ATAMA 〜生首徒然物語集〜
三谷銀屋
りんご色の思い出(お題1「むかしばなし」)
よく熟れたりんごのように艶やかな赤だった。
あの日の夕暮れ空を染めていた太陽の色のことだ。
幼かったぼくは父と手を繋ぎ、美味しそうなりんご色の空を見上げていたのだった。
空から一本の縄が垂れ下がっているのをぼくは不思議に思って眺めていた。縄の上端はどこに繋がっているのか、目を凝らしても全く分からなかった。そして、その縄の下端には、墨で塗りたくったかのように全身真っ黒な人間が俯きがちにブラリとぶら下がっていた。あの光景を今も鮮明に思い出すことができる。
「ごらん、
父が優しい声で教えてくれる。
アスファルトの道路からは、にょろにょろと蛇のようなものが何本も生え、罪人に向かって我先にと争うように上へ上へと伸び続けていた。
よく見れば、その一本一本は異様に長い、痩せた腕であった。
腕達はやがて、中空にぶらんと吊り下がる罪人の体に到達する。
そして、大きくて骨ばった掌で罪人の脚を、腕を、肩を、腹をがっしりと鷲掴みにするのだ。指の先が食い込む程に。
罪人の体は下に引っ張られる。徐々に地面に向かって下がっていく。しかし、天空から下された縄に括り付けられた頭部の位置は変わらなかった。
結果、罪人の首は餅のように伸びる。伸びて伸びて伸びて……細くなる。
「あっ」
ぼくは短く声を上げた。
ぷつん、と音がしたと思ったのは幻聴だったか。
首が千切れ、罪人の胴体と頭部は遂に分裂した。
ばしゃん、と水風船が割れるような音がする。アスファルトに叩きつけられた胴体はりんご色に染まっていた。
地面から生えた腕達の集団は、その体をわしゃわしゃとやたらと撫でまわし、懸命に揉みしだいているようだった。
ゴリ……ゴリ……ゴリ……。
鈍い音が静かな夕暮れの中に響く。
骨を折る音だったかもしれない。
ぼくは恐怖で動けなくなり、父の手をぎゅっと握っていた。
しかし、父はずっと顔を上げて上空を眺めたままだった。
おそるおそる父の視線の先を追う。
歪な輪になった縄の先がまず最初に目に入った。
罪人の首を締めつけていた縄だ。
しかし、そこに罪人の頭部はなかった。
ははは……ははは……ははははは……
誰かが哄笑している。
笑い声は上空から聞こえた。
ぼくは視線をさらに高く上げる。
罪人の頭が飛んでいた。鳥のように、髪を翼のように広げて。飛びながら笑っているのだ。
「人はああやってね……首から上だけになることで自由になれるんだよ」
父の声はいつも以上に優しく、穏やかで、朗らかで、明るかった。
ぼく達は、飛び去っていく罪人の頭がだんだん小さくなり、やがて夜の闇に溶けてしまうまで、その生首を見送っていた。
記憶の底に横たわる、昔の話である。
きっとあれは夢だったのだろう、と今では思う。
でも、ただひとつ確かなことがある。
今、ぼくの腕の中には、刈り取ったばかりの父の首がある、ということだ。
まだ温かい。
頭だけになった父を改めてまじまじと見ると、あの頃よりも白髪も皺も増えているのがよく分かる。
ぼくの部屋の窓からはりんご色の日光が差し込み、ぼく達を照らしていた。
父の生首は飛びもしなければ、笑いもしない。
ただ静かに夜が来るのを待っている。
父は自由になれたのだろうか?
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