檻の中から皇宮へ~娼館からすべて取り戻します~
森山侑紀
第1話 目覚めたら、檻の中でした。
気づいたら檻の中。
これ、いったいどういうこと?
私は警備員のバイトをしていたはずなのに、首輪をはめられ、赤いリボンが目立つグレーベージュのドレスを着せられ、檻の中で横たわっていた。頭はズキズキ痛いし、怠いけれど、身体は動く。外傷はないみたい。
「メラニー、気づいたのか? おとなしくしていたほうが身のためだ」
メラニー、って誰?
視線から判断したら私のこと?
ヤクザみたいな……日本人じゃない、金髪碧眼のマフィアみたいなおっさんは誰?
……あ、私の手も私の手じゃない。
「メラニー、顔を拭け」
檻の中に手鏡や化粧品一式、入れられる。見たことも聞いたこともない化粧品のメーカーだけど、瓶には高級感が漂っている。ラベルが貼られていないからメーカーがわからない。手鏡はアンティーク?
……で、鏡に映る自分を見て卒倒しかけた。
金髪金目の若い美女がいる。
「……え? ……わ、私?」
薄暗闇の中、慌てて自分を振り返った。
私の名は板垣真矢、警備員のバイトで学費を稼いでいた専門学生だ。連続徹夜の深夜、スマホを見ながら電動自転車を漕いでいた女性を止めようとして轢かれた。
……で、打ち所が悪くて死んだ。
……死んだはず。
死んだのに、どうしてここにいるの?
メラニーっていう女性の身体に私が入った?
メラニーはどうして檻に閉じこめられている?
映画か何かの撮影じゃないよね?
おかしくなりそうだったけど、泣いても叫んでも無駄だということはわかる。まず、冷静に状況を把握しよう。
やり取りの後、私を見張っている人相の悪い男が奴隷商人の手下だと知った。私が家族の借金返済のために売られた商品であることも。
今現在、クレイン帝国のマサイアス八世皇帝陛下の治世。
スマホもなければタブレットもなく、奴隷商人の衣装はやたらと時代がかっている。ブーツスタイルはどの時代?
これ、異世界の中世ヨーロッパみたいな国に飛んだ。
悪い夢でも見ているような気分。
「メラニー、いい子でいるんだぞ。金持ちに買ってもらえたら楽だからな。お前のためだ。場末の娼館は地獄だぜ」
見張り役の注意の後、私を値踏みするように見つめる老人が現れた。隣で手を揉むのは奴隷商人。
結果、お買い上げいただきました。
商品は私、買い手は白い髭の老人。
「メラニー、行くぞ」
メラニーと呼ばれて、首輪の鎖を引っ張られ、裸足で冷たいで廊下を歩かされた。行き先は買い主の別宅らしい。目隠しをされ、馬車に乗った。
「メラニー、歳はいくつだ?」
買い主にしゃがれた声で聞かれ、私は正直に答えた。
「……あ、わかりません」
板垣真矢としての年齢を告げたらアウトだよね。
「わからないのかい?」
「はい。記憶がないのです」
今後のことを考え、私はありのまま告げた。
「父の名は?」
「覚えていません」
「出身地は?」
「すべて覚えていないのです」
期待外れだったのかな?
老人は私を買ったのに何もせず、別宅にも立ち寄らず、目隠しを外して顔をチェックしてから、街の外れにある娼館に売り飛ばした。豊かな緑に覆われ、広々とした庭には花が咲いているし、外観からは娼館とは思えないだろう。
「メラニー、娼婦として生きていくがいい」
元買い主の別れ際の言葉に愕然とした。
「……娼婦?」
カメリアという女将さんが私を改めて見て、感服したように声を上げた。今、ここ。
「最高の上玉だから即決で決めたけど、貴族だね。貴族じゃなきゃ、こんな気品はない。典型的な淑女の手だよ」
この女将さんは話せる。
本能でそう思った。
「女将さん、実は記憶がないのです」
私が真剣な顔で詰め寄ると、女将さんはピーコックグリーンの目を丸くした。
「……へ? 記憶喪失なのかい?」
借金逃れの記憶喪失なら許さないよ、と女将さんに凄まじい目で睨まれた。背後の娼婦たちも同じ目つき。
どうも、借金から逃げるため記憶喪失を装う女性が多いみたい。
「メラニー、と檻の中で呼ばれました。けど、私にはメラニーとしての記憶がいっさいありません」
嘘はついていない。スマホ時代の日本人としての記憶はあるけど、帝国民としての記憶はない。なのに、言葉はわかる。私がメラニーに憑依したのかな? 本物のメラニーはどこに行った?
「おったまげた」
女将さんは舞台役者のように肩を竦めた。
助けて、と懇願しても無駄だ。人情派に見えても娼館主である以上、メリットがなければ動いてはくれない。
「私は何も覚えていませんが、結婚していたら夫にも子にも合わせる顔がありません。私の素性を調べてくれませんか?」
見張り役には家族に売られたと聞いた。その家族が誰なのか、私には見当もつかない。メラニーを探している人がひとりぐらいいてもいいはず。
「夫に売られた娼婦は多い」
「ひどい」
「戦争と税金のせいだ」
檻の中で聞いたけれど、他国との戦争が泥沼化したから国力が衰退したという。税金が払えず、身売りする女性と孤児は増えるばかり。
「私が未婚で婚約者がいる身かもしれません」
自分で言うのもなんだけど、メラニーは超絶美人。残念な子だった私と違って、彼氏いない歴を生まれた時から更新していないんじゃないかな?
「婚約者に売られたのかもしれないよ。意外に多い」
「ひどい」
「よくある話さ。誰も売りたくて売るんじゃない」
女将さんに馬鹿らしそうに手を振られ、私は背筋を伸ばしてから深々と腰を折った。
「……すみません。娼婦として買ったのはわかっていますが、記憶が戻って納得できるまで、用心棒として働かせてください」
父親が剣道の道場主だったから、兄のように私も幼い頃から小さな竹刀を持たされた。女剣士も増えていたからわかる。けど、私は本を読んだり、お菓子を焼いたり、ぬいぐるみを作ったりすることが好きだった。父や兄には理解できない趣味だ。母親が早死にしなければ、風当たりは違っただろう。
『女なんかなんの役にも立たない。金がかかるだけ』
男尊女卑の家風の中、少しでも認められたくて頑張ったけど、剣道ではなんの結果も出せなかった。何度チャンスをもらっても敗退記録更新。
情けない娘でした。
それでも、警備のバイトには役立った。
「……よ、用心棒?」
往年の美女が顎を外しかけ、手で押さえる。周囲の美女たちも一様に口を大きく開けたままフリーズ。
「さっき、客が暴れていましたよね? プロじゃなきゃ、勝てます」
「その細腕で?」
指摘されたように、メラニーの腕の筋肉は私の半分ぐらい。肩幅もないし、腰も太腿も細い。なのに、胸はあるからヤバい。
「腕力がなくても戦い方はあります」
タイミングがいいのか、悪いのか、女性の悲鳴が館内に響き渡った。慌てて女将さんが飛びだし、私も後に続いた。
海坊主みたいな大男が若い娼婦の髪を掴み、引きずり回している。
「商売女のくせに逆らうなっ」
女将さんはいっさい怯まず、激高する大男の前に立った。
「お客様、ここは花と楽しく遊ぶ花園です。花を楽しくさせられないのならば帰ってもらいますよ」
「女将、引っこんでいろ」
大男が女将さんに向かって手を上げる。
殴られる。
……あ、私の顔に見惚れた。
隙あり。
間一髪、大男を巴投げ。
ドスンっ、という音とともに大男が床に転がる。
我ながら決まった。
剣道のほか、柔道も叩きこまれた成果。この身体でできるかどうか不安だったけど、なんとかなるんだ。
「……へ?」
大男は夢でも見ているような顔で私を見上げた。女将さんや騒ぎを聞きつけて集まってきた娼婦たちも呆然と立ち尽くす。
「花園の用心棒です。花を傷つけたら黙っていません」
女将さんを倣ってドヤ顔で決めた。
「……こ、この、女のくせにーっ」
再度、掴みかかってきた。
スッ、と躱して、鳩尾に一発。
さらに首の後ろに一発。
大男は呻き声を漏らしながら床で失神した。用心棒ならば肩に担いで表に放りだしたい……けど、重すぎる。メラニーの身体ではマジ無理。
「……す、すごい」
プラチナブロンドの美女が駆け寄り、私の右頬にキス。
びっくりして固まっていると、淡い紫色の髪の美女が私の左頬にキス。
「新入り、やるじゃない」
「こんな用心棒、欲しかった」
「男の用心棒はいつ襲ってくるかわからないから信用できない。彼女がいいわ」
石化している私の額や目尻にキスの嵐。
「女将さん、納得していない女は娼婦として売れないでしょう? 用心棒にしましょうよ」
「男がいないカメリアの花園は狙われているわ。けど、男を雇うのはいやよ。彼女を用心棒にして」
娼婦たちからキスの喝采を浴び、私の顔は口紅だらけ。
戸惑ったけれど、感謝してもらえば単純に嬉しい。父や兄の厳しい稽古に耐えてよかった。警備員のバイトで仕入れたテクも役に立つ。
「……メラニー、やられた。いいよ。客を取りたくないんだろう。用心棒として使ってあげる」
女将さんに肩を叩かれ、私の目から涙が溢れた。
「……あ、あ、ありがとうございます」
気づいたら、檻の中で辛かった。命のない物のように売買されて心が壊れかけた。諦めなくてよかった。
「なんだい? どうして泣くんだい?」
女将さんは茶化しながら、私の頬を伝う涙を指で拭った。
「……ありがとうございます」
「喜ぶのは早いよ。娼館の用心棒なんて命がいくつあっても足りない」
「……は、はい」
「うちは男を雇わない娼館だ。荒くれに目をつけられている。覚悟しておくれ」
用心棒として男を雇用しない娼館は珍しいだろう。私は警備のバイトを思いだし、妙な納得もした。用心棒が娼婦に乱暴する可能性があるからだ。
「防犯システムを整えます」
「……ぼ、防犯システム?」
「はい。防犯システムを整え、皆様が安心して過ごせるように務めます」
「……変な子だけど、気に入った」
以来、私は用心棒として認められ、日当たりのいい個室を与えられ、暴れる客やクレーマーに対処した。
娼館にはあちこちに生花が飾られているように、娼婦たちの名前は全員、花の名前だ。女将さんの名前がカメリア、稼ぎ頭の凄艶な美女がローズ、楚々としたマーガレット、小悪魔タイプのデイジーなど。
私は娼婦じゃないから、花の名前はつけられない。これも女将さんの配慮だ。
馬車が走り、騎士が馬上で剣を振るう世界だけど、魔力持ちの魔女や魔法師が作った魔道具があるから、さして不便さは感じない。伝達の魔道具とか記録の魔道具とか保存の魔道具とか、冷蔵の魔道具とか冷暖房の魔道具とか浄化の魔道具とか、いろいろ、マジヤバい。井戸もあるけど、上下水道も魔道具で整備されている。
私は防犯の魔道具を駆使して、娼館の守りを固めた。深夜、不埒な男が侵入することを防ぐのが第一。昼間、不埒な男が侵入することを防ぐのが第二。朝、不埒な男が侵入することを防ぐのが第三。
「お客さんが暴れるより、金がなくて客になれない男が危険なんだよ」
女将さんに説明されたけど釈然としない。父や兄の影響で男性が苦手だったけど、娼館で男嫌いになりそう。料金を払わず、花と遊ぼうという気持ちがわからない。憤慨して口にしたら、娼館中の女性たちに笑われた。『やっぱり深窓のお嬢さんだ』って。
「メラニーは貴族だと思う。皇帝陛下の顔を見たら何か思いだすんじゃない?」
貴族の客が多いデイジーに差しだされた映像の魔道具には、威風堂々とした皇帝陛下がいた。戦争狂の先帝とは違って名君だと評判だ。
「……何も思いださない」
黒い髭が立派。赤い目にびっくり。感想はそれだけ。
「氷の殿下は?」
映像は皇帝夫妻から皇太子殿下に移る。金髪碧眼が多い帝国では珍しい黒髪だ。瞳の色は皇族直系特有の深紅。
「氷の殿下?」
「氷みたいにクールな殿下だから、氷の殿下って呼ばれているみたい」
言われてみれば納得する。花も凍りつかせそうなクール系のイケメンだ。鋭い双眸は皇子っていうより暗殺者。
「……何も思いださない」
「宰相は?」
映像の魔道具には辣腕宰相がいた。列強と縁談をまとめ、戦争の火種を消していった功労者だ。なのに、底辺への政策はない。……ま、救済する施設が建てられたけど、実態は横領と賄賂の現場で肝心の女性や子供は助けられていないという。
「デイジー、どうして、そんな映像を持っているの?」
テレビもインターネットもないから、平民にやんごとなき方々の顔を見る機会はない。ただ、カメラのような映像の魔道具で保存された姿を見ることはできる。通信機能がついた魔道具ならば、一枚の映像を何台もの魔道具に送ることができた。どこかのお貴族様から送られたのかな?
「馴染みの客がチップと一緒にくれた」
私が欲しくて送ってもらったわけじゃない、とデイジーは言外に匂わせている。
「どうして?」
「私に何かさせたいんだと思う」
ふふっ、とデイジーは蠱惑的な笑みを浮かべながら魔道具を操作した。外交を担当する外交のトップや財務のトップなど、帝国の主要メンバーが揃っている。
「どういう意味?」
「映像の人物が娼館にお忍びでやってきたら密告しろ、ってことかな?」
人も金も集まる帝都のほうが娼館は多いし、娼婦を求める男性客も多い。高級娼婦を抱えた高級娼婦も軒を連ねる。けれど、帝都から遠く離れているからこそ、高位貴族は忍んで遊びにくるという。女将さんの狙い通り、上客が集められたそうだ。
「……そ、それは何?」
「メラニー、覚えていて。娼館は情報戦の最前線とも言われているの」
「情報戦?」
父の友人だった軍事評論家を思いだした。情報戦を制さなければどんな戦争にも勝てない、と。
「生まれながらの婚約者と婚約破棄したいお坊ちゃまが娼婦に金を積んで依頼したこともあったわ」
「婚約者の評判を落として婚約破棄に持ちこむの?」
「評判を落とすだけじゃ決定打にならないけど、婚約破棄のきっかけになるから」
「結婚したくないなら、話し合って婚約破棄すればいい。どうして、わざわざ婚約者を貶めるの?」
「甘いよ。そんなの、自分の評判を落したくないから、婚約者を悪者に仕立て上げるの」
有利な立場で婚約破棄したいのだろう。説明されてみれば腑に落ちる。けれど、胸がムカムカする。
「……怖い」
「そう、お貴族様の世界は怖いんだ。できるだけ関わりたくないけど、チップが違うからね」
娼館はただ単に男の欲望を果たす場所じゃない。特にカメリアの花園のように綺麗な花を揃えた娼館では。
どんよりした気分を振り切るように、厨房で胡桃入りのパウンドケーキを焼いたら大絶賛され、スイーツ担当になった。
読み書きができたから帳簿も手伝う。女将さんに感謝され、私はただただ単純に嬉しかった。私、役立たずじゃない。役に立っているんだ。
瞬く間に一月過ぎた。
娼館というわりに淫靡なムードはなく、女将さんが肝っ玉おかあちゃんタイプだから家庭的だ。居心地の良さを感じた。
「メラニー、本当にいい家のお嬢さんだったと思うよ」
私が帳簿をつけていると、女将さんが感心したように言う。今のところ、没落貴族の娘説が強い。
「そう思いますか?」
メラニーの実の両親に会ってみたい。自分でも不思議だけど、令和の日本に帰りたいとは思わなかった。道場主の娘として不甲斐ない自分に嫌気が差していたし、役立たずとして家政婦扱いされる日々にも疲れた。……うん、今、身寄りも何もないけど楽しい。
「平民でこんなに読み書きができるのはいない。計算も得意じゃないか」
皇帝陛下を頂点にした身分社会で、平民の教育システムは整えられていない。学校はあっても、貧しい平民には手の届かない場所だ。
「私、いったいどこのメラニーなんでしょう?」
奴隷商人の顔や声は覚えているけれど、名前はわからないし、アジトもわからない。手がかりは、私を娼館に売った白い髭の老人だけ。名前はイーモン。
「あの日、メラニーを売ったイーモンは女衒だ。最初からメラニーを転売するつもりで奴隷商人から買ったんだろう」
女将さんと女衒のイーモンは旧知の仲だという。そうでなければ、女性を即決で買ったりはしない。
「イーモンはまた来ますか?」
イーモンに奴隷商人について尋ねたい。メラニーを檻の中に閉じこめた奴隷商人ならば、メラニーの家族を知っているはず。
「忘れた頃にやってくる。誘拐した女を扱ったことは一度もないから信用していた。……まぁ、そのうち来るさ」
「はい……それにしても、女将さん、今まで損してきましたね」
店で直接買えばいいのに、業者に届けてもらうから高値になるし、三流品を買わされる。私がチェックして注意すると出入りの業者は慌てた。
「遠いけど、これから頼むよ」
買いだしを任され、私は勢いこんだ。食材や日用品を売っている町の中心は遠いけど、歩けない距離じゃない。
いでよ、交通費節約のために歩き続けた日々の体力。
うなれ、見切り商品ゲット能力。
「はい」
「相談なんだけどね」
「どうされました?」
「娼婦でも読み書きができるか、できないか、だいぶ違う。教えてやってくれないかい?」
「大賛成、教えます」
娼館の女性たちに文字の読み書きを教える。全員、悲鳴を上げながら真剣な顔で勉強してくれた。誰も好きで身体を売っているんじゃない。家族のため、生きていくため、仕方がなく受け入れたんだ。
メラニー、今、あなたはどこにいるの?
家族に売られたショックで亡くなってしまった?
私は令和の日本で早死にした後なの。
私、メラニーとして生きているよ。
いいのかな?
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