140話 第11幕 とあるニケでのひととき ⑤
7月02日 15時31分
「今日はどうしたのですか?
突然の雅治の来訪に私は一瞬身構えたが、よくよく見ると、その顔色は青ざめ、憔悴した様子がありありと見て取れる。ただならぬ雰囲気に、一番奥の席に通して話を聞くことにした。
アニとユッキーはこちらを気にかけながらも、距離をおいたカウンターの中から見守ってくれている。
「──いや、先日は
雅治は疲れきった様子ながらも、なんだろう……先日と比べて、計算ずくのわざとらしさが無く自然な表情に思えるのは気のせいだろうか?
「いえいえ……火龍さんの葬儀も無事終わったそうで…心からご冥福をお祈りします」
「ありがとう。火龍姉さんも毒を盛られたとは思えない安らかな表情でね。正直対面するのも怖かったけれど……あの顔を見て何かホッとしました」
「急なことだったし、ご家族は色々大変でしたよね……やっと一息つけて良かったです」
雅治は神妙な表情になり、俯いてポツリポツリと語り出す。
「──火龍姉さんはね……確かに口の悪い人でした。ただ、言うことはいつも正論でね、本当に頭が切れると言うか……僕はいつも敵わなかったですよ。それが……急にあんなことになるなんて」
雅治は、ユッキーが運んできたコーヒーを受け取ると、ゆっくりと一口飲んでからため息をつく。
「まぁ、姉さんが居なくなって今さらこんなこと言うのも何ですけどね……亡くなる前に、一度でも認めて貰いたかった……褒めて貰いたかったって気持ちはありますね」
伝承会の時に見た雅治と火龍とのやり取りを思い出す。
──雅治の写真っていつも、どこか欠けたり近づき過ぎたりセンスがないと思うのだけど。今回は大丈夫なのかしら?
火龍の言葉だ。彼女はいつもこんな風に、何かにつけて雅治の行動にダメ出しをしていたのかもしれない。
「まぁ、
雅治は自虐的に笑った。私はコーヒーカップを持ち上げ、少し考えてから彼に問いかける。
「でも、雅治さんはコンサルタントの仕事をされてるんでしょ?この前もテーマパークの構想を聞いて凄いなぁって思いましたよ」
雅治は苦笑して首を振り、椅子に軽く寄りかかって天井を見上げる。
「──もうお聞きかと思うけど、
「え?そんな……どうして……」
「そして私も終わり……」
力ない雅治の声は語尾がかすかに震えていた。
「雅治さんが終わりって……どういうことですか?」
雅治の目の色が心なしか変わったような気がした。
「そう、終わりですよ……詳しくは言えないけど」
彼は咳払いをして、コーヒーカップに手を伸ばす。が、手が震えているのかカップと皿がカタカタと音を立てる。
──雅治さん……何かに怯えている……?
「──テーマパーク構想にはスポンサーがいたのです。しかし、一つ条件があった。それは、この引き継ぎの儀で次期当主の座を勝ち取ることだった……」
「じゃ──スポンサーが降りると?」
私が問いかけると雅治は、再び大きなため息をつく。
「それだけで済めば良いのですがね……」
「??」
雅治は私の方に向き直ると、微かに微笑みコーヒーカップの縁を震える指でなぞる。何かに追い詰められているギリギリの心情が伝わってくる。
彼はやがて心を決めたのか顔を上げ、私と目を合わせた。
「──最後に少しだけ希望をくれますか?探偵さん」
「えっ?」
合わせた目に動揺して、私は瞬きを繰り返す。
「希望って?」
雅治の言葉の真意がわからず戸惑っていると、彼は暫し私を見つめた後、声を出して笑う。
「ははは、探偵さんって面白い人だ。」
「???」
「──いやぁ、ごめんなさい。探偵っていう職業は、もっとスレてて僕みたいに信用出来なそうな人がやるものだと思っていたけど……」
「え?」
「そう、あなたの怖そうな相棒みたいに」
「怖そうな相棒……」
頭の中にキレのあるニヤリ顔が浮かぶ。
「ははははは、あなたはわかりやす過ぎる、そして……」
雅治は笑いが止まらないようだ。ハンカチを取り出して口を隠す。
「コホン。すみませんね……でも少し気が楽になりました。本題に戻りますね」
私が怪訝な顔をすると、雅治は再び笑いを堪える表情になり、すぐに咳払いをする。
「ふぅ……そうです。──私に最後の希望をください」
「どう言う意味なんですか?希望って」
私の問いかけに雅治は一呼吸置いた後、真剣な顔で語り始める。
「──後日開かれる引き継ぎの儀の途中でね……あ、探偵さん、招待状は受け取ってますよね?」
私は頷いた。
「良かった。その日……会に参加した人たち全員が1人1人、真意を問われる儀がある筈です」
「真意……ですか?」
「そうです。洋介兄さんが次期当主になることに合意するか否か。その時に、探偵さん──あなたの順番が来た時、首を横に振れば、今回の引き継ぎの儀はやり直しになるのです」
「えぇ?そんな」
突然、雅治は私に頭を下げる。
「どうか!!!」
「いやいや!!」
「あなたは信頼出来る人だ!!どうかお願いしたい。ただ座って首を横に振るだけで良いのです!そうでないと私は……私は……」
雅治は後の言葉を飲み込んで、頭をテーブルに擦り付ける。固く握られた手が側から見てもわかるほど震えていた。
「雅治さん……」
その時、店内のアンティークで小さな時計盤から、古い鐘の音が鳴り響いた。まるで、雅治の心の不安とその重さを表すかのように。
私が戸惑っていると、やがて雅治はテーブルから頭を上げ、伝票を持って力なく立ち上がった。
「あ、ちょっと待っ…」
「お釣りはいらないから……」
「えぇ?雅治さん、そんな……」
雅治はふらふらしながらレジまで行きお札を置くと、肩を落としたままドアの向こうへ消えた。
アニとユッキーは顔を見合わせ、心配そうに彼の後ろ姿を見送っていた。
私はその場に立ち尽くし、閉まった後のドアを暫くじっと見つめていた。
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