ドン・フランシスコ⑤

「オ……オ……⁉」

「ワーン、ツーウ、スリー――」


 口から体液を垂らしながら両膝を着き腹を押さえている宗麟に、私はボクシングのレフリーの真似事を行う。


「な……何の……真似じゃ⁉」

「フォー。ん? ああ、これは数を十個数えるまでに構えられなかったアンタの負けってやつね。さっさとしないと足軽以下に負けちゃうわよー! ファーイブ……」


 カウントを再び数え始める私。

 宗麟は痛みを我慢しながら、足元に落ちた刀へ手を付ける。


 別にカウントがテンになったところで宗麟の負け……って訳ではない。

 これはあくまで私が勝手に決めた事、ただの雰囲気作りだ。

 

 戦う意思があるなら数を十個数えるまで私は待つ。私は出世のために大将首を挙って欲しがる足軽とは違うのだ。


 完膚なきまで、相手の戦う意思が無くなるまで叩きのめす。それがお仕置きというものだろう。


「シーックス、セブンー、エーイ――」

「ま、まだじゃ……。まだ儂は……負けとらん……」


 宗麟はフラフラと足を震わせながらではあるが立ち上がった。

 顔は痛みなのか酸欠なのかはわからないが青ざめている。とてもではないがまともに戦える状態には見えない。


 だが眼だけは死んでいない。宗麟の戦う意思を確認した事で、私はカウントをやめた。


「そうそう、そうこなくっちゃ!」

「随分余裕じゃなラブリーよ……。儂にとどめを刺す好機も見逃しおって。武器も無くこれからどうする気じゃ……?」


「とどめも何も、本気で斬りかかってこない奴を倒してもしょうがないじゃない。バレてないとでも思ったの? あと、次ラブリーって言ったら容赦なくぶっ飛ばす!」

「――――!」


 宗麟は驚きの顔を見せた。

 その通り。宗麟は確かに私を刀で斬りかかってはいるが、決して本気ではなかった。


 殺気がまるで無い。

 最初の一撃も避けられると分かっていたからこそ、わざと中途半端な攻撃にしたのだろう。


 武器を持たない無防備な女子おなごに本気で刃を振る事なんて出来ない。

 それがいかに挑発的な態度をとった愚か者であろうと。


 ――大友宗麟。

 大友家を衰退に導いた暗君と言われてはいるが、キリスト教はすべてをダメにしたわけではない。


 宗麟は民のために育児院や学び舎、日本で初めての病院を豊後に建設する。

 しかも病院の利用は無料で、身分関係なく利用出来るようにしたのだ。


 このような画期的の案は宗麟がキリシタンだからであり、西洋の文化を積極的に取り入れようとした結果でもある。

 そんな慈悲深い漢が無防備の女子を斬り捨てるわけがなかった。


「なんじゃ、気付いておったのか」

「ええ。アンタからは戦う意思はあっても殺気が無いわ。そんな奴にとどめを刺しても、なーんも嬉しくないわ」


 すべてはお見通し。「大した娘だ」宗麟はそう呟くと、再び刀を構える。


「なら尚更愚かよ。絶好の勝機を逃がしおって。もう武器を拾う暇なんぞ与えんぞ!」

「武器? 武器ならもう持ってるわよ」


「何を訳わからん事を言うておる。何も持っておらんではないか」

「私の武器は――コレ! ホラホラ!」


 スラリと細い脚を突き出し、私はこれが武器だと笑いながら指を指す。

 馬鹿にされたと思ったのか、再び宗麟の顔に青筋が立つ。


「……ラブリーよ、ふざけておるのか⁉」

「ふざけてなんかないわよ。信じられないなら試してみる?」


 ここにいる大友家臣の中で私の蹴り技を知っている者は誾千代しかいない。

 別に隠していたつもりはない。宗麟が本気じゃないから、私も遊びに付き合おうと思っただけだ。


 ただ、脚が自分の武器だと宣言した以上は見せないといけないのがマナーってものだろう。

 私はこう見えて生前はアパレルブランドの社長だ。率先垂範そっせんすいはん、私はそうやって部下を育ててきた。学校でも会社でも。


 それが陽徳院ようとくいん 愛華まなか、愛姫という女のやり方なのだ。

 

「そ、宗麟様! 実は話していない事が――」


 遅かった。

 誾千代の言葉を聞く前に、宗麟は既に私に向かって飛び掛かっていた。

 

 待ってました、と私は右足で足元の畳を思いっきり踏みつけた。

 衝撃で足元にあった畳は垂直に立ち上がると、見事に私の姿を覆い隠した。


「なっ⁉」


 斬りかかっていた刀が畳を貫通する。


 必死に引き抜こうとする宗麟。

 だが、勢い余り奥まで刺さった刀は中々引き抜くことが出来ない。


「しっ、しまっ――!」


 気付いた時には宗麟は宙を舞っていた。

 まるで意思を持っているかのように、目の前にあったはずの畳の壁が宗麟を思いっきり吹き飛ばしたのだ。


「ぐへぇぇ――」


 宙を長々と舞った宗麟はザビエルと自身が描かれている襖に突っ込んでしまう。

 襖は衝撃でボロボロとなり、鼻血を出した宗麟はその場で伸びてしまっている。


 畳を生き物のように仕立て上げたのは私だ。

 反対側から思いっきり蹴り飛ばし、畳もろとも宗麟を蹴り飛ばしたのだ。


「だから言ったじゃない。次ラブリーって言ったらぶっ飛ばすって!」


 ――――――――――


「おお! 殿、目が覚め申したか⁉」


 畳にぶっ飛ばされてから数分後、宗麟は道雪などの家臣に囲まれた状態で目を覚ます。

 鼻には濡れた手拭いが当てられ、頭の近くでは誾千代が扇子で風を送っていた。


 ゆっくりと起き上がり鼻を触る。

 血は既に止まっており、周りの状況から自分は私との戦いに敗れたのを悟った。


「……誾千代、儂はどれぐらい寝ておった?」

半刻はんとき(約一時間)も経ってないんじゃないかな。へへ、随分と派手にぶっ飛んだからね殿は」


 主が負けたのにも関わらず、何故か嬉しそうに語る誾千代。

 宗麟は「ふんっ」と鼻で返した。


「ワッハハ! 殿、お怪我は久しゅうございますな!」

「……嫌味か?」


「いやいや、寧ろ清々しい良い顔になり申した!」

「……ふん」


 笑顔の道雪と一度目を合わせるが、宗麟はわざとらしく直ぐに視線を逸らす。

 決して家臣の笑顔を嫌った訳ではない。自分の中で何か過ちを犯していたのではないか、そう思い反射的に目を合わせづらくなってしまったのだ。


 勿論そんな子供っぽい性格なのは皆わかっている。

 そのため周りにいる家臣や小姓達はそれ以上何も言わなかった。


「……それで、あの娘はどこに行ったのじゃ? まさか――⁉」

「ちょっとだけ風に当たって来るってさ! 大丈夫、逃げたりはしてないよ。……いや、殿的には逃げてた方が都合良かったかな?」

 

「馬鹿にしよって。蹴るだけ蹴って帰るのは失礼だと思っただけじゃ。それに誾千代、お前何故あの娘に蹴り技があるのを隠しておった?」


 隠していたわけではない。忘れていたのだ。

 頭を掻きながら舌をチロりと出す誾千代に、宗麟は半眼で冷たい視線を送った。


「まぁよい。いるのであれば即刻呼び戻せ。……褒美を取らす」

「褒美?」


「……同盟の話であろう。宗茂の書状だけでは何とも言えんからのう、娘の言葉も聞きたい」

「ああ、わかったよ! じゃあ父上達、宗麟様を頼んだよ!」


 誾千代は道雪達に宗麟を任せると、風に当たっていた私達の元に走って来た。

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