第3話

「と、と、都会だぁ!」

 階段を上りきった先の景色を見て瑠璃子のテンションは上がる。

 景観を守るための高さ制限があり摩天楼こそないものの、目の前には商業ビルがずらりと並んでいた。四条烏丸周辺はオフィス街なので近代的な建物が立ち連なっている場所なのだ。

「うーん、まぁそうですが東京や大阪、にはやっぱり劣りますけれどね。都会度としては」

 いや、もしかすると名古屋や福岡よりもと付け加えようとしたがその前に瑠璃子が「京都は立派な街です!」と言って遮ってくる。

 角舛は瑠璃子の反応がおもしろくてつい営業用の無表情を緩めてしまう。

「そうですね。いろいろえらそうなことを言った私は実のところ滋賀県出身だったりするのですが、地元にいた時は確かにしょっちゅう京都へ出ていましたね」

 角舛は依頼人とは極力なれ合わない、親しくならないように、を心がけている。

 しかしいま目の前にいるこの少女には少しくらい感情の片鱗を見せてもいいだろう、いや自然と引き出されているような気もした。

「時間ができたら観光でもどうぞ。あ、そこのビルです伊静さん」

 角舛が長い指で建物を指さす。

 大通りに面して約十二階建ての新しくも古くもないビルがあった。一階から最上階まで全て守護所のフロアである。

 瑠璃子はトコトコと角舛の後ろに続いてビルの中へ入っていった。

 二重の自動ドアが開く。角舛は受付を無視してそのままエレベーターの前まで歩いていった。瑠璃子も付いていく。

 チンッと音がしてエレベーターの扉が開いた。

「どうぞ、伊静さん」

「あ、ありがとうございます!」

 二人が乗り込むと角舛は五階のボタンを押す。

 扉が閉まる。上にのぼる間、瑠璃子はエレベーター内をきょろきょろ観察した。『京都守護所 花守九十七期生募集』と書かれた張り紙が貼ってある。

(一般から普通に募集しているんだ。なになに対象年齢は十五歳以上の健康な男女、専用の寮完備で訓練期間は三年間……)

 張り紙には過去、どこの地方から候補生がやってきたのかグラフが載っていた。

 内訳はやはり近畿が七割、次いで関東が二割である。あとはバラバラで九州だったり東海だったり北は北海道から南は沖縄まで様々なところから皆やって来ていた。

 花守の募集は近畿圏では大々的に宣伝される。だから過半数を占めているのだ。さらに詳細なことを言うのであれば一位はもちろん京都府から、二位は大阪府で三位が兵庫県と続きその後は奈良県、滋賀県、和歌山県そして三重県と無難な結果である。

(てかやっぱり近畿っていうか関西以外だと知名度は低いのかな? ネットにも全然情報が載っていなかったし)

 瑠璃子の思うとおりで関西以外での守護所の知名度は低い。特に彼女がいたような鄙辺の人間は知らなくても当たり前である。

 守護所は秘密主義な一面もあって京都の人間ですら、名前は知っているし霊障に悩まされたら駆け込むところではあるがそれ以上の詳細はあまり知らない。それが実情であった。

(これからやる面談であれやこれや聞いたら迷惑かな? ちょっと、どんな組織かもっと知りたくなってきたや)

 張り紙を見つめているとポーンと音が鳴った。

 五階に着いたのである。角舛が「開」のボタンを押したまま瑠璃子に「お先にどうぞ」とうながした。

「ありがとうございます」

 エレベーターを出た先は床が青いカーペットで上には蛍光灯が並んでいる。廊下に窓はなくなんだか薄暗い。そして角舛と瑠璃子以外の人の気配がしなかった。

 幽霊退治をする組織の施設なのに幽霊が出そうだな、なんて瑠璃子は思ってもみる。

 角舛はポケットから鍵を取り出して「ルーム」と書かれた名札のあるドアに差し入れて解錠。

「今日は、なんていうか我々がどういったグループでみたいな話と伊静さんのお話を少し聞くだけです。ので、一時間もかかりませんからそんなに気を張らないで大丈夫です」

「概要だけ、みたいな感じですか?」

「はい、そうです。伊静さん京都駅からそのまま来たでしょう? 旅の疲れもあるでしょうし今日はそれだけですね」

 角舛がドアを開けて明かりのスイッチをオンにする。

 中は確かに一対一で話をするためだけの部屋であった。小さなテーブルと対面して配置された椅子。申し訳程度に花瓶に花が生けてある、白百合だ。それを見た瑠璃子は「そうだ」と角舛の方を向く。

「角舛さん、疑問だったんですけれどなんで霊能力者のことを『花守』って言うんですか?」 角舛はドアを閉めて空調をいじりながら答えた。

「京都守護所に正式に所属している霊能力者のみに対する呼称なのですがあれです、冥界に生息している花の世話をするからですよ」

「めっ冥界……。やっぱりそんなところがあるんですね。でもどうしてお花の世話なんてするんですか」

「そうですね、少し説明が長くなるのであれですが」

 角舛は一呼吸置く。

藤原広嗣ふじわらのひろつぐ吉備真備きびのまきび井上内親王いがみないしんのう早良親王さわらしんのう菅原道真すがわらのみちざね平将門たいらのまさかど崇徳上皇すとくじょうこう、と聞いて何かピンと来ませんか?」

「全員、怨霊伝説がある歴史上の人物ですよね。でも吉備真備はちょっとちがうかな」

 即答する瑠璃子に角舛は少し感心した。瑠璃子は小学校も中学校もほとんど行っていない、高校にも進学していないと聞いていたのだが教養はある子のようである。

「その通り、この七柱のことを我々は御霊会と呼んでいて。あ、祇園御霊会とは完全に別物です。それで花守は御霊会の御霊から魔力をいただくんです。代わりに己の生命力を差し出してね。それでまぁ御霊の方々は冥界に邸宅を構えているのですがそこの庭に花々が咲き誇っているんです。花守は魔力をもらい生命力を差し出し契約した御霊の邸宅に咲いている花を世話するんですよね」

「あ、だから『花守』! さすが、洒落ていますね」

「ですが正直、よそから見たら私達なんてなかなかに怪しいでしょう?」

「あはは。お母さんが『霊感商法なんじゃないの?』って言ってました」

 瑠璃子と角舛はテーブルをはさみ向かい合って座る。

「普通の反応です。いくら京都府の公式にリンクが貼ってあってもねぇ」

 角舛はずっと抱えていた鞄からファイルを取り出す。そしてそれを瑠璃子に差し出した。

「この書類に詳しいことは書かれていますが口頭でも少し説明しますね」

 瑠璃子はファイルから紙を取り出す。のコピー用紙に黒い文字が印字されているだけのシンプルなものだった。

「すみませんね、そっけない資料で。守護所の歴史について書いてあります」

「あれ、京都守護所って幕末にあった『京都守護職』とは関係あるんですか?」

「全くありません。紛らわしいですが」

 角舛は「よくある質問です」と苦笑する。

「京都の治安維持を担っている部分は同じかもしれませんがね。我々の起源は奈良時代まで遡ります。の怨霊を退けるために全国から呪術者を集めて、桓武帝の時代に呪術者を正式に組織化しました」

「実弟の早良親王対策のためですよね」

「そうです。なかなかに話が通じますね、伊静さんは学校にはほとんど通っていないと聞きましたが」

 そういえば、と角舛はずっと疑問に思っていたことを瑠璃子に聞く。

 先ほども話題に上がったが彼女の通う予備校は高校で勉強する内容の基礎知識が無いとついていくのはなかなか厳しいはずである。それなのに事前に聞いた話では、瑠璃子はクラスの選別試験で一番上の国公立進学コースを割り当てられているのだ。

 瑠璃子は「自慢じゃ無いんですけれど」とうつむき少し照れながら答えた。

「確かに学校には通わなかったですけれれど、幼い頃からずっと家庭教師を雇っていたんです。それも大学生じゃなくてプロの、うちは決して大金持ちではありませんが両親共働きなので一人っ子のわたしにはかなり投資をしてくれていました。おかげで勉強は得意なんです」

 自分の取り柄を人に話すのはちょっと恥ずかしいことなんだなぁと瑠璃子は手をもじもじさせる。

 ――こんな感じで本で学んだだけじゃ分からないことを、これからどんどん知れたらいいな。

 頬を紅潮させておどおどしだした瑠璃子に角舛はなんだか居心地が悪い気がした。学はあっても世間知らずな子だ、素で愛らしい反応をする瑠璃子が少々危なっかしい。後々、女性の花守をひとりメンターとして彼女に紹介しようかと彼は考える。

「なるほど、親御さんの判断は正しいですね。教養はあって損はありませんよ」

「でも守護所のことやローカル事情はよく知らないので、続けて下さい」

 言われて、角舛は瑠璃子に改めて向き直る。

「呪術者の組織は歴史の中で何度も再編されて名称もころころ変わりました。今あるこの『京都守護所』は戦後に形作られたものです。一時期は陰陽師の寡占状態だったこともあったんですよ、歴史の表舞台には登場はしないので知らなくて当然です。関係者以外で守護所をよく知っているのはオカルトマニアくらいですしね。さて……成り立ちについてはこんなものです。次は伊静さんのお話をお聞かせ下さい」

「ええと、そうですね」

 急に水を向けられて瑠璃子は慌てる。案外、彼女はあがり症なのかもしれない。

「物心ついたときから幽霊はしっかり視えていました。怖くて怖くて五歳くらいの頃から外には極力出なかったです。小学校も行っていないので児童相談所の人たちが家にやってきちゃったりもして。家庭教師もこの頃に付けました」

「家は安全でしたか?」

「はい……十七歳の夏まではですけれど」

「報告によると、その頃に少女の霊が自宅に入り込んできてしまったと聞いています」

「その通りです。もう、夜な夜な現れて大変でした」

 今だからこうやって苦笑いをして流せるが当時はかなり大変だった。おかげでこの時、瑠璃子は引きこもりなのに睡眠不足になってしまったのである。

「家が安全でなくなったので祖母宅に身を寄せて、そこで初めて京都守護所について祖母から聞かされたんです」

「分かりました。ではこれからわたくしどもはあなたの霊感を取り除く、いや封殺します」

「……あ、はい」

 「封殺」と聞いて瑠璃子は固まる。自分の芽を摘まれるような感覚に一瞬陥ったがすぐにいやいやと角舛の話に集中した。

(この眼のせいで、霊感のせいで散々な目にあってきたじゃん。ないほうが幸せに決まっている)

「大丈夫ですか? 伊静さん」

「ぜんぜんっへーきです」

「霊感を取り除く方法については何と聞かされていましたか?」

「えと、なんか催眠術みたいなことするって聞いてますね……」

 催眠術って怪しすぎでしょう、と角舛は心の中で突っ込みを入れた。

「似たような感じですが、そんなに胡散臭い方法ではありませんよ。視力検査をしてカウンセリングを行い徐々に取り除いていきます。ここの担当は女性の方なのでご安心を、心理療法とか作業療法と言った方が近いかもしれませんね」

「あっそっちの方がしっくりきます」

 瑠璃子は明らかに安心したようにえへへ、と笑う。

 つられて角舛もかすかに笑みを浮かべた。

「さて、長旅で疲れているところをすみません。最初の説明はこんなものです」

 瑠璃子はトントンと書類を整えてファイルの中へ入れ直す。

「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございました。話が聞けて少し安心です」

 これは彼女の本心であった。見知らぬ土地へ単身でやってきて不安がないわけない。瑠璃子の両親は最初、京都まで瑠璃子に同伴したいと言っていたが祖母に「あんたらは仕事があるでしょ」といなされてしまった。

 祖母は「大丈夫」を繰り返していたが本当のようだ。

 霊の間にも秩序があり寧ろ安全な土地だと角舛から改めて聞いて、今日からはじまる一人暮らしがなんだか楽しみになってくる。

 瑠璃子はビルの一階、玄関まで角舛に見送ってもらうと外に出る。

(わぁ、空がキレイ)

 夕暮れ時、西の空はピンク色で東の空は藍に染まっていた。その二色はカクテルのように空の中で混ざり夕日は紫色で幻想的だ。行き交う人々や車をその色に染めている。

 しかしその西日は何故か瑠璃子の心をざわつかせた。

(なんでだろう、キレイなのに見ていて不安になる)

 その時、瑠璃子の脳裏に地下通路で見た霊がよぎった。

 綺麗なのにこわい。下を向いて考えた。

 あの霊にはそんな言葉がぴったりである。

(あんまり考えないようにしよう)

 そう思い、地下へと続く階段を探そうとして瑠璃子は異変に気付く。

「え……なんでっ」

 瑠璃子が面を上げるとさっきまで人や車が行き来していた烏丸通りには誰も、何もいない。

瑠璃子以外の人が消え失せていた。

 慌ててあたりを見渡すが人の気配すらしない。

 キレイだと思っていた夕日は藍が徐々に西の空を侵食していく、東はもう夜といっていいだろう。暗黒だった。

 まだ寒い外気なのにツゥ、と瑠璃子の肌を汗が滴る。

 紫色に染まった世界が、今はただ怖い。


「奇麗だねぇ、見事な逢魔が時だよ。キミもそう思わないかい瑠璃子ちゃん」


 瑠璃子の前にある外灯の上から声が降りてくる。

 男の声なのだが少し高い、色気のある声だ。瑠璃子は見上げる。

「あ、あなたは」

 声の主は真っ赤なトレンチコートを身に纏った美人だった。そう、間違いない、ここへ来るときに地下通路で見かけた綺麗な霊である。

 瑠璃子が驚愕の表情を浮かべているとその霊はケラケラと笑う。

「覚えててくれたんだ? ……ってまぁ忘れないよね、ねぇ」

 そう言うと霊は外灯の上から身を投げた。ふわり、と重力を感じさせず羽根のように着地する。そして、驚きっぱなしの瑠璃子にグイっと顔を近づけた。

「ひぇっ」

 彼女は思わず半歩後退りする。半分パニックになっていた瑠璃子だが彼がとんでもない美貌の持ち主だということは判断できた。近くで見れば尚更、その美しさが分かる。

 暗くなりつつある景色の中、わずかな天つ日の光を受けて彼の瞳はルナティックに輝いていた。

「瑠璃子ちゃん」

 霊は首だけを下に向けてずっと背が低い瑠璃子に顔を向けながら、力を抜いた声で彼女の名を呼ぶ。

「な、なんであなた、わたしの名前を知っているのさ それにだ、誰なの」

「あのあと、ずっとキミを付けていたからねぇ。角舛との会話も聞いてたよ」

「あなた憑依霊かなにか?」

「違う、私は都市伝説さ」

 都市伝説、と聞いて瑠璃子は彼について考えを巡らせた。しかし分からない。特長といえば怖いほど美しい容姿を持っていることと赤いトレンチコートを着ているぐらいだ。

 瑠璃子は彼と話していてだんだんと恐怖心が薄くなっていく。代わりにイライラが募った。

「はぐらかしていないで答えてよ!」

「私の名は『カシマレイコ』だよ」

「……え?」

 男だったの、という感想が初めにくる。そして次に『カシマレイコ』にまつわる伝説の内容が頭に浮かんできた。


 「カシマレイコ」とは都市伝説の一つである。

  一九七二年に札幌市内で流れた噂として雑誌に掲載されたのを皮切りに全国で流行った。しかしその正体はあやふやで「踏切事故で両脚を無くしてしまった女性」「戦争へ行った兵士が現地で爆撃に遭いぐちゃぐちゃになった」など性別すら曖昧。そしてたちが悪いのがこの話を聞いた者の元にカシマさんがやってきて殺されたり、連れて行かれたり、両脚を抜かれたりするのである。

 回避するには「カシマさん、カシマさん、カシマさん」と三回唱える。「カシマさんのカは仮面の『仮』、カシマさんのシは死人の『死』、カシマさんのマは悪魔の『魔』」と答える。三日以内に五人にこの話をするなどがある。特に最後のはチェーンレター「幸福の手紙」に似た悪質さだ。

 言い伝えもバリエーションに富んでいて「プリマを目指していたバレリーナが両脚を事故で無くしたショックで自殺、そしてこの話を聞いた者の前に現れる」「ピアニストが事故で両手首から先を無くしてしまい同じく自殺して噂を耳にした人の元へ」といった具合に「欠損」と「伝染」という性質を持って様々な言い伝えがある。地域によっては「チシマレイコ」や「マミヤレイコ」。関西では「キジマさん」と呼ばれたりもした。

 そして最終的には「大戦の終戦後、米軍の占領下にあった兵庫県加古川市で美しい女性が米兵に乱暴された。そして彼女は鉄橋の上から列車に飛び込み自殺を図る。彼女の死体は両手両脚がばらばらになった。それからというもの四肢のない女性の幽霊が現れる」といった米兵がらみの話がもっともメジャーになったようだ。最終的に、とはいったがそれでもいくつか違う形のよく似た話が見られる。

 スラスラとカシマに関する都市伝説を思い出している瑠璃子だが、また冷静さを欠こうとしていた。

(わたし、もしかして両脚を取られるんじゃあないの?)

 青ざめている瑠璃子を見てカシマはなぜか嬉しそうな顔をする。

「もしかして、私のこと知っているの? わぁー嬉しいな。最近の子は私について知らないからさ」

 カシマはニヤニヤと笑いながらさらに瑠璃子との距離を詰めた。瑠璃子はというと脳内に走馬灯のようなものが流れている。両脚を抜かれて殺される。そう、思っていたがカシマは予想外のことを口にした。

「なんでこの度はキミの前に、大規模なサンクチュアリを展開してまで現れたかなんだけれどね……瑠璃子ちゃん私の事務所に来ない? 引き抜きに来たんだよ」

 何を言っているんだろうかこの都市伝説は。

「……生贄のバイトか何か?」

 いまだ混乱中の瑠璃子は素っ頓狂な返事をしてしまう。

「違う違う~。いま私は探偵事務所を構えているんだけれど霊感が強い助手が欲しくてねぇ」

 トンッとカシマは姿勢を正しステップを踏む。

「四条の地下通路でキミを見たときに、とりあえず身なりからよその人だってことはすぐ分かった。そして相当な霊感の持ち主だということも」

「……そっからわたしと角舛さんに付いてきたんだね……」

 瑠璃子はだんだんと落ち着いてくる。カシマレイコは自分を殺しに来たわけではない。思考も正常なものへと戻っていった。

 カシマは瑠璃子の脚を奪いに来た訳ではないがかわりに、彼女をヘッドハンティングしようとしている。

「私はある程度、目がきく。私の場合、自分自身の霊視能力にも自信があってその人間がどれくらいの霊感持ちか分かるんだ。大抵は有象無象さ、けれどもキミは、瑠璃子ちゃんの霊感には光るものがある。私はそれを買いたい」

 彼の視線がすぅと真剣なものになる。

 気がつけばあたりはぜんぶ闇に包まれていた。その中で外灯の灯火だけが頼りである。

「でも、わたしはこの眼のせいで……」

 まともな、正常な子供時代を過ごせなかった。そのことを伝えようとするがカシマは話し続ける。

「ああ、確かにキミの故郷ではその強い霊感は疎ましい産物でしかなかっただろうね、でも」 

 カシマはしっかりと瑠璃子と目を合わせる。

「この土地では才能だ。喉から手が出るぐらいに欲しい、誰もがうらやむ才能でしかない。だから瑠璃子ちゃん、その眼を殺してはいけない」

 ――才能。その一言に瑠璃子は息をのんだ。

 この眼のせいで外に出るのが難しくなった。

 だから学校に行けなかった。

 ドラマやアニメの中で描かれる青春を彼女はこの眼に奪われた。

 未来も将来もこの眼に奪われると思っていたのに、なのに、これが才能?

 考えが、価値観をひっくり返すカシマの言葉は凄まじく静かな衝撃だった。

「私は高い霊感を有した女性しか霊媒に選ばない偏食家だよ、そんな私がキミを選んだのはちょっと光栄に思っても良いかなぁてか思って欲しいねぇ」

「でも、わたし、本当にいらないの」

「だから、その眼との付き合い方を伝説の悪霊である私が直々に教えてあげるよ。キミはカシマレイコという都市伝説を知っているようだから、頼もしいでしょ? ね?」

 念を押されて瑠璃子は言葉に詰まる。なんだか不思議だ。さっきまで角舛と霊感を封殺する方向で話していたのに目の前の霊に諭されてそれを反故したくなってきている。

 そうだ、彼女は心の何処かで棄てるのを躊躇していた。だから角舛に「封殺する」と言われて一瞬固まったのだ。何か大事なモノが奪われるような芽を摘まれるような感覚に。生まれ落ちてからずっとあるこの眼に愛着なんてないけれど、疎ましいだけだけれど……だったのに。

「おっとぉ、さすがに街のど真ん中でサンクチュアリ展開して長話はまずかったかなぁ」

「んんっ」

 カシマはいきなり瑠璃子の肩を抱き寄せた。驚く彼女だが彼と自分以外の気配を察する。

「な、なにあれ」

 灯りが少なくて単に視線だけでとらえるのは難しかったが瑠璃子のもう一つの視力ではあまりにも簡単に視えた。

 異形の形をした何かがそこにいる。瑠璃子の居場所から五十メートルほど離れた曲がり角から姿を現した。

 それは大きさ三メートルほどの蜘蛛のようだが手脚の先は人間の手首になっている。色は黒にほど近い濃い紫色であった。

「瑠璃子ちゃん、あれは魔物だよ。霊だけれど動物霊ではなくて人の形も成していないからああいうのは魔物ってみんな呼んでる」

 カシマは大丈夫? と瑠璃子にささやく。

「大丈夫だけれど……これって修羅場じゃあない?」

 聞いてカシマは口の端をつり上げる。

「修羅場? まさかぁ。こんな霊位の低い霊を相手に修羅場なんてねぇ」

 言ってカシマは瑠璃子の前に立つと両手を虚空に差し出す。

 かすかに風が吹いて赤い光の粒子がカシマの手元に集まり、最終的には大鎌へと変化した。

 そうだ、都市伝説「カシマレイコ」の武器は大鎌として伝えられることが多い。その大鎌で人の脚を切るという伝説だが彼がいま対峙しているのは同じ霊である、それも彼曰く霊位が低い、と。

(霊の中にも序列があるって、レイコはどれくらいであの霊はどれくらいなの?)

「レイコ! あれにちゃんと勝てるの? 明らかに危ないじゃん!」

「私にとっては赤子の手をひねるがごとく簡単さ、まぁ見ていてよ」

 カシマは大鎌を天に向けて持つ。

「くわばらくわばらってね」

 瞬間、魔物に雷が落ちた。それも青白い光ではなく赤黒い閃光を放って。

 にぶい音が轟く、瑠璃子はとっさに手で耳を塞いだが耳鳴りが酷い。

 耳から手を離しつつそっと魔物の方を見やるとさっきの一撃が効いて燃え上がっていた。それはいいが魔物を焼く炎の色が青い。

(なんであんな色して燃えて)

 るの? と思った頃にはカシマは瑠璃子のそばにおらずいつの間にか魔物の真後ろにいた。そして魔物の胴体部分に大鎌を振り落とす。あたりにぶしゅう、と血が飛び散るがその血の色も青かった。

「うん、どっかのでもなんでもないみたい。ただ本当に私の聖域に迷い込んできたあわれーな魔物」

「うわぁっ」

 瑠璃子が青い炎と青い血に気を取られているといつの間にかカシマが真横にいた。

「びっくりさせないでよ!」

「びっくりさせるのが霊の性なんだけれどねぇ」

 瑠璃子はカシマが手にしている大鎌を見る。当然ながら青い血が滴っていた。

「ほら、もう大丈夫。見てごらん」

 瑠璃子はカシマと同じ方向を見る。

 魔物は依然、燃え上がっていたが次第に炎が小さくなっていく。それと同時に魔物も小さくなり最後はちり一つ残さず消え去った。

「悪いね暗くなるまで付き合わせてしまって」

 カシマの一言で瑠璃子ははっとする。周りに人がいる、車道には車が通っている。店には灯りが灯って先ほどより視界が良好だ。

 カシマの服装も真っ赤なそれから無難なベージュのトレンチコートに変わっていた。大鎌も持っていない。

 元の世界に戻ってきたのだ。

「レイコ……」

「ああ、この格好? 赤なんてポイントカラーにするべきでしょ、普段は私も人に化けているからさ」

「そうじゃ、なくて」

 カシマは瑠璃子に服の袖をきゅっと掴まれていることに気付く。

「あなたの話、詳しく聞きたいの」

 カシマは瑠璃子の霊感を才能だと断言した。その才能との付き合い方を教えるとも言った。彼は話だけ聞けば凶悪な噂を纏った悪霊である。しかし瑠璃子には彼が、まるで。

「わたしの眼は……凄いものなの?」

「ああ、そうだよ。キミの瞳は特別なんだ、このが保証する」

 彼は握っている瑠璃子の手にそっと己の手を添えた。カシマは幽霊だから当然、体温など無くてひやりとしていたが瑠璃子は熱を感じる。彼女の中では形容しがたい期待がかつてないほど膨らんでいた。ずっと邪魔だと思っていたこの眼だけれど。もしかしたら。

 ――もしかしたら。

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