親和性の高い場所
「もう、いいのか?」
吉良が両手を添えてドアを開けた先の廊下では、月岡がまたタバコをふかしながら待っていた。
「大丈夫です。すみません……」
目に力を入れてぐっと瞑り、再び目を開いた。月岡が確認するような目付きで見ていたが、すぐに視線が逸らされた。
「まだ、事件の真相が明らかになっただけだ。解決はこれからだろ? 精神の安定は保っておく必要がある。甘い物でも食べるか?」
「……いえ、遠慮しておきます」
「そうか」
月岡なりの気遣いなのだろうか。だがこの状況で吉良の胃が、何か食べ物を欲することはなかった。
日記に綴られていたのは、椿の歴史であるとともに食にまつわる怪異の歴史だ。あるいは無限とも思えた食欲に呑まれて、食欲が失せてしまったのかもしれない。
「なら、話を先に進める。あやかしが生まれた経緯はわかったが、肝心なのはそのあと、どうやって広がっていったかだ。あのばあさんが通っていた場所については書かれていなかったのか?」
「明確な記述はありませんでした。先に見つけた手帳に書かれていたのだと思いますが、手帳はもうバラバラで読めません」
腕を組み、空いた手で口元を撫でながら月岡は天井を見上げた。もう夜明けも近い真夜中に警察署とはいえ薄暗い廊下で話し込んでいる者は少ないだろう。
吉良は少し離れた窓から外の様子を眺めた。ぐるぐると渦巻くような黒雲が街の上空に位置し、どこか不気味に動いている。
「……親和性の高い場所。ヒントが大き過ぎて絞り込めねぇな。親和性と言えば、南柳市とあやかしは因縁めいたものがあるな。吉良に柳田、二人もあやかしに関わる専門家がいて、過去にはあやかしの起こした数多くの事件があり、さらに最悪なことに曰くつきの場所が複数もある。どこもかしこも怪しいところばかりだ。それにだ。その場所に呪いを溜め込んだとしてもそれがどうやってこんなにも広がっていくんだ? ばあさんがああなる前に取り憑かれた人間もいるだろ」
「……あやかし……曰くつき……親和性……そう、か……」
ぶつぶつとひとり言をつぶやく吉良の瞳の色が濃くなった。
「何かわかったのか?」
「……月岡さん。今まであやかしの被害を受けたのは誰ですか?」
月岡は眉をひそめる。
「誰って……すぐには出てこないが、内田 紗奈に──」
「全員女性のはずです」
口を挟んだ吉良の指摘に、月岡は思わず顔を上げた。タバコの灰が床に落ちていく。
「おい、待てよ。そんな重大なこと──」
タバコを携帯灰皿に押しつけると、月岡は手帳を取り出し指を這わせて被害者の情報を確認していく。
「おい、マジか……これって」
「……たぶん、ですが、親和性という点を考慮すれば、赤子にとって最も親和性の高い場所は母親の胎内です。今のところ餓鬼に取り憑かれた人は全て女性。これって、妙じゃないですか? 僕や月岡さん、それから警察関係者の男性も数多くあやかしに取り憑かれた女性に接触していますが、その中に取り憑かれた人はいない」
手帳を持つ月岡の指が僅かだが震えていた。
「じゃあ、何か? あやかしは被害者のお腹に宿っているとでも言うのか?」
「赤子が胎内にいるのは、胎盤を通して母体から栄養を摂取するため。そして、自分自身が成長するため。元々形のないあやかしは、世界に生まれるために女性に取り憑いているのかもしれません」
「そんな……そんなことが……生まれるため? 自分が生まれるために人間の体を犠牲にしてるっていうのか? そんなこと──」
「ありえます。繰り返しますが、生への渇望はそれだけ強い」
吉良の脳裏には優希の出産時の光景が浮かび上がっていた。母親は苦痛に身悶えながら赤子を産む。それは、ひとえに母親の愛だとか強さとでも解釈できるものだが、逆に言えば母親を犠牲にしてまでもこの世に生まれようとする、赤子の生への執着とも言い換えられる。
「なのでもし、水子霊がイコールあやかしなのだとしたら、椿さんに取り憑いているあやかしはより親和性の高い場所へ移動しようとするはずです。だから、儀式の行われた場所を偶然通りかかる、あるいは儀式後、椿さんと接触するなどすれば、被害者の女性が取り憑かれる可能性は十分ある。椿さんは、自分は子どもを産めない体と言っていましたからね。そうして一度、あやかしとして取り憑いたならばそのあとは取り憑いた母体を
吉良が一息でそこまで話すと、月岡は口を手で覆いながらかすれた声で「待て」と呟いた。
「? 何か心当たりがあるんですか?」
「ずっと引っ掛かっていたことがある。内田紗奈の胃から摘出されたもの、覚えているか? 家と庭にあったもの以外にどこで口にしたのかわからないものがあっただろう。確か──紙片とガラス片だ。燃えた跡のくっきり残っている、な」
「燃えた跡。それって火災が起きた場所、ということですか?」
「ああ。そんなものあやかしに取り憑かれていたとはいえ、偶然入り込むとは思えない。どこかへ行って帰ってきた。その行ってきた場所にあったものを食べたはずだ」
月岡はスーツのポケットからスマホを取り出した。
「雨平に電話してもう一度確認させる。とりあえず帰るぞ。向かう先はもう一つしかないだろ。おい、聞いてんのか、吉良」
「あっ、ええ、はい──」
早足で歩く槻岡の後ろを付いていこうと足を向けたときに、吉良の時計から通知音が鳴った。見れば、愛姫からのメッセージ。
【お疲れ様です。私も優希も元気です。また、お土産待っていますね】
「……月岡さん」
「なんだ?」
「やっぱり、甘い物、買っていきます!」
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