織田からの使者②
異様な空気が、部屋中を支配する。
光秀の発言にすべての者が固まり、普段ならざわつく場面も、言葉ひとつ漏れない。
「ぷっ――、アハハハハ!」
その中でひとり笑いを堪えられない。お腹を抱え、笑い涙すら流す。
自分が織田になんて、といくら何でも冗談が過ぎると思う愛姫。
「はぁ――お腹痛ぁ……。光秀さんも冗談が上手いのね」
「…………」
光秀はしばらく沈黙する。
空気を読み間違えたのかな、と気まずくはなるものの、光秀から口を開く。
「京での馬揃え……」
「――⁉」
その言葉に一番反応したのは義姫。
この漢、何故その事を知っている。と、言わんばかりに光秀に視線を向ける。
「織田の情報網は天下一品。鼠の鳴き声すら耳を傾けるゆえ」
「へ?」
戦国の世に浅い愛姫ではまだ理解できない。
数か月前に、愛姫と義姫が話した予言について。その話が織田に漏れていたのだ。
「もちろんその武勇も。あの相馬義胤を単騎で退ける勇猛さ、まるで戦場の
「摩利支天? よくわかんないけど、褒めてるのかしら? 何だか照れるわねぇ」
何を呑気な、とほとんどの家臣は愛姫の発言に呆れてしまう。それと同時に、輝宗と政宗、その側近達はこれまでの会話が冗談ではないと悟った。
「光秀殿、愛は儂の正室ぞ。それを知ってる上で引き剥がすと、そう申しておるのか?」
「フフ、引き剝がすなんてとんでもない。お譲り頂きたいのです」
ふたりはお互い睨み合う。
殺意が隠れていない政宗に、冷静な顔を保っていながらも牽制する光秀。
「それとも、信長様の意に反するおつもりか?」
場の空気の悪さに、愛姫の隣にいた小十郎も前に出て口を開く。
「意に反すれば……、織田は伊達を滅ぼさんと攻めまするか⁉」
「それは伊達の返答次第。まぁ、伊達が上様の気分を損ねるなんて事はしないと思いまするが」
光秀の言葉に部屋中の皆が震撼した。
織田は本気なのか、ここまで築いてきた織田との友和とは、ほとんどの家臣達は疑心暗鬼に捕らわれる。
地獄の空気の中、義姫は笑みを零しながら口を開いた。
「……光秀殿。提案なのじゃが、愛姫を織田に譲る代わり、息子政宗も織田の養子にしてもらえんだろうか?」
義姫の言葉に皆驚きの声を上げる。
前代未聞。輝宗の跡継ぎとなっている政宗も、織田に献上すると言っているのだ。
「政宗殿を養子に?」
「……さよう。わらわも政略結婚とはいえ、夫婦仲を切り裂くのはどうも心痛む。ふたりで織田に行くのであれば、そこは保証されよう?」
それには輝宗、
「お義! お前、儂らの子ぞ。政宗は大事な跡継ぎの――!」
「さようでございます、義姫様。若は伊達の次期跡継ぎ。織田に渡すなど笑止千万!」
夫の輝宗と小十郎の反論に、義姫は笑って返す。
「落ち着くのじゃ。織田は今や天下の軍勢。伊達が背伸びしても届かぬ。なら一層
「し、しかし⁉」
「それに跡継ぎには小次郎がおる。兄にも劣らぬ才子ゆえ、伊達の未来はより一層厚くなろう」
政宗派の家臣達は、義姫の言葉に本音を見た。
強引に政宗を伊達から降ろし、次男であり義姫の溺愛している小次郎を当主にする算段なのだと。
だが、その中に母の心を入れるのも上手い。
伊達の安泰。夫婦を引き裂かんと考えた配慮。
醜きといえど、自身がお腹を痛めて産んだ子である。出世の機会があるのであれば、与えてやりたとも思っていたりもする。
「政宗や。お前はどう考える? 織田に行けばその武勇、存分に発揮できよう。狭苦しい奥州ではなく、さらに広い天下を見たいと思わんか?」
「母上……、正気なのですか?」
笑う小次郎派の家臣達。身体を震わせながら、何かを耐えている政宗。
喜び? 怒り?
失望? 興奮?
顔を下げたままで、表情がわからない。
それでもわかるのは、政宗は何かに耐えているということ。彼は苦しんでいるということ。
そう考えれば、起こす行動はひとつだった。
「め、愛姫殿?」
立ち上がり何をするかと思いきや、ヤンキー座りで光秀を眺めている。
表情は満面の笑みであり、メンチを切っているのかよくわからない状況になっていた。当然、困惑する光秀。
「愛姫様⁉ 光秀殿に対して何たる無礼――」
「さっきから
「す、すっとこ⁉」
可愛い、気品のある声から放たれる怒号。小次郎派の家臣達は、愛姫の気合に
「ふふっ、何を言うかと思ったら、織田が私をスカウトなんて」
「す、すかうと?」
聞き慣れない言葉に、困惑する光成。
「渋谷でモデル事務所のスカウト、学校での告白、御曹司からのプレゼント。それに比べればもの凄く刺激的だけど――」
「……?」
「そのお誘い、キッパリお断りするわ!」
笑顔でそう伝える愛姫。
外野は言うまでも騒がしくなる。
そんな雑音に対し、一度シメてやろうか、と心の中でぶちキレる。
「正気で御座いますか、愛姫殿。其方の特別とも言える神通力、摩利支天が如く武勇。天下の織田でその力発揮したいと思わないのですか?」
必死に説得を試みる光秀。
それに答えるかのように、愛姫は姿勢を正し、光秀の誘いに答える。
「『
「義姉上が⁉」
小十郎は片倉家の家訓とも言える言葉を、愛姫に伝えていた事に驚く。
「私の立場上、この言葉が合ってるかわかんないけどさ。私は伊達を離れる気はさらさらないよ」
部屋の外で嬉し涙を流しながら、腕をブンブン振る喜多。
今この瞬間、愛姫の厄介ファンが誕生した瞬間である。
「それに、伊達が天下をゴッソリ頂くってシナリオも面白いと思わない?」
「伊達が……、天下を……⁉」
愛姫の挑発的な発言に、家臣達は開いた口が閉じない。
「本気でおられるか⁉ 伊達が天下など、織田に牙を向けると⁉」
光秀の表情は、真剣そのものに変わる。
織田を愚弄された。そう思ったのだ。
「……光秀さん。紙芝居の内容憶えてる?」
「紙芝居? 下町のですか?」
愛姫は頷く。
昔話である桃太郎をオマージュして作った「人情桃太郎」。
その続きを、紙芝居無しで語る。
「若頭の桃太郎は、仲間にした子分と共に組に乗り込みました。すると、オヤジから意外な言葉が飛び出しました」
「なんと申されたのですか?」
「『桃よ、いくら欲しいんや。悪い事は言わん。そのチャカ降ろしてや』とお金での解決を求めました」
「『オヤジ……、変わっちまったな……。汚れちまったよ、アンタ……』と言い、桃太郎は銃口をオヤジに向けました」
「『本物の人情は金では買えねぇ、最高の宝石だって』と、その言葉を最後に、桃太郎は引き金を引くのでした」
「桃太郎は欲に塗れた組の頭を倒しました。組は再び、人情溢れる兄弟の組織に生まれ変わりました。めでたし、めでたし」
手を合わせて、話を切る。
「その様な物語で御座ったか……」
「フフ、何で私がこの話を子供たちにしていたか、わかる?」
裏切り者、他欲に溺れた者を絶対に許すな。愛姫の不気味な笑みに光秀は戦慄する。
歳いかない町の子達に、この姫は教育を施していた。それも肉体ではなく、心の教育を。
もし、その子らが大きくなり、牙を向けば……。その連鎖が続けば、と光秀は想像する。
「本物の人情は
何やら思い当たる節があるのか、納得した表情を見せる光秀。
「まぁでも、信長に認められたのは気分良いわね。いやぁ、モテる女って辛いわぁ」
髪をかき上げながらそう答える愛姫から、爽やかな風が吹き付ける。そう感じ取った光秀は、愛姫に思わず見とれてしまう。
愛姫の言葉に笑みを見せる政宗。拳を叩き付け、その場に立ち上がる。
「だそうじゃ、光秀殿。愛は竜のたったひとつの逆鱗ゆえ、織田にはやれぬ! 代わりに名馬と白鷹を、今回は自慢の剥製も献上してやるわ!」
そう笑いながら、政宗は酒の場の準備をしろと家臣に伝え、部屋を出る。
勝手な次期当主の振る舞いに惚れ惚れする者、固まってしまう者が出てしまう。
「アイツ……、何が逆鱗だ。ごめんなさい、あの
「ぷっ……、アハハハッ!」
政宗の扱いに、光秀は一本取られてしまう。
先ほどまであった重たい空気は、既に部屋の中には存在しなかった。
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