証拠
明らかに面倒くさそうに月岡の足が止まった。
「探し物をするだけだ。通してほしい」
懐中電灯が眩く光り、月岡の顔を照らした。
「こちらで捜査中です。必要があれば話を通してもらえれば、我々が探しに行きます」
「見つけたものは押収するだろ。俺達には見せずに。こっちには時間がないんだ。今すぐ確認して帰らなければならない。頼む」
若い警官は片腕を前に突き出し、拒絶の意志を示した。
「無理です。何をされるのかわからない。ここで起きた事件なんです。判断は我々がしますから、お引取りください」
「そうかよ」
舌打ちが、暗闇の中をこだまする。ややあってライターの火が点けられてタバコに火が宿った。
「……失礼ですが、本当に警察官の方でしょうか。人の目の前でタバコを吸わないでいただきたい。それも人の敷地内ですよ」
「なあ、知ってるか?」
「……何をですか?」
警官はタバコの煙を手で払いながら聞いた。疑い深そうに目を細めて眉間に皺が寄る。
「タバコの煙が苦手なあやかしがいるんだ」
「な、何を……」
あやかしという言葉が出た途端にピクリと肩が上がったのを、吉良は見逃さなかった。
「狐だ。狐と言っても動物の狐じゃない。あやかしの、ほら、狐憑きと言えばわかるか?」
「だからそれが何だって言うんですか!?」
声は荒げ、裏返る。単純なことではあった。恐怖は、人間が生きていくために欠かすことのできない最も原初的な反応の一つだ。だから人は、未知の恐怖に襲われると声を荒げる、体を硬直させるなどの簡単な対処法しか選べなくなる。
「だから狐が憑いてんだって言ってんだよ。俺の体にはな」
全員が息を呑み、体を硬直させた。その瞬間に月岡は弾丸のように足を、体を弾かせた。
「あっ、コラ!!」「待て!」
足止めは一瞬。すぐに任務を思い出した警官三人によって月岡は羽交い締めにされて取り押さえられてしまった。だが。
「行け! 吉良!」
吉良が走っていた。全速力ではあるものの、傍目にはゆっくりとした動作に見える。それでも反応と対処と行動が遅れたために、三人は吉良を捕まえることが叶わなかった。吉良は立入禁止の黄色いテープの下を潜り抜けると、そのまま家へと入り、二階へ駆け上がっていった。
あるはずだ、絶対に。あるはずだ。
ドアを開き、まだ荒らされたままの状態の部屋に突入する。ヨダレでベトベトになった畳の上を躊躇うことなく走り抜けると少しばかり開いた引き戸に手を掛けて思い切り押し入れを開けた。
「!」
啞然と口が開く。押し入れの中には何もなかった。
「そんな……」
全部間違っていたのか。最初から関連性なんてなかったのか。
下からドタドタと乱れた足音が上がってくる。あと数秒もすればきっと部屋の中に入られてしまう。
ダメだ。やっぱり、ダメだった。わからないまま、何もわからないまま、また時間だけを無駄に過ごしてしまった。何度同じことを繰り返せば──。
「止まってください!」
ライトの明かりが吉良を照らした。諦めたように前方を見つめ、肩を落とした姿が光の下で露わになる。
「こちらへ来てください。大丈夫です。何もしませんから」
これ以上は無理だと判断し、吉良は顔を向けようとした。
「えっ?」
妙な裂け目が目に飛び込んできた。左側に設置された板の端に噛み千切ったかのような穴が開いている。穴の先に見えたのは、色褪せて茶色く滲んだ御札だ。
「ちょっと、動かないで!」
自分でも驚くくらい、そのときの吉良は何も考えていなかった。警官の声に従うこともなく、板に手を触れる。力を込めるとぐるっと回転して奥へと隙間が開けた。中は大小問わずびっしりと御札が貼られており、御札に埋もれるようにしていくつかの分厚い書物が置かれていた。一番手前にあった書物を手に取り、中を開くとカビ臭い匂いが鼻孔を埋め尽くした。
ーーーーーー
4月3日(水)
声が聞こえた。耳を澄ませばあの声が聞こえてくる。一年前のことなのに随分と懐かしい。久しぶりに聞く声に耳は震え、心も震えた。嬉しい、とにかく嬉しい。
気がつけば口元がよだれでべっとりと汚れていた。手の甲で拭って鼻に擦り付けるように匂いを嗅ぐ。目を閉じれば、温かい匂いがする。生まれたてのまぁるくて、やわくて、ちいさい匂い。
思い出す。思い出す。あの泣きじゃくる声。
ーーーーーー
「おい! いい加減にしろ!」
腕を引っ張られ、髪の毛を掴まれても、吉良の目はただただ文面を追っていた。異様な言葉、異様な情景。
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声は小さくならない。消えていかない。
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ーーーーーー
大きくなる一方
ーーーーーー
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うるさい。うるさい。うるさい。
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ーーーーーー
何をしても消えな
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ーーーーーー
置いてくる。置いて
ーーーーーー
そこで日記は取り上げられてしまった。
「全く。わかるかい? 不法侵入なの。あやかしの専門家だかなんだか知らないけどね──」
「見てください!!」
吉良は大声を張り上げた。メガネ越しに映る瞳の奥が赤々と燃えているようだった。
「き、急になんだ?」
「見ろと言っているんです! 事件の真相が書いてある! これは重要な証拠だ!!」
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