温度と焼印

(今回の内容は人によって、特にお子様をお持ちの親御様にとってご不快になる可能性のある内容なので、もし気になるという方は読まずにスルー頂ければと・・・また、文体含め内容も今までのエッセイとは全く異なる物なので、そこが気になる方も同じくスルー頂ければ幸いです)


 私の両親は自分で言うのも何だけど、とても優しく公平だ。

私と弟へ本当に深い愛情を注いでくれた。

自分たちの都合を脇にどけて私たちを優先してくれたし、経済的にも苦労の無いように必死に頑張ってくれた。

特に私がバイオリンを習っている際、欲しい楽器があったのだがそれをポンと買ってくれたのは今でも覚えている。

数ある楽器の中でも間違いなく高級の部類に属するのに、だ。


 特に父親は昭和の男らしく不器用だが、誠実だ。

口下手だが、家族を愛し同僚からも信頼されている。

そんな父を信頼しているし大好きだ。

私のような色々難しい子供にも良く付き合ってくれると思う。


 でも、私はそんな父親に対し、年に数回「心の温度」が酷く下がることがある。

嫌いになるのでもなく、まして憎むのでも無い。

軽蔑とも失望とも怒りとも違う。

ただ・・・心が「スッと」冷たくなるのだ。

そんな時、必ずと言って良いほど昔、父の発したある言葉が浮かぶ。

「薫はああいう子だから」


 小学生の頃、バイオリンのコンクールに参加していた。

当時の私はラロの「スペイン交響曲 第1楽章」と言う曲で出場した。

自分で言うのもどうかと思うが、絶対の自信があった。

「寝てても弾ける」と言うと大げさだが、それくらいのレベルだった。

また、トータルのクオリティでも負ける気がせず、実際先生も「普通にやればオッケーだから、何もしなくていいよ」と言ってくれていた。

私自身も、終わった後の両親や弟、親族とのとの食事会に意識が向かっていたほど。


 そして私の番が来た。

この曲は最初が聞かせどころ。

ここが小説で言うところの「掴み」に当たる。

ここでいかに聞き手の心を鷲掴みにするか。

そして私は・・・

忘れもしない。

3音目の高音を完全に外してしまったのだ。

この曲の3音目はかなりの聞かせどころ。

リカバリー不能なほどの大ミスだった。


 自分に起こったとは信じられず戻った私に先生は、無言で肩を叩いた。

控え室で一時間ほど・・・居ただろうか。

ようやく心の整理も進み、部屋の外にでてロビーで気持ちを切り替えようとしていたその時。そこに他の出場者・・・私と家族ぐるみの付き合いをしていた娘とご両親。

そして私の両親がいた。

ハッとして自販機の影に隠れた私の耳に会話が飛び込んできた。


「薫ちゃんは残念でしたね。まさか、と思ってしまって・・・朝、ずっと娘の相手をしてもらってたから・・・すいません」

その次に父が言った言葉。

「いやいやお気になさらず。薫はああいう子だから。ここぞと言う時にねぇ」

照れくさそうに笑いながら言った言葉。

その時のホールの空気や匂いが今でもリアルに蘇る。

私はそのまま姿を出さずに再び控え室に戻った。


 それが切っ掛けで親子の中がこじれたとか、壁が出来たと言うのは一切無かった。

父の気持ちも分かったし、相手の親子を気遣って身内への謙遜のつもりだったのだろう。

私の事を気遣い、どう心のケアをするか悩んでいたと言うのも母や弟から聞いていた。

だから、今に至るまで一切の感情のこじれは無い。


ただ・・・

何かの折にフッとあの時のホールの空気と共に、あの言葉がまるで心にこびり付いた焼印のように浮かびだす。

その時の私は父に対して、いつもより少しだけ心の温度が下がる。

あれから何十年も経っているのに。

私はそんなにねちっこい性格なんだろうか?

人並みに感情のもつれも水に流せると思っているし、実際いくらでもそうしてきた。

もっと酷い言葉なんて、学校でも音楽でも仕事でもいくらでも言われてきた。

他の人たちもそうだろう。

でも・・・あの言葉だけはダメだった。

なんでだろう?


 この焼き印のようにこびりつく言葉を忘れられる事があるのだろうか?

そして・・・子供にとって親の言葉というのは、どれだけの力があるのだろうか、と感じる。何十年前の些細な言葉を、思い出しては心を握ってくる。

 もちろん、私の人間性の問題だと言われれば全くその通りだと思う。

 

 そういうやましさがあるせいか、この話はこの場で書く以前は、職場の私が大好きで信頼する後輩ちゃんにしか話していない。

彼女は「親子はそういう物です。京野さんは悪くないです」と言ってくれた。

でも、やっぱり酷く自己嫌悪に陥る。

なので、今の私は甥っ子に対して細心の注意を払い話すようにしている。

もちろん、私なんかの言葉にそう影響力があるとは思えないけど。

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