第6話 ウィルの来訪

王都に戻ったアランは、家族の住む屋敷ではなく、ロシュフォールド家が所有する別の屋敷で暮らし始めた。


中心部から少し離れた場所に位置し、二階建ての母屋と庭つきのこぢんまりとした家である。


といっても、ロシュフォールド家の他の屋敷の広さと比較しての話であって、世間一般的には十分すぎるほどの広さではあったが。


実際、アランとグエルの二人だけでは管理するのが大変で、引っ越してから連日、アランは荷物の片付けに奮闘していた。


その日も朝から夕方まで、書斎用の部屋の中を本を抱えて行ったり来たりしていたアランだったが、突然、たまりかねたように大声をあげた。


「ウィル、邪魔だ。手伝う気がないなら、さっさと帰れ」


アランの冷たい視線の先では、一人の美しい青年が長い脚を組んでゆったりと椅子に座っていた。


「相変わらずつれないな、アラン。王都に帰ってきて一月経っても顔を見せにこない親友をわざわざ訪ねてきたというのに。王国広しといえども、この僕にそんな冷たい言葉をかけるのは君とロザリーくらいのものだよ」


国王の甥っ子でもあるウィリアム公子は、華やかな笑みをアランに向けた。


本人の自信に違わず、ウィルに微笑みかけられると、多くの人間が顔を赤らめたり腰をとろかしてしまうのだが、幼少期からのつきあいであるアランに効き目はなかった。


「いいから帰れ。自分の立場を考えろ。おまえが遅くまで遊び歩いていると、俺がお偉方から小言をくらうんだぞ」


「まぁそう堅苦しいことを言うな。二年ぶりの再会なんだ。片付けはそれくらいにして祝杯でもあげようじゃないか」


「あいにくだったな。うちに酒は置いてないぞ」


「なるほど。それでは堅物の親友殿を私の行きつけの店にご案内しよう」


ウィルは立ち上がると、アランの腕をつかんで颯爽と歩き出した。


「あ、こら。引っ張るんじゃない」


本を抱えたままアランは抗議したが、ウィルの耳には届いておらず、アランは引きずられるようにして夕暮れの街へと出かけていった。


アランがウィルに連れていかれたのは、王侯貴族ご用達の高級飲食店が軒を連ねる大通り…ではなく、そのエリアに隣接する繁華街の中の大衆食堂だった。


店内は仕事帰りの労働者たちでごった返していて、長いテーブルの隙間に割り込むような形でアランとウィルは向かい合って腰を下ろした。


アランがひといきれで目を白黒させている間に、ウィルは近くを通りがかった店員に飲み物と料理を流れるように注文した。


「こういう場所にはよく出入りしてるのか?」


周囲の喧騒に負けじと、アランは声の大きさをいつもの三割り増しにしてウィルに尋ねた。


「息抜きにはちょうどいいだろう? おっと、そんなに目くじらを立てないでくれ。たまにだよ。それより君の話を聞かせてくれ。遊学中に運命の出会いはあったのか?」


ウィルが興味津々の様子で体を乗り出してきたので、アランは半目になった。


「そんなわけあるか。おまえじゃあるまいし。俺は勉強しに行ってたんだぞ」


ウィルはこれ以上ないというくらいに目を丸くした。


「そうなのか? 君が帰ってくるなり家を出たのは、てっきり女性でも呼び寄せるためかと思ったんだが。じゃあなんでわざわざ本邸を出たんだい? お父上とだいぶやり合ったそうじゃないか。僕の耳にまで噂が聞こえてきたよ」


「おいウィル。その話、誰から聞いた?」


「僕の話は別にいいじゃないか」


「まさかおまえ、俺がいない間にまたうちの使用人に手を出したんじゃないだろうな」


ははは、と笑いながらウィルは目をそらした。


アランがさらに問い詰めようとしたところへ、どん、とテーブルにジョッキが置かれた。


「お待たせしました」


アランの隣で、店員が次々と料理の皿を並べていった。


「お、注文した料理がきたね」


ウィルが助かったとばかりに安堵の表情を浮かべた。


気勢をそがれたアランは、横にいる店員を何気なく見上げて、思わず腰を浮かした。


「エレノア?」


料理を運んできたのは、あのエレノアだった。


「どうしたんだ、アラン。いきなり立ち上がって。彼女もびっくりしてるじゃないか。とりあえずその手を離してあげないと」


ウィルに言われて、アランはエレノアの手首をつかんでいたことに気づき、慌てて手を離した。


驚いているアランをよそに、エレノアの表情はさほど変わらず、軽く会釈をすると、すぐに厨房へと取って返していった。


「知り合いかい?」


ウィルは興味深そうに尋ねてきた。


「あ、あぁ。いや」


「どっちなんだい」


アランはとりあえず落ち着こうと、運ばれてきたエールのジョッキに口をつけた。


——そして一刻後。


アランは店の路地裏で一人夜風に当たっていた。


エレノアのことをしつこく質問してくるウィルをかわすため、かなり急ピッチで酒を飲み続けたせいで気分は最悪だった。


らしくもない、と反省しつつ、おぼつかない足取りで店内に戻ろうとしたところ、大きなゴミ箱を抱えたエレノアにばったり出くわした。


「…………」

「…………」


互いに沈黙して向かい合っているうちに、アランは急激に何かがせり上がってくるのを感じた。


こらえきれず地面にうずくまると、アランはこれまでどんな宴席に呼ばれても決してしたことのない粗相を思いっきりやらかした。


どうにか気分がおさまったところでよろよろ立ち上がると、エレノアがこちらをじっと見ていた。


地面に這いつくばっている間中、エレノアは黙ってアランの背中をさすってくれていた。


「……見苦しいところをすまない」


「驚きました」


「…………本当に申し訳ない」


「いえ、そういう意味ではなく。もうお会いすることもないと思っていたので」


さっきも今もエレノアの顔はまったく驚いているようには見えなかったのだが、再会したことを驚いていたのは自分だけかと思っていたが、エレノアも驚いてはいたらしい。


見た目では全くわからなかったが。


アランがエレノアに話しかけようとすると、店の勝手口が開いて、たくましい体つきの女が首だけ突き出して大声で怒鳴った。


「ちょっと新入り、ゴミ出しにどんだけ時間かかってんだい。さぼるなら給金差っ引くよっ」


「申し訳ありません。今戻ります」


エレノアは女に謝ると、そばに置いていたゴミ箱を持ち上げ、勝手口の中へと消えていった。


申し訳ないことをしてしまったと反省しつつ、店内に戻ろうとして体の向きを変えると、路地裏の物陰でウィルがたたずんでいるのを発見した。


「……いつからそこにいた」


「君が地面にうずくまっていたあたりから」


飲んでいるせいか、いつもの二割り増しの笑顔である。


「おっと睨まないでくれ、アラン。なかなか席に戻ってこないから心配して探しに来たんだけど、出ていったらお邪魔かなと思って」


「なに馬鹿なことを言ってる」


「照れなくてもいいじゃないか。堅物すぎてそのうち石像にでもなるんじゃないかと思っていたけど、ちゃんと女の子と会話できるんだとわかって僕は安心したよ」


「これまでだって会話くらいしてたぞ。ロザリーとか」


「違う。違うんだよ。そういうことじゃないんだよ」


酔っているせいか、ウィルの身振りはいつもの四割り増しである。


「わかったからもう帰るぞ」


「そんな! 夜はまだこれからじゃないか。せっかく盛り上がってきたところなのにっ」


「大声でわめくな。おい、壁にしがみつくのはやめろ」


駄々をこねるウィルをどうにかして壁から引っぺがそうと、アランはすったもんだすることになった。

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