第2話 人気者の彼と私の気持ち
交際を始めてから、1ヶ月が経った頃だったかな。
私は彼が出場する、サッカーの練習試合を見に行ったんだ。
絶対に見に来てくれと、彼に言われてな。
私もやぶさかでは無かったので、二つ返事で行く事を承諾したのだけど、この時になって私は改めて知ったんだ。彼が如何に人気者であるかを。
選手たちがグラウンドで走る中、離れた所から声援を送る女子の一団がいた。
それはうちの学校の女子達で、学年問わずたくさんの子達が、彼の名前を呼んで応援していたんだ。
ちょっと驚いたよ。確かに彼は顔立ちも人当りも良い。だけどこんなにファンがいるだなんて、流石に思ってなかった。
そして同時に考えたんだ。
彼はこんなにもたくさんの子達に慕われているのに、どうして私に交際を申し込んだのだろうってね。
何、そんなに自分を卑下することないって?
そうは言うが、どう考えても私を選ぶ理由が見つからなかったんだ。
何せ交際を申し込まれるまで、彼とは話したことなんてなかったからな。
いつどうして、私のどこが気に入ったのか、皆目見当もつかなかった。
そうしている間にも、彼は力強いプレーをして、ファンの子達は声援を送っていく。
何となく彼女達の側に居づらくて、少し離れた所で試合の様子を見る事にしたのだが、正直言うと、実は私はサッカーにあまり詳しくなかったのだ。
どのポジションが人気があるとか全く分からず、ただそれでも何度もシュートを繰り返す彼がチームの要であることはさすがに分かった。
ファンがつくだけあって、どうやら彼はチームの要となる選手のようだ。
だけど、ちょっとした出来事があってな。
試合は後半戦に入って、それも半分が過ぎ、彼のチームが3点リードしていた。
サッカーに詳しくない私から見ても、勝利は揺るぎないことはさすがに分かったよ。
だけどやはり、最後まで気を抜くべきではないだろう。それがスポーツというものであり、対戦相手に対する礼儀でもある。そうだろう。
しかしプレー中だというのに、不意に彼が不可解な動きをしたんだ。
それは相手のゴールにシュートを決めて、点差を4点に広げた直後のこと。相手チームがそれでも食らいつこうとする中、あろうことか彼は私に目を向けて、手を振ってきたんだ。
それには驚いたよ。ボールは彼の近くには無かったとはいえ、タイムもかかっていない試合中だ。
なのにそんな隙を作ってしまっても良いのか?
それに気をそらしながらプレーしていたら、ケガだってするかもしれないじゃないか。
そう思った瞬間、考えるよりも先に叫んでいたよ。
「何をよそ見をしている! 気を抜くんじゃない!」
きっと自分でも思っていた以上に、声が出てしまっていたんだろうな。
途端に試合をしていた選手の皆も、応援に来ていた女の子達も、そろってこっちを見たよ。
後になって考えたら、この時の私の行動は軽率だったと言わざるを得ない。
試合中にあんな風に注意をしてしまっては、彼が恥をかくのは明白。そして案の定、私の次に皆の視線が行ったのは彼だった。
彼はバツの悪そうな顔をして私から目を逸らすと、すぐに意識を試合に戻したよ。
注意したことが、間違っていたとは思っていない。だけどもっと良いやり方があったのも事実だ。
例えばジェスチャーで伝えていれば、あんな風に恥をかかせることも無かっただろう。その辺の配慮が全くなかったのは、反省しなければならないな。
さすがにバツの悪さを感じて、試合が終わったら謝っておこうと思ったさ。
文句の一つも言われるかもしれないけど、このままスルーするわけにはいかなかったからな。だけどその前に、ある出来事が起きたんだ……。
結局試合は、うちの学校が勝った。
両チームが解散した後、彼を含むサッカー部の面々は着替えのために更衣室に行き、私は一人離れた所で、彼が出てくるのを待っていた。
だけどそんな私に、近づいてきた子がいたんだ。
「藤村先輩、ですよね?」
声をかけてきたのはショートカットの、うちの学校の女子生徒。制服のリボンの色から、二年生という事が分かったよ。
おそらくこの子も、サッカー部の応援に来ていたのだろう。だけどその表情は険しく、まるで責めるような目で私の事を見たんだ。
「さっきのあれは、いったい何なんですか?試合中によそ見していたのも確かによくはなかったですけど、だからってあんな言い方……。先輩は、アナタのことが好きだから手を振ったっていうのに!」
私だって先輩なのに、その子は臆する様子もなくハッキリ言ってきた
だけどそれは生意気というわけじゃなくて、確かな芯の強さを感じたよ。私のしたことは間違っていると、糾弾してきたんだ。
そして私も自覚があるだけに、ぐうの音も出なかった。
「すまない、確かに他にもっとやり方があったね。彼には、申し訳ない事をした」
「本当に悪いって思ってるんですか? だいたい気付いてます? あの人はアナタと付き合い始めてからずっと、どこか疲れた様子なんですよ」
「は?」
これにはさすがに驚いたよ。疲れたと言われてもピンとこなかったし、第一どうして私と付き合ってから疲れているのか、その理由が全然分からなかったのだから。
すると彼女は、責めるように続けたよ。
「その様子だと、やっぱり何も分かって無いんですね。彼はずっと、藤村先輩に合わせて無理をしています。藤村先輩を楽しませようと気を使って、機嫌を損ねまいと言葉を選んでいるんです。アナタはそんなあの人の気持ちを、考えた事があるんですか?」
そう言われて、ハッとしたよ。彼女の言う通り、考えた事なんてなかったんだから。
彼が無理をしていることにも、その時まで気づきもしなかった。けどよくよく考えてみれば、確かに彼は私に合わせていたのかもしれない。
デートの時も、私を楽しませようと頑張ってくれて、試合中に手を振ったのだって、喜ばせるためにやったことだったのかも。
情けない話だ。偉そうに叱っておきながら、彼の気持ちを全く考えていなかったのだから。
そして私が愕然とする中、後輩女子は更に続けたよ。
「だいたい藤村先輩は、本当に彼の事が好きなんですか? 一度でも彼に、好きって言いましたか? いい加減な気持ちで付き合って、弄んでいるんじゃないんですか」
「違う、弄んでなんか……」
断じてそのような事は無い。それは確かだったのだけど……どうしても、言葉にすることは出来なかった。
だって私は彼女の言った通り、一度たりとも彼に好きだと言った事が無かったのだから。
もちろんだからといって、蔑ろにしているつもりはなかった。
だけどいい加減な気持ちで無いかと言われると、『はい』とは言えなかったかも。
だって私はただ、付き合おうと言われたから付き合った。ただそれだけだったのだから。
付き合いはしたものの、そこに気持ちはあったのか。私は彼のことを好きなのか。
そんな根本的な事が、自分でも分からなかったんだ。
「彼女なら、もっと彼氏の事を考えてあげてください。大切にしてあげてください。藤村先輩は、あの人が好きになった人なんですから……」
そう口にしたその子の目には、涙が浮かんでいたよ。
この子と彼がいったいどういう関係なのかは分からなかったけど、一つだけハッキリ分かったことがある。
それはこの子が、彼の事が好きだということ。きっと私なんかよりも、よっぽどな。
だから付き合ってるにも関わらず、ハッキリしない態度ばかり取っていた私に、腹が立ったのだろう。
その子にしてみれば、好きだった先輩に突然彼女ができて、にもかかわらず彼の事を全然大事にしていなかったんだ。怒るのも無理ないさ。
しかし怒ってはいても、その子は良い子だったよ。
だって私に言ってきたのは、『彼のことを考えろ』、『もっと大切にしろ』だったのだから。
別れろくらい言われても仕方がなかったのに、そういった事は一言も言わなかったんだ。
そんな彼女の姿勢に、私は心を撃たれたよ。
そして同時に思い知った。私は、彼の隣にいるべきでは無いんだって。
それから私は、注意してきたその子の名前を聞いて、深く頭を下げた。
「すまなかった。私の考えなしの行動のせいで、彼だけでなく君まで傷つけてしまったようだ」
「わ、私のことはいいんです。けど、どうか彼の事は……」
「そのことだが……すまない。どうやら私では、彼に相応しくは無いようだ。これ以上一緒にいても、きっと迷惑をかけるだけだろう」
「えっ? ま、待ってください。私は別に、先輩達を別れさせたいわけじゃ……」
彼女は慌てていたが、私はその口に指を立てて塞いだ。
「君のせいではない。これは私が考えて至った結論なんだ。自分では気づいていなかったが、どうやら君の言う通り、私はいい加減な気持ちで彼と付き合っていたらしい。目を醒まさせてくれたことを、心から感謝する」
「藤村先輩……」
彼女は申し訳なさそうにうつむいたけど、私はそんな彼女の頭をそっと撫でた。
「ありがとう。君のおかげで、大切な事に気付くことが出来た。近いうちに、彼と話をしてみるよ」
それだけ言うと彼女の返事も聞かずに、私は踵を返した。
まるで頭を殴られたような衝撃だったよ。
あの子の言う通りだ。きっと私はまだ、恋をしていなかったのだろう。告白されたから付き合ったけど、そこに恋愛感情なんてない。ただ彼のことが嫌いじゃなかったから、傷つけたくなくて付き合ったというだけの話。
けど、そんな気持ちで付き合うなんて失礼だって、気づかされた。
きっとこのままでは、彼を苦しめるだけ。だから、別れる決意をしたんだ。
それはあまりに身勝手で、もしかしたら怒られるかもしれないし、罵られるかもしれない。
その時は、甘んじてそれを受けよう。例え殴られても、文句を言うつもりなんて無い。それだけの事を、私はしたのだから。
ただそれでも、決して彼の事が嫌いだったわけではなかったから、やっぱりどこか寂しい気持ちはあった。
いつか一緒にパンケーキを食べた時のことが、何故か思い出してしまう。
もうあの時みたいに、一緒に出掛けることなんて無いんだろうな。
そう考えると、胸にチクリとした痛みが走った。
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