第7話 書庫と文献調査

 食器類を台所へ運んだ後、私と史輝は事務所の地下にある書庫へと移動した。

 黒一色の扉を抜けた先に広がるのは、視界を埋め尽くす無数の本棚。その全てには膨大な数の本が隙間なく収納されており、総数は軽く二千を超える。

 納本されている書物の大半は魔骨に関係するものだ。魔骨に関する詳細な説明や、これまでに発見された魔骨の図鑑、研究論文、考察、事件の記録など、ここに来れば大抵の魔骨に関する情報や知識を得ることができると言っていい。

 鼻腔を擽る古びた本の香り。それに落ち着きを覚えつつ、私は早速調べものを始めようと、手近な本棚へと近寄る──寸前、右肩に手を置かれたため、足を止めてそちらへ首を向けた。


「な、なに?」

「作業に入る前に、僕の説明を聞いてください」

「説明って……一体何の?」


 思い当たることが見つからず、私は小さく首を傾げた。

 説明と言うのなら寧ろ、私のほうがしなくてはならないと思うのだけど。これから資料を漁る上で、史輝には目ぼしい書物を持って来てもらわなくてはならないから。

 一体、史輝からはどういう説明が? 頭に疑問符を浮かべていると、史輝は私の手を引き「こちらへ」と、部屋の隅へと誘導する。文句も言わずに追従し……やがて視界に映ったものに、私は疑問符の個数を増やした。


「……なにこれ」


 私の眼前に広がっていたのは、いつの間に準備したのかもわからない休憩スペースだった。柔らかな赤いソファにクッション、毛布。近くに置かれたサイドテーブルには目覚まし機能付きの時計。小休憩や仮眠をするための物は、完璧に揃えられている。ここでしばらく過ごしてしまえば、もう資料探しに戻れなくなりそうな、危険な誘惑が漂っている。

 なんでこんなものを? 私の問いに、これらを準備した史輝はごく普通のことを言うように答えた。


「恐らく、これから数日程度、先生はこの書庫に籠ることになるかと思います。入浴や食事など、生活において必要最低限のことをする以外は、この部屋から出てこないことは容易に想像できる」

「まぁ、うん。そのつもりだけど」


 肯定すると、史輝は何か、可哀そうなものを見るような目で私を見やった。


「ただでさえ、一人では人間としての生活を送ることが難しい先生です。放置すれば、更なる駄目人間へと昇華してしまう可能性が高い」

「私になら悪口言ってもいいと思ってない?」

「はい!」

「元気に返事しないでよ……」


 想像以上の良い返事と良い笑顔に、私はどんよりと肩を落としてソファの背凭れに両手をついた。助手の口が悪すぎる。最近の悩みだ。

 私の溜め息に気づかずか、史輝は「そんな冗談は置いておき」と、まるで今の返事は嘘であるかのように良い、サイドテーブルに置かれていた時計を手に取り文字盤を指さした。


「目安ではありますが、二十二時に就寝し、最低七時間は眠っていただきます。また同じ姿勢のまま過ごすと身体が凝り固まりますので、適度な柔軟運動も忘れないように。食事は一日に三回、僕が作って運んでくるのでしっかりと食べるように。要望があれば、お菓子なども持ってきます」

「……なんか、囚人みたい」


 徹底した生活管理に、私は思わずそんな感想を零した。

 決まった時間に置き、食事をし、それ以外はここで調べものという仕事に従事する。牢獄の中にいる囚人と似たような生活と言う表現は間違いではないと思う。要望すればお菓子とか持って来てもらえるし、随分と至れり尽くせりな囚人ではあるけど。

 私の生活に関する説明を終え、史輝は手にしていた時計を元の場所に戻した。


「僕のほうから言うことは以上です。何かご質問は?」

「ないよ。どうもありがとう」

「先生の体調を気遣うのも、助手の仕事なのでお気になさらず。それで、僕は何をすればいいですか?」


 指示を求められ、私は一度、頭の中で史輝に伝えるべき事柄を整理した。

 私が史輝に望むことは、大まかに言ってしまえば書物を私の下へと届けて貰うこと。今回の事件──特に、透花様の下に現れた魔骨と関連がありそうな事柄が記載された資料などを見つけて貰う。史輝に書物を運んでもらえれば、私は調べることにのみ集中することができるから。幸いにも私は本を読む速度が速い。手元の書物を読み終えてしまえば、自分で探すこともするつもりだ。

 ただ、この書庫にある書物の数は膨大。しかも、魔骨に関する文献がとても多い。魔骨に関するものを全てと指示してしまえば、史輝は書庫の中にある大半の書物を運んできてしまうことになる。それでは本末転倒だ。

 なので、事前に私が求める書物の特徴を伝えておく必要がある。そうすれば、無暗矢鱈に運ばれる心配はなくなるから。

 伝えるべきことを決め、私は史輝に言った。


「史輝には『意志の魔骨』について記述された本を持ってきてほしい」

「『意志の魔骨』ですか。それは、先生が名付けた……」

「うん」


 単語を復唱した史輝に、私は首を縦に振った。

 ──意志の魔骨。

 それは、広く名が知られている神力を人に与える魔骨ではなく、魔骨全体の九割を占める、力を持たない魔骨のことである。一般的には魔骨に成り損ねた出来損ないと呼ばれており、『力の魔骨』ほどの価値はない。『意志の魔骨』という名前も、私が勝手にそう呼んでいるだけだ。

 だけど、私は知っている。それらが出来損ないなんかじゃないことを。

  この世界にあるものには全て存在理由があり、『意志の魔骨』はそれぞれ、何か目的を成し遂げるために存在しているのだと。それらを、彼らは誰にも聞こえない声で必死に訴えている。伝えている。知ってほしくて、気づいてほしくて……泣き続けている。


「透花様が持っていた魔骨は『意志の魔骨』。だから、それについて調べないと」

「了解しましたが……詳しく書かれた文献は、あるのですか? あまり注目されていないので、少ない気がします」

「沢山はないよ。けど、魔骨が死者の言葉を届けた~みたいな伝説は世界各地に残っているから、それについて研究した論文とかは残ってると思う。何処にあるのかはわからないし、探すのはかなり大変だけど……頑張ろう」

「骨が折れる作業ですね。ですが、これも仕事だと割り切ります」

「お願いね」


 目を伏せた史輝は「さて」と自分に気合を入れるように呟き、立ち並ぶ本棚の海へと身を投じた。有益な書物に辿り着くまでに、一体どれだけの時間がかかるかはわからない。もしかしたら、当初の予定よりも遥かに時間がかかってしまうかもしれない。一ヵ月どころか、二ヵ月とか──いや、そんな弱気なことは考えてはいけない。すぐに終わると信じて、やるべきことに集中しよう。


「よし──!」


 私も作業に取り掛かろう。と、気合を入れた私は史輝と同様に書物を探して本棚の間を通る。収納されている本の背表紙に書かれたタイトルを流し見て、目的に合いそうなものがあれば手に取り、それを数回繰り返して読書スペースに移動する。

 そしてソファに腰かけ、手にした一冊の本を読み進めようと開き──同時、肩に重みが加わった。ふわふわと手触りの良い感触を併せ持つ、小さな重み。

 ん? と思って視線を向けると、そこには黒い子猫の姿が。書斎で寝かせていたと思っていたのだけれど、どうやら、こっそりとついて来ていたらしい。甘えたいらしく、私の頬に小さな顔を擦りつけていた。


「こーら。邪魔しちゃ駄目だよ?」


 子供に優しく言いつけるように言い、私は子猫の頭を指先でそっと撫でる。

 それから、私が書物に記載された文字列に視線を滑らせている間も、子猫は私の傍で丸くなり続けていた。

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