第三十三話 取引される少年
1か月後――
レイは以前と変わらず、酷い有様だった。だが、レイにとってはそれが今の日常。もうこの状態で牢屋に放置されても、痛みは感じない。完全に感覚が麻痺してしまっているのだ。
そして心も、ボロボロだった。
必死に繋ぎとめようとするも、壊され、壊され――
今のレイの心は砂の城。ふとした拍子で全てが崩れ、生きる屍――廃人となってしまってもおかしくはない。
そんな状況で、レイはいつものようにグレイのことを思う。
(お父さんは僕に"生きてくれ"って言った。だから、何としても生きるんだ。生きるんだ。何としても――)
レイは何も映さない暗い瞳で虚空を見つめながら、何度も何度も心の中でその言葉を反芻する。
そこにはまた、別の狂気があった。
コツコツ
すると、牢屋の外から足音が聞こえて来た。
(ああ。朝か。ということは、またあの1日が始まる)
その時は、何も考えない方がいい。
そう思い、レイは思考を閉ざす。
だが、牢屋の鍵を開けたルークが紡いだ言葉は、普段とは違うものだった。
「あの方の使いが、お前を買いに来た。だから、さっさと傷を癒せ」
「はい。分かりました」
いつもとは違う言葉だったが、レイは迷うことなく頷く。
直ぐに頷き、行動しなければ、酷い目に合うからだ。
そして前回――次で殺すと言われている。
「魔力よ。回復の光となりて我を癒せ。
レイは
すると、レイの傷はみるみる内に癒えていき、あっという間に外傷がほぼ完治した。
だが、治っていない箇所もある。主なところで言えば爪だろう。爪は最後に剥がされたのが20日前だったこともあり、徐々に伸びて来てはいるが、それでも
「よし。ついて来い」
「はい。分かりました」
レイは感情のない声で頷くと、のっそりと立ち上がる。そして、頼りない足取りで、ルークの後を歩いた。
ルークはそのまま歩き、ドアを開けると、階段を上る。
「よいしょっと」
ルークは白衣のポケットの中から1本の鍵を取り出すと、鍵穴に差し込む。ここは入る時も、出る時も鍵が必要という少し特殊なドアなのだ。
ガチャリ
その音を聞いた後、ルークがドアを開く。
すると、外から差し込む日の光が、レイの顔を照らした。
1か月振りの太陽。あまりの眩しさに、レイは思わず目を細めると、顔をより下に向ける。
「さてと……取りあえず、お前はこの中に入れ」
ルークはそう言うと、レイの前に大きな革袋を放り投げる。
レイはまた酷い目に遭わない為に――生きる為に頷くと、革袋の中にすっぽりと入る。
ルークはそんなレイを満足そうに見つめると、レイが入った革袋の口を革ひもで結んで、肩に担ぐ。
そして、屋敷をぐるりと回る遠回りのルートを使って、ガータン商会の入り口に向かう。
「ギュンターさん。お待たせしました。持ってきましたよ」
ルークは屋敷の庭にあるベンチで寛ぐ1人の男を見つけ、近づくと、レイが入った革袋を下におろしてから、礼儀正しく挨拶をする。
「ありがとう。光属性魔法を使う奴隷なんて、そうそう手に入らないですからね。我が主も喜ぶことでしょう」
茶色の外套を身に纏う優しげな男は、ルークの挨拶に笑顔で答える。
この男の名はギュンター。とある魔法研究者が送った使いだ。
ギュンターのお手本のような社交辞令に、ルークもにこやかに応える。
「いえいえ。私は教育を施したのみ。見つけたのは他でもないガータン商会長本人ですよ」
「なんと! それは凄いですね。流石はガータン商会長。歴代一位の情報網を持つという噂は、本当のようですね」
そんな何とも平和的な話が、革袋の中で蹲るレイのすぐ横で行われていた。
「おっと。では、名残惜しいですがそろそろ行かなくてはなりません」
「そうですか。ああ、最後のサービスに、馬車へこれを乗せましょう」
そう言って、ルークはレイが入った革袋を抱え持つと、屋敷前に止まる馬車の荷台にそっと置く。
その荷台には他にもさまざまな物が積まれており、そのほぼ全てがガータン商会でギュンターが主からの命を受けて購入したものだ。
「ありがとうございます。では、ガータン商会長にはよろしく言っておいてください」
荷台に革袋を運んだルークに、ギュンターはそう言って頭を下げる。
「分かりました。伝えておきましょう」
「ありがとうございます。では、お元気で」
ギュンターはそう言って御者席に乗り込むと、馬車の周りを囲む4人の護衛と共にノーマン商会を後にした。
そして、そのまま10分かけて門まで辿り着くと、門をくぐり、街の外に出た。
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