日和堂あやかし恋語り
雪嶺さとり
第1話
「ようこそ日和堂へ。お祓い、治療、なんでもいたします」
水明町の外れにある、小さな店。
手書きの暖簾をくぐれば、四方を薬棚に囲まれ、様々な物品の並ぶ異空間が広がっている。
その中央に鎮座するは、一人の娘。
彼女の名は
この「
ここへは様々な患者が救いを求めてやってくる。
というのも、彼らが患っているのは普通の病ではない。
呪詛、怨念、あやかしがらみ、そういった通常では治せない特殊な奇病だ。
早苗は自身の祓い師としての力を用い、彼らの病を取り除くことを生業としている。
都の方ではやれ文明開化だの外つ国がどうのと騒がしいが、古来より呪術と共にあるこの国では今の世になっても早苗のような職業の者はごまんといる。
そして、そんな早苗の隣に常にいるのは
彼は早苗の助手を名乗る、早苗の恋人である。
正確には、早苗の恋人であり、恋人であった男だ。
少し長い黒髪を後ろで軽く結い、黒の着流しをまとう姿は色男のようでありながら、その長身は威圧感さえ感じる。
しかし、そんな彼は口を開けば底抜けに明るくおおらかに笑う、見た目に反した性格をしていた。
冷静で落ち着いた性格の早苗と対照的に、明るく陽気な時仁は、ひっそりとした小さなこの店に、賑やかさを与えている存在だ。
しかし。
その男があやかしであることを人々は知らない。
ある冬の朝のことだ。
「はー、さみぃさみぃ……はやく早苗ちゃんにくっついてあったまりたいぜ」
水明町の外れにひっそりと佇む「日和堂」という店の前で、背の高い青年が雪をせかせか退かしている。
昨夜は雪がたんと積もった。春の気配はいまだ遠いようで、いい加減暖かな日差しが欲しくなってくる。
この調子ではおそらく明日も明後日も変わらないだろうが、彼にとっては、大好きな恋人のためのお手伝いなら気にならないことだった。
彼の名は時仁。苗字は無い。ただの、時仁である。
この「日和堂」の店主である早苗の助手兼恋人の青年だ。
そこへ、一人の女性が遠慮がちに声をかける。
「あのう、どんな病気でも治せる祓い師さんがいらっしゃる店は……こちらでしょうか?」
縞模様の着物に羽織り姿の女性は怪訝そうな顔で、古びた木造の外観に手作り感満載の手書きの暖簾という店に目をやる。
女性の手元には紙切れがあり、おそらくここの住所が書かれているものなのだろう。
しかし、本当にここで大丈夫なのかと疑っていて、どうにも足踏みしているといった様子。
そして、黒い着流し一枚という薄着で寒い寒いとぶつぶつ言っている大男が店先にいるのだから、尚更声をかけようにもかけずらい。
綺麗な顔をしているものの、鋭い目つきは凄味があって、この先にあるのが祓い屋というよりやくざ者の集まりと言われた方が納得できよう。
だが時仁はそんな女性の疑いの目も気にせず、ぱあっと顔を明るくした。
道具をそのまま置き去りにし、一目散に店の中へ声をかける。
「早苗ちゃん早苗ちゃん!お客さん来たー!」
見た目は背の高いどことなく威圧感があるような青年だったのに、口を開けばこの様子だ。
大きな体で、声も成人男性のもの。それなのに子供みたいにはしゃいでいるものだから、女性は呆気にとられてしまっている。
「ようこそ、日和堂へ!外は寒いから、こっちであったまっててな!」
ぽかんとしている女性は時仁に店の中へ連れられて、火鉢の前の座布団に座った。
手際よく時仁が茶とお菓子を持ってきたので、居心地の悪さを感じつつもそれを味わいながら少しの間女性は店主が来るのを待っていた。
彼女は不安げな顔で店内を見回している。
店内は四方を薬棚に囲まれ、何に使うのか分からないような道具が並んでいる。
祓い屋らしいお札や錫杖、裏表に鏡面がある鏡、妙な長さの定規など。
何のあやかしか分からないようなお面、天狗の扇のようなものまで。
中には玻璃でできた置物のような舶来品と思しき目新しいものまであるが、店内の独特な雰囲気にのまれて、興味本位で迂闊に手を出すことははばかられた。
そうしているうちに、ふと、鈴の音が規則正しい間隔で室内に鳴り響く。
しゃん、しゃん……という音と共に現れたのは、一人の少女。
薄藤色の着物をまとった小柄な少女は、鈴の音を鳴らしながら女性の前に座る。
「ようこそお越しくださいました。本日は、どのようなご要件で?」
見た目は十六、七ぐらいだろうか。
幼さが少し残る顔立ちに似合わず、淡々とした口調で少しも笑うことなくそう言う。
先程から居所を示すかのように鳴っている鈴は、髪を左肩の下で緩く結わえており、その飾りに鈴がついていて、それがずっと鳴っているのだった。
「あなたが、祓い屋さんなの……?お父上かお師匠さんはいらっしゃらなくて?」
女性はますます怪訝そうな表情になる。
風変わりな店内に、不思議な少女と傍らに寄り添う謎の男。
状況だけでも既に奇妙なことになっているのに、こんな年端もいかない娘が祓い師なんて言われても何かの間違いなんじゃあないか。
女性はそう言いたげな困り顔だ。
「お師匠は三ヶ岳の郷におります。父はおりません」
「あらあ、そうだったの、ごめんなさいね……」
なんの感情もなくそう言った早苗だったが、気を悪くしてしまったのかと、女性は慌てて謝った。
そんなつもりではなかったので、早苗は首を横に振る。
「いえ、良いのです。この見た目では大人にも見えませんでしょうし、それは私も重々承知しております。お気になさらず」
これは早苗にとっては毎度のやり取りなのだ。
初めて来るお客はいつも、父親か師匠か、誰でもいいから他の者はいないのかと尋ねてくる。
だが残念ながらこの店にいるのは早苗と時仁だけだ。
むしろ易々と信じてしまう方が不安になるので、これぐらい疑ってかかられるぐらいの方がちょうどいい。
ただでさえおかしな組み合わせで商売をしているのだから、同業者たちと比べて自分が異色なことを早苗はしっかり自覚している。
「お姉さん、一応言っとくけど、早苗ちゃんは凄腕の祓い師だよ。俺が保証する。心配しなくても大丈夫だって」
ドンと胸を張ってくれるのは嬉しいが、それに説得力はあるのだろうか。
「あなたが保証したところでお客様にとって意味はありませんよ」
横からそう言った時仁を宥めると、彼は確かにと笑った。
「それで、要件を聞いても?」
「ああ、えっとねぇ……」
戸は閉まっているので誰かに聞かれる心配は無いが、女性はそわそわしながら声を潜めてゆっくりと話をはじめる。
「うちの妹が、その……変な病気にかかってしまってね。お医者様にかかろうにも、ちょっとあまりにおかしなものだから……」
色々と言葉を濁しているが、彼女が求めているものは何か、それだけですぐに分かった。
「なるほど、奇病祓いですね」
日和堂は普通の祓い屋ではない。
呪詛、怨念、あやかし……それらにまつわる奇妙な病。
早苗は、そういった不可思議なものを祓うことを生業としている。
その手の病なら医者を頼ることもできないだろうし、なにより見た目がおかしくなる場合が多いので、近隣に知られることさえはばかられるものだ。
それでも、彼女は妹の為にここまで来てくれた。
「一体誰に相談しようかと悩んでたんだけどねぇ、遠十郎さんから、あなたたちを紹介してもらったのよ。遠十郎さんが言うならって来てみたんだけど……」
「遠十郎さんのご紹介でしたか。なら、お勘定は二割お安くしますよ」
遠十郎は反物屋の跡取りでありながら、祓い師の協会の運営に携わっている人物だ。
繊細な美しい顔立ちと対照的に男前な性格をしており、そういう対比が女性たちにとても人気がある。
早苗も昔から頼りにしている人で、あまり表立って活動しない日和堂に客を紹介してくれていたもする。
「まあそうなの?あっ、でもお値段って」
料金の話が出た途端、女性は不安げな顔になる。
「ウチはまともな料金でやってるから、安心してよ」
時仁がそう言うと、女性はようやくほっとする。
なんの霊力もないのに、祓い師を名乗り霊媒師気取りで詐欺まがいの商売をする人間が少なからずいるものだから、やはり料金は一番警戒するところなのだ。
しかし、日和堂は至って普通の代金しか貰わない。
日和堂だけ安く客を取れば他の祓い屋の客を取りかねないので迷惑になるし、逆に高く取っても同じことになる。
特殊な職種ゆえ、同業者との連携は大切だ。
「妹さんの症状について、教えていただけませんか」
「ええ……ですが、これは直接診ていただいた方が良いかと思うんですよ」
言いたくない、というよりも、どう言い表すべきなのか分からないということらしい。
「それほど遠くないので、一度、うちに来て診ていただけませんか?」
「もちろんです。行きましょう」
早苗が鈴の音を響かせながら立ち上がる。
仕事道具を携え、女性の案内で彼女の家まで行く。
が、その前に。
「あ、時仁……その格好、どうにかならないかしら」
「どうって……どう?」
首を傾げている時仁の手を引っ張り、奥に引っ込んでいく。
「だから、普通の人はこの季節にそんな格好してたら風邪ひいちゃうの。もっと温かい格好にしてちょうだい」
早苗は問答無用で時仁の着流しを剥ぎ取ると、ちゃんとした服装になるよう他の着物を持ってきて、せかせかと着付けている。
「別に早苗ちゃんがやんなくてもいいよ」
早苗が手ずから着替えさせてくれたことで、時仁は照れたように嬉しがっているが、こちらはそれどころじゃない。
「私がやった方が早い。お客様をおまたせしてはいけないわ」
黙っていれば風流な色男に見えるが、真面目な顔つきも一瞬のこと。
時仁はへらりと笑った。
「ちゃんと人に見える?」
「ええ。そのかわいい耳を出さなければね」
早苗は手を伸ばし、時仁の頭を撫でる。
彼の頭部には、ふさふさの毛が生えた犬の耳が現れていた。
早苗が優しく撫でると、それはすぐに引っ込んだが、時仁は早苗に触れられると気が抜けるのか、耳やしっぽを出してしまう。
時折、わざとなのかと思うくらいには。
時仁は人間ではない。狛犬のあやかしである。
三ヶ岳の郷で怪我をして死にかけていたところを早苗が拾ったのがはじまりだった。
時仁の人の姿を見た時は、治療を終えて元気になったと思ったら、拾った大犬が人間の男の姿に化けたのだから大変驚かされた。
そのまま森に帰すつもりだったが、どういうわけか時仁は早苗にすっかり懐いてしまい、師匠も諦めて時仁を住まわせることを許してくれた。
早苗も成長するにつれて、時仁が自分に向ける感情がどうやら友人同士のそれとは何かどこかが違うことを察しつつ、突き放せないまま何年も日々は経つ。
そのうちに早苗もすっかり絆され、二人はなるべくしてそういった関係になったそうだが、それら全ては『今の』早苗は知らない話だ。
ついでに言えば、早苗が知らなかったのはあやかしの持つ執着心も、かもしれない。
時仁は早苗が全てを忘れてしまっても、決して離れようとはしなかった。
そういうわけで彼は、郷で早苗と出会って恋に落ち、以来彼女の助手として早苗の隣にいる。
「なんか、こうやって着替えさせてもらうのは、昔を思い出すな」
「昔も、よくやっていたの……?」
時仁は早苗のことを愛している。
例え、彼女がもう何も覚えていなかったとしても。
「うん、まあな。そのうち思い出せるよ」
少し顔を曇らせた早苗を気遣うように、時仁は自分がしてもらったように、彼女の頭を撫でる。
早苗には過去の記憶がない。
一年前に全て、時仁に関する記憶だけを失ってしまった。
その経緯には深い理由と彼らの拗れた関係性があるが……今は、深く語るべきことではない。
感傷もわずかな間のことだけだと、二人は颯爽と店を出て患者の元へ向かった。
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