第16話 本音と苛立ち 2


 そのうちにもう何も言いたくなくなって、こちらも黙って空を見ていた。

 ゆっくりと流れていく雲を眺めていると、風に乗って、子どもたちの声が聞こえてくる。鬼ごっこでもしているらしく、ペリーネが鬼になったのだろう、わーわー言いながらみんなを追いかけているようだ。

 ペリーネはさっさと捕まえるよりも、つかず離れず追い回して楽しむというちょっと変わったことが好きなので、ちゃんとやれよー、とドリーに文句を言われている。

 でも、ずっと笑いは絶えないで、離れたところにいる俺たちにも届いてくる。

 みんなの楽しげな声が、俺のくさくさした気持ちを払ってくれた。


「リリア様はこの国でも最上位の家格を持つ、由緒正しきお方です。それ故に周囲の在り方も、求められるものも常人のそれとは違い……本人がどう思っていたかはわかりませんが、少なくとも私は、そんな環境が好ましくありませんでした。……いえ、違いますね。私は嫌いでした。吐き気がするくらい」


 ベアトリーチェがぽつぽつと語り始める。

 自分で自分の言葉に嫌気がさすのか、苦々しげに彼女の顔が歪む。

 次第に速くなっていく呼吸に、仄暗い怒りが滲んで溢れ出している。


 「人を人とも思わない、陰謀ばかり渦巻く地獄の窯。信頼はあっさりと裏切りに打ち砕かれ、欲に群がる邪な者たちから脅かされ、常に他者を疑っていなければ心休まらない……そんな家に生まれたばかりに、彼女は幼くして笑う事が出来なくなってしまった。私はそれを傍で見ていながら……」


 俺は何も言わずに、リリーの顔を思い浮かべた。

 最初のあの怯えようはそういった経緯があったのか。

 大人ってのはどいつもこいつも、子どもを道具か何かと勘違いしてんのか。

 俺たちにだって考える頭も、感じる心もあるのに。


 「先程の発言は、取り消します。よく知りもせずに、無神経だったのは私でした。つくづく私も、嫌な貴族であったのですね……。あなたにも謝罪を」

 「いや、俺の方こそ、ズルい言い方をした。態度も悪かったし……すみませんでした」


 しばらくしてベアトリーチェがこちらに向き直り、深く頭を下げた。

 俺も同じく頭を下げると、彼女はふっと軽く噴き出す。


 「あなたは、本当に子どもらしくないですね。年齢を偽っていたりしませんか?」

 「見たまんまの年だよ。まあ、ちょっと他人より背伸びしてるかもしれないけど」

 「背伸び? ふふ、面白い冗談ですね。私とそう変わらないように思えますよ」

 「ベアトリーチェさんの歳って?」

 「女性に年齢を聞くものではありません。まだ将来を棒に振りたくないでしょう?」

 「失礼いたしました」


 張り詰めていた空気を抜いていく。

 ベアトリーチェは井戸の端に腰掛けると、小さく息を吐いた。

 

 「でも、ここへ来てよかったと思っているのは本当です。まだほんの数日ですが、リリー様があんなに楽しそうにしておられるお姿は初めて見ました。特にあなたといるときは、本当にうれしそうで、まるで花が咲いたように心から笑っておられて……。私にはできなかったことです。あなたには感謝しても、し足りません」

 「……ふーん」


 この人は本当にリリーを案じているんだな。

 一介の騎士としてではなく、一人の大人の女性として。

 何故この人がここに派遣されてきたのか、よくわかった。

 さっきは少し熱くなってしまったけど、本来は理性ある人なんだ。

 貴族としては変わってるのかもしれないけど、そういう意味ではハロルドさんと近いのかも。


 世の中、こういう人ばっかりならいいのにな。

 どっかのいけ好かない長髪騎士にも、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 

 「まあいいんだけどさ、結局リリーの事情について具体的なことは何一つ聞けてないんだけど」

 「いくらなんだって、あまり踏み込んだ話はできませんよ。あなたたちを要らぬ危険に巻き込んでしまう」

 「うちに連れてきた時点で今更じゃないの?」

 「それでも、知る知らぬではずいぶん違います。貴族の闇の部分を知ってしまえば、平民に命の保証はありませんから」

 「それ、もう言っちゃってるようなもんじゃん」

 「え? あ……!」


 おいおい、ちょっとこの人大丈夫かな。

 少し腹を割って見せたと思ったら、気を許し過ぎじゃないか?

 というかもう完全に接し方が子どもへのそれじゃないし。

 まあ、それは俺も同じか。


 「あ、あの、今の話は無かったことに」

 「いやー無理でしょ。陰謀とか裏切りとか、口滑らせすぎだし。実は騎士に向いてないんじゃないの?」

 「うう……」


 しょんぼりと肩を落とすベアトリーチェ。虐めすぎちゃったかな?

 ま、それだけ俺を信用してくれたってことだし、俺も相応の心遣いをしなきゃな。


 「でも、よくわかったよ。話してくれてありがとう、ベアトリーチェさん」

 「いえ……これでもしあなたに危害が及んだりしたら、私は……」

 「それでも、俺は知れて良かったって思うよ。リリーのこと、ちゃんと考えてくれてる人がいるってわかったし」

 「……こちらこそ、話せてよかった。ありがとう、ゾルバ」


 先程までの険悪さはどこへやら。

 いがみ合っていたのが嘘みたいに晴れやかな気持ちで言葉を交わす。

 俺も彼女も言いたいことを言った。言い合えた。それで終わりにしよう。

 俺にとってこの世界で初めて、気の置けない友人が出来たかもしれなかった。


 「で、本当は幾つなんですか?」

 「だから五歳だって」

 「嘘。魔法か何かで誤魔化しているんでしょう?」

 「違うって。色々あって、階段をすっ飛ばしてきたんだよ」

 「……そういうことにしておきましょう」

 「信じてないな? けど、嘘は言ってないからな。魔法だってついこの前から習い始めたばかりだし」

 「習い始めた?」

 「ああ。リリーがさ、教えてくれてるんだよ。今はまだ魔力を流してもらって、感じるところまでしかいってないけど。あいつ、教えるの上手いんだぜ。将来は教師なんか向いてるかもな」

 「……そうですか。きっと生徒に大人気でしょうね」

 「絶対に美人になるしな」

 「……一応、言っておきますが、粗相をしたら首を刎ねますからね?」

 「す、するわけないだろ。相手は五歳だぞ。っていうか俺も五歳だし!」

 「あら、理解できる時点でおかしいって思いません?」

 「ノーコメント」


 いかんいかん、柄にも無くおしゃべりになってるな。

 気が付けばずいぶんと話し込んでしまった。早く戻らないと、またリリーとミルフィにどやされちまう。

 俺たちは水を汲みなおすと、急ぎ足で孤児院へと戻った。


 ……仲良くなった俺たちを見て、ミルフィがまた拗ねてしまったのは言うまでもなかった。

 そしてリリーも、お昼のあいだじゅう口をきいてくれなかった。

 それを見て微笑ましそうに笑っているベアトリーチェがちょっと恨めしかった。


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