第23話 魔骨が見せた記憶の世界

「隊長、竜宮閣隊長──ッ!! 奇襲です!!」


 半分に欠けた月が浮かぶ夜空の下に、何処か聞き覚えのある声が響き渡った。静かな夜の静寂を切り裂く大声は、人の気配がない周囲によく反響する。その声を天敵の襲来と勘違いしたのか、枝で眠っていた山の鳥たちが一斉に空へと飛翔した。

 声の主は、私が以前対面したことがある男──薬師院大志。

 権力を信奉する、決して好青年とは言えない男だ。帝国軍の軍服に身を包んだ彼は片手に抜身の刀を持ち、額に作った切り傷から多くの血を流していた。

 この記憶は、戦時中のもの。

 大志の姿から私が察した時、響き渡った大志の声に応じたらしく、校舎の正面玄関から一人の青年が姿を現した。茶に染まった短い髪と、切れ長の同色の瞳。身に纏った軍服の下には逞しい体つきが想像でき、腰元には、私と史輝が地中から掘り起こしたものと同じ装飾の刀を装備している。

 とても頼りになりそうな彼は慌てた様子で大志に駆け寄った。


「薬師院、怪我は!」

「ひ、額を斬られた程度で、軽傷です! ですが、他の二人は……申し訳ありませんッ」

「──ッ! そうか……こんなところにまで敵がやってくるなんて、想定外だったな」

 

 大志の報告を聞いた青年は苦々しそうに言い、ギリ、と奥歯を強く噛み悔しさを滲ませながら、大志が走ってきた方角に向けて駆けだした。それを見て、大志は額の傷の手当ても忘れ、慌てて後を追った。

 これは、私の脳に刻まれた記憶ではない。少なくとも、私には戦時中の校舎に立ち寄った経験はないし、ましてや奇襲を受けた軍人を目撃したこともない。

 これは──魔骨が私に見せた記憶である。触れろと訴えた魔骨が見せたかった、知ってほしかった、全て。この先にどんな光景が待ち受けているのかはわからないけれど、平和なものではないことだけは理解できる。既に不穏な空気は漂っているし……何より、大志に竜宮閣と呼ばれた軍服の青年。

 恐らく、彼は透花様の婚約者だったという、竜宮閣明臣だ。大志は彼の部下だったと聞いているので、間違いないだろう。

 そして──彼は故人である。

 その事実を先に知ってしまっている以上、戦時中の奇襲という状況を鑑みる以上、この先には悲劇が待ち受けていると予想するのは容易なことだった。

 これから自分は、竜宮閣明臣の死。その真相を知ることができるのだろうか。

 頭の片隅でそんなことを思った時──視点が切り替わった。

 校舎の傍ではなく、桜の木が立つ川沿い。現実の世界と同じく枝には満開の桜が幾輪も咲き乱れている。落ちた花びらが地面を同色に染めている光景も、同じだ。

 唯一違うのは……花びらで覆われた地面に、赤が混じっているということ。付け加えるならば、木の傍には切断されたと思しき腕、そして刀が転がっている。蛇口から流れる水のように夥しい量の血を根に注ぐ腕の持ち主──明臣様は、苦悶の表情で眼前にいる大志のことを睨みつけていた。

 一方の大志は、重傷を負う明臣を助けるようなことはせず、血で濡れた刀を片手に持ち、不気味なほどの笑顔を浮かべていた。その猟奇的な笑みは、心の底から不快になるもの。

 大志が明臣の腕を切り落とした。この光景を見れば、それを察するのに一秒とかからなかった。


「何の真似だ、薬師院ッ!」


 怒気を多分に孕んだ声。しかし、それを真正面から受けた大志は微塵も怯んだ様子を見せず、笑みを浮かべたまま答えた。


「見ての通りですよ、隊長。俺は今から貴方を殺します」

「……他の二人は」

「既に始末しました。見られて、本部に報告されるのは不都合ですからね」


 何でもない、さも当然のことを言うように、大志は他の殺人を自白した。後悔や反省の色は一切見られない。代わりに、その表情に見られるのは──達成感に満ちた微笑だった。左手の拳を固め、白い歯を見せる。


「思えば、ここまでとても長い道のりだった。貴方の隊に入隊して、ある程度の信頼を得るまで本性を隠し続けるのは楽じゃなかった。途中で何度も心が折れかけましたが、諦めなくて本当に良かった。これで、願いの成就に近付く」

「目的はなんだ。恨みか?」


 腕の切断面を必死に押さえながら明臣様が問うと、大志は少し考える素振りを見せた後、


「まぁ、その出血量。助かる道理はないので教えますよ」


 そう言って、手にした刀の白刃に付着していた血を払い、言った。


「私はより強い権力が欲しい。子爵家よりも、更に強いね」

「? それで俺を殺すと?」

「隊長を殺すのは、目標の過程でしかありませんよ。少し考えればわかるでしょう? 下位の貴族が上の権力を手に入れようとするなら──上位の家に婿入りするのが一番手っ取り早い」

「! まさか……」


 大志の目的を察した明臣様は血相を変える。その様子を面白おかしそうに眺め、大志は白い歯を見せ、ニヤ、と笑った。


「貴方の婚約者──五百旗頭透花との婚約は、私がいただきます。当然、愛などありません。全ては私が、権力を得るため」

「ふざけるな──ッ!!!」


 余裕綽々といった様子の大志とは対照的に、明臣様の顔には大きな焦りが見て取れた。

 このままでは、自分は死ぬ。そうなってしまえば、婚約者を亡くした透花様には新たな縁談が舞い込むことになるだろう。悔しいが、大志は伯爵家の結婚相手としては申し分ない家柄。彼が上手く取り繕えば、透花様の父である伯爵を騙すことは他愛ない。明臣様が今の今まで、騙されていたように。

 それは必然、幸福な結婚ではない。愛のない結婚を強いられ、権力のために利用される透花様の人生を考えると、心が苦しくなる。透花様を本気で愛している明臣様にとって、その未来はどれだけ苦しく、許せないことか。私の想像を遥かに超えるものだろう。

 この状況を何とか切り抜けないと、愛する人に危険が及ぶ。頭では理解しているが、明臣様は中々行動を起こせずにいた。

 それはそうだろう、と私は思った。大志は刀を構え、いつでも明臣様の命を刈り取ることができる状態。片や、明臣様は武器がないどころか、片腕を失っている。勝ち目がないどころか、逃げることさえ不可能だろう。

 八方塞がり。追い詰められた明臣様は、ここで命を散らすのか。

 彼の死を知っている私がそう考えた──時。


「う、おおおおおおおおおおッ!!」


 傷口を押さえるのをやめ、迷いを断ち切り、覚悟を決めた表情を顔面に張り付けた明臣様は、せめて一矢報いようと大志に向かって突撃する。捨て身上等。一撃を与えることさえできれば、それでいい。

 気迫と思いが伝わる中、大志は悠々と刀を両手に構え──一閃。迫る明臣様の身体を横に切り捨てた。虚空へ飛び散る鮮血。命の源泉を失った明臣様は見開いていた目をゆっくりと下ろし、その場に倒れ伏した。

 微かに動いていた身体はやがて完全に動かなくなり、横隔膜の動きまでもが停止した。

 動かなくなった明臣を見下ろしていた大志は無情にも、片足で彼を転がし、川の中へと蹴落とした。


「さようなら、隊長」


 川の流れと共に消えていく明臣様に一瞥さえ向けず、大志は大きな仕事をやり遂げた後のような清々しい顔で、桜の根もとに落ちていた明臣様の腕と刀に近付いていった。


 ──透花。


 今にも消えてしまいそうな明臣様の声が聞こえ、再び視点が切り替わった。ここはきっと、水の中。降り注ぐ月光が水面で美しく輝いているのが、ぼんやりと見える。

 同時に、理解した。これは、明臣様が最期に見ていた光景なのだと。伝わってくる心境や感情は、全て彼が最期に抱いていたものだ。悲しく、虚しく、悔しく、そして──最後まで、透花様に対して強い愛を抱いていたことを、感じさせる。

 これ以上ないほどの、無念の死だ。透花の未来を心配する不安と、大志に対する強い憤りが混ざった、複雑な気持ち。この世界に大きな未練を残す、最悪の死に方と言ってもいいだろう。とても、心が痛む。

 明臣様の壮絶な最期に、私自身も感情の波に飲まれた。最悪な結末を迎えた明臣様に対する悲しさや、幸福を破壊した大志への怒り、報われない二人への虚しさなど、大きな負の感情が一気に押し寄せている。

 嗚呼、最悪だ。

 胸中で零した私は、行き場のない大きな感情の渦に舌打ちし──記憶の世界から浮上した。

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