フットサルの思い出話

武藤勇城

第一話 サッカー少年

 自分は子供の頃から、サッカーが大好きでした。


 最初にサッカーにふれたのは、小学生時代のサッカー少年団です。同年代の子供が集まって、サッカーを教わり、みんなで楽しむ場です。自分はリフティングが苦手で、連続十回も出来ませんでした。練習試合では、近隣の同年代の小学生チームと対戦しました。町内・県内の少年サッカーチームが集まる、小さな大会にも参加しました。幼少期の話ですので、記憶も曖昧ですが、幾つか印象的な出来事もありました。覚えているのは、ほとんどが失敗した時のものです。

 一つは、大会に参加した時の話です。チームを率いる監督が、その試合中に練習とは違う、普段やっていない指示を出してきました。それは、ディフェンスラインをもっと上げろ、というものです。子供の玉蹴りですし、当時はテレビ中継はもとより、プロサッカーもなかった時代ですから、サッカーの試合を観戦する機会などありません。今なら攻撃時にラインを上げて味方をフォローしやすくするとか、相手に自由なスペースを与えないというのは当たり前に行われますし、自分も理解しています。しかし当時の自分には、ディフェンスラインを高くするのは何故なのか、意味が全く分かりませんでした。左サイドバックをやっていた自分は、その監督の指示を直接聞いて、えっ、と思いましたが、仕方ありません。ライン際で監督の指示を受けると、ピッチの中央にいる他の味方にも伝えました。このぐらい上げればいいのかな、と思って監督の方を見ると、もっと上げろ、もっとだ、と両手を使ってジェスチャーで指示してきます。こんなに裏がガラ空きで良いのか、と疑問に思いつつ、どんどんラインを上げていきました。ハーフラインの手前ぐらいまで。そして案の定、高いラインの裏を突かれ、相手のカウンターを許してしまいました。自分はサイドで相手を追いかけ、ライン際に追い詰めましたが、中央にクロスを上げられてしまいました。中央の枚数が全く足りていません。ゴールキーパーも飛び出し、ゴールには誰もいません。相手のシュートはボテボテで、中に誰か一人でもいれば防げたでしょう。しかし人数が足りていませんので、自分がサイドからゴールに向かい、ゆっくり転がるボールを追いかけました。しかし、もうあと数歩というところで間に合わず、失点。嫌な思い出です。

 もう一つ、悪い記憶があります。これもサッカーの試合での話です。何対何だったかは覚えていませんが、時間内に決着せず、ペナルティキックで勝負をつける事になりました。味方のフォワードから順番に蹴っていきますが、緊張からか、みんな枠を外したり、キーパーの正面に蹴ってしまったりで、なかなか点が入りません。逆に相手はしっかり決めてきて、もう後がないという状況になりました。何を考えているのでしょう、この大事な場面で監督はキッカーに自分を指名しました。遊びでPK合戦などはよくやりましたし、その時には普通に蹴れていました。基本的には、右下か左下の隅、ゴールの一番深いところを狙います。ポストギリギリは狙ってはいけません。ボールを浮かせてもいけません。ゴロで丁寧に、ゴールの一番奥を狙えば、高確率で決まります。よく覚えてはいませんが、自分も緊張していたのだと思います。決めなければいけないというプレッシャーもあったのでしょう。普段通りにゴールの下を狙えば良いものを、絶対に取れない左上の隅に狙いを定めました。蹴ったボールは枠を捉えきれず、この失敗で試合終了、敗戦となりました。シュートが枠に行かなければ勝てるはずもないな。この試合後に監督が言った言葉に、深く心を抉られました。今でも忘れられないほどに。

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