僕、身代わりかよ……」
せいぜい高いものを奢ってもらおうと、宇岡は苦い顔でメールを送った。
***
冬摩が去ってから残りの五人の招魂も行い、それが終わる頃にはすっかり夜が明けていた。
名前が分からないせいかほとんど招魂は失敗し、かろうじて管理局に通報したらしい女だけは話が通じた。だが彼女は「助けてほしい」と繰り返すばかりで、ろくに話を聞き出せないうちに限界が来た。
疲れたせいか棺に凭れたまま眠り込んでしまった玄礼を見下ろし、夕嵐は途方に暮れた。
「おい、起きろって……今、右腕動かないから運べないんだけど……」
軽く揺すぶったが起きない。無理に起こしたところで不機嫌になるのは目に見えていたので、途中で諦めた。
棺に腰かけてぼんやりとその寝顔を眺め、眼鏡を外してやろうと手を伸ばし、乾いた血で汚れているのに気づいて引っ込めた。
肘まで露わになった自分の腕にはびっしりと黒く呪句が彫り込まれている。血で汚れてよく読めないが、それがどういう意味なのかは知っていた。以前、嫌そうに玄礼が教えてくれたのだ。
――君天に上る無かれ。君此の幽都に下ること無かれ。魂よ、帰り来りて、故居に返れ。
これを死体に彫っていた時、玄礼はどういう気持ちでいたのだろう。天に上らず、冥府に下らず、ただ元の場所へと帰ってこいとひたすら念じて、そうまでして蘇らせようとした兄は出来損ないの傀儡になった。
失敗を悟った時、玄礼は絶望しただろうか。分からない。三年もの間、玄礼は一切兄の話をしようとしなかったからだ。聞けば教えてくれるのかもしれないが、夕嵐もなぜか意地になって訊かなかった。――いや、理由は分かっているかもしれない。
怖かった。この身体に刻まれた呪句は、夕嵐の為のものではない。帰って来てくれと呼ばれているのは夕嵐ではない。それをはっきり告げられるのが恐ろしい。夕嵐は所詮、偽物だ。兄の代わりにはならない。
「……頼むから、まだ見切りはつけるなよ」
呟いて立ち上がった。玄礼はまだ起きない。
日が昇ると徐々に身体が強張って動かしづらくなる。昼中は眠り続け、日没頃に起き上がる。玄礼も基本的に昼夜逆転の生活だから、彼の目に留まらずに動けるのは玄礼が眠ってすぐと起きる前しかなかった。
夕嵐は封じていたトランクに近づき、留め具に手を掛けた。
――溺死した人々。木彫りの人形。潮の臭い。
断片的な情報では正体など分からない。でも、夕嵐は人形に直接触れることができる。この鍾馗人形がなぜ人を殺すのか、なんとなくだが見当はついていた。
それを確かめるべきか、否か。留め具に手を掛けたまま、夕嵐は逡巡した。
その時、不意に電子音が鳴った。
驚いて振り返る。玄礼のそばに放り出してあった携帯電話だ。
勝手に見ると、メールが一件届いていた。知らないアドレスだったが、開くと尾崎からだと分かった。
「呉、冬摩……」
粗い写真の中で笑っている女は、確かにさっきここを襲った女と同じ人間だ。じっとそれを見つめ、ふと冬摩の背後に映っている人に目を留めた。
――見覚えがある。
顔は判然としないが、男だろう。冬摩の方に視線を向けているように見えるが、知り合いだろうか。ぼやけた笑顔はまだ若い。
どこで見たのか思い出せないが、何か胸騒ぎがした。
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