142話 第12幕 青い曼荼羅と引き継ぎの儀 ②

7月07日 13時55分 


 神江島神社かみえしまじんじゃの本殿は、深い沈黙に包み込まれていた。蝋燭の揺らめく灯りと、かがり火の炎が神秘的な雰囲気を一層強めていた。


 その中で、今日の引き継ぎの儀の要、参加者の合意の確認が始まった。


 すなわち……次期神江島家当主を洋介ようすけが務めること、それを是とするか非とするか?


──あぁ、いよいよだ──!!


 暫くの静寂……何が始まるのだろう?私の心臓の音と生唾を飲み込む音だけが聞こえる。何が起こるのだろう……私はとりあえず、龍子らに合わせ同じように席を立つ。


「ひゃっ!」


 なんだろう??この場の空気の揺れと合わせて誰一人として声を発してはいないのに、心の中に、声の様な音の様な響きがこだましている。


 これは…なに??


 本殿の外で奏でている楽器の音色??ううん違う、これは私の心に直接語りかけている──とても低くて高い異形の何かの音が。


 龍子りゅうこ、洋介、アニ、そして雅治まさはるを見渡すと、何か一つの意思で繋がれているかのような雰囲気だ。


 今や、あの甘く妖しい麝香じゃこうの香りは、むせ返るほどに溢れ充満している。


 思考が溶かされ、乗っ取られてゆく──


『──汝らに是か非かを問う』


 ハッとして意識を戻す。声の主は、龍子・洋介・アニ・私、そして最後に雅治の順に答えろと、曼荼羅の幾何学文字を青く発光させながら語りかけてくる。


 再び異形の何かが心の中で低く高く囁く。


『──現神江島当主、龍子よ。汝に問う。是かそれとも非か?』


 それに対し彼女は、沈黙を守ったまま、力強く頷いた。


「!!」


その瞬間、彼女の身体から青白い火柱が勢いよく上がった。その光景に私は目を見開く。


──燃えている??


 しかしその火柱から熱は感じない。焼かれることなく、ただそこに立っている彼女の姿は、神々しさに満ちていた。これは麝香の香りが作る幻だろうか?


 そして次は洋介の番のようだ。


『神江島の長男にして次代当主、洋介よ。汝に問う。是か?それとも非か?』


 洋介も沈黙のまま静かに頷く。すると同じく洋介の身体からも、青白い火柱が立ち昇った。この不思議な現象に私の目は釘付けになった。


 一体、何が起こっているの??


 今度はアニの番である。彼は私のすぐ横で何かに憑かれたように身体を微妙に揺らしている。曼荼羅の光に輝く眼鏡越しの表情はと見れば、どういうわけか楽しそうに微笑んでいる。


 その様子を唖然と見つめていると、再び不思議な声が私の中で響き渡る。


『客人アニよ。汝に問う。是か?それとも非か?』


 アニも微笑みながら黙って頷く。


 それとともに私の隣で青い火柱が勢いよく立つ。


「ひゃっ!!」


 目の前で青い炎を上げて燃え盛るアニを見て、私は口元を手で覆い、目を白黒させる。


 恐る恐る彼の肩を指でつついてみるが、熱くない……寧ろ涼しい風が吹いているようだ。


 突然、背筋に緊張が走る。


 曼荼羅がまるで何者かの目のように私を凝視しているのだ。


 麝香の香りは、もはやこの場所と人すべてを呑み込もうとしている。


──ついに私の番だ。あぁ、どうしよう??


 前半に儀式に集中していなかったせいなのか?幸か不幸か、この中で私だけがかろうじて正気を保っている。


 心の中に語りかけるように、青い曼荼羅が発する低くて高い声が聞こえる。これは伝承の宇津神うつがみなのか、それとも、そのしもべのえんなのか?


『時の客人……』


 曼荼羅は暫くの間、じっとこちらを見るように沈黙していたが、再び私に問いかけた。


『──時の客人ルミよ。汝に問う。是か?それとも非か?』


 私の手は脂汗でびっしょり濡れ、心臓の激しい鼓動が全身に伝わるのがわかる。


──そんなの決められないよ!助けて!


 迷い戸惑っていると、青白く燃え盛る龍子、洋介、アニ、雅治の顔が機械仕掛けの人形のようにゆっくりと私の方を向き、曼荼羅と同じ問いを私に投げかける。


『再び問う。ルミよ──是か?それとも非か?』


「やだやだ、怖い!」


『是か?それとも非か?』


 声が再び問いかける。私は目を閉じ、耳をふさぐ。何も答えられない。麝香の香りが、僅かに残った私の思考を奪い去ろうとする。


『是か?非か?』


『是か……?非か……?』


 徐々に声が大きくなり、私の真意を問う。


 やめて!やめて!やだやだぁぁ!!


 追い詰められた私は、心の中で声にならない悲鳴をあげる。


──その時。


「!!!」


 足元から不思議な光が渦を巻きながら立ち昇り、私を包み込む。


「なに?この光は??」


 足元を見ると、赤いリュックから光が溢れ出ている。私は震える手でリュックのジッパーを開けてみる。


「カ、カメラ?」


 光の出どころはアンティークな二眼カメラだった。思わずそれを両手で持ち上げると、二眼カメラの光は青白く光り、青い曼荼羅と共鳴を始めた。


 本殿全体が青い光に包まれ、カメラと曼荼羅が脈打つように点滅する。


 そして本殿の天井に不思議な紋章を作り出す。これは??どこかで見たような形だ。

 

 それは8の字を横にしたような紋章……インフィニティーマーク? その紋章も生物的に鼓動する。


「何が……起こっているの?」


 そして、青い曼荼羅から低くて高い声が聞こえた。


『──時の客人ルミよ……汝、是と受け止めた』


 「!?」


 その声が消えた瞬間──雅治もまた静かに頷き、洋介の当主としての地位を認めていた。


 5つの青い火柱が本殿内で渦巻き、ダイナミックに動き回る。その中で、私はただ立ち尽くし、この超自然的な光景に圧倒されていた。


 やがて、曼荼羅の中央から黒いシルエットが浮かび上がる。そのシルエットは明らかに猫のもので、あの夢で見た時と同じように、こちらに向かって手招きしていた。


──あれは円?いや……漆黒の白猫?プルート?


 パン!!


 突然、乾いた音が響き渡る。本殿内の全てが一瞬で溶けていくような感覚に襲われ……私の意識を包み込む。


──そして本殿にいる全員がその場にうずくまり、気を失った。

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