第47話
とある休日、サツキは淹れたての紅茶を飲みながら最近話題のファンデーションの口コミをネットで眺めていた。
リキッドファンデよりもクッションファンデが使い易い。パフもついているし、手が汚れずに済む。細かい粒子のパウダーと一緒に使うのがいいかもしれない。
そんなことを考えながら評価を見ていると、ソファに寝転んでいるマルクが思い出したように声を出した。
「これ、やる」
サツキの方を見ずに何かを放り投げた。
慌ててキャッチし、手の中にあるものの正体を見ると通帳だった。
サツキの給料が入る通帳ではない。
「何ですか?」
「飼い犬へのプレゼント」
通帳のプレゼント。
くれるというのだから中身を確認しても許されるだろう。
ぺら、と捲って残高を視界に入れると、思わず上に投げてしまい急いで再びキャッチする。
「な、な、何ですかこの大金。本当にくれるんですか?返せって言われても返しませんよ?」
「だからやるって言ってんだろ」
「い、いいんですね?」
通帳を両手で抱きしめる。
大金を手放す気がないサツキに呆れながら「何度も言わせんな」とマルクはため息を吐いた。
「この前言っただろ、お駄賃だ」
「お駄賃?あ、もしかして神社の時の?」
「あぁ。上手くいったからな」
何の仕事か知らないが、きっと手を汚してきたのだろう。
あの時のことは覚えているが、まさかこれほどの金額を貰えるとは思っていなかったので、表情にこそ出さないが歓喜している。
「じゃあ早速使わせてもらいます」
そう言ってケータイで電話をかけ、開発班の人間と約束をとりつけた。
電話を終えるとマルクがじっと見つめていた。
「何に使うんだ?」
「車のカスタムです」
「経費じゃねえのか」
「ある程度必要と認められたものは経費で落ちますが、私の場合は経費で落ちないものが多くて、お金が溜まったら少しずつ改良してるんです」
「あぁ、あの銃とか爆弾が出る仕組みも自費か」
「そこまで要らないだろう、と言われて審査に通りませんでした」
「だろうな。運転手如きに割く金はねえんだろ」
自分の命がかかっているのだから、車のカスタムに金を費やすのは当然だ。
経費で落ちないのが痛いが、生命保険だと思えばいい。
「今度は何を付けるんだ?」
「ナビを改良しようと思っていたんです。以前から、マルクさんが情報部から目標の位置データを送ってもらい、それを一緒に見ていましたが面倒なので情報部のデータをナビに送ってもらえるようにしようかと」
先日、目標の車を海に突き落とした時もマルクのケータイを使って追跡していた。
ケータイに送るくらいならナビに送ってもらった方が見やすいし、マルクも面倒ではないだろう。
良いアイデアだと思い、開発班と情報部に話を持って行く予定だ。
「社畜だな」
「否定はしませんが、楽しんでいる自分もいます」
「変な奴」
仕事が楽しいとはこういうことだ。
辞めたいとは思わないし、この座は絶対死守するという思いも向上心もある。
我ながら素晴らしい精神。
紅茶を飲みながら、そういえばと放置していた紙袋を漁る。
「マルクさん、ピアス開けてないですけど、理由はあるんですか?」
「あ?邪魔だろ」
購入したそれを掌に乗せる。
ピアッサーだ。
いつか開けたいなと思っていたが、漸く行動に移した。
病院でもピアスは開けられるが、金がかかる。自分でやった方が安い。
「開けんのか?」
ピアッサーを持って無言でいるサツキを見るため、体を起こした。
アクセサリーの類は好きないマルクからすると、ピアスを付けるために穴を開ける気持ちは分からない。
「勇気を出して、やってみようかと」
こくり、と喉を鳴らして袋から取り出す。
どうやって開けるのか、簡単な説明書がついていたので読むと一人でもできそうだ。
ちくちくと視線を感じたのでマルクに視線をやると、にやっと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「おい、それ寄こせ」
「はい!?嫌ですよ!」
「寄こせ」
「嫌です」
「早くしろ殺すぞ」
殺し屋の瞳で睨まれたときの選択肢はたった一つだ。
涙が出そうになる。
これ以上言い返すことができず、渋々、本当に渋々マルクの元に行きピアッサーを手渡した。
今からされることを想像し、顔から血の気がなくなる。
「俺が開けてやる」
絶対そう言うと思った。
隣にサツキを座らせ、邪魔な髪の毛を耳にかけてやる。その途中でマルクの手が耳に触れると、びくっと体を強張らせる。それが面白く、意図的に何度かやってやると遊ばれていると察したサツキは唇をきゅっと結び、前を睨みつける。
「よし、やるぜ」
ピアッサーを持ち、まずは左耳から。
「耳たぶの真ん中にしてください」
「俺に命令すんのか」
「お願いしてるんですよ。私の耳なんですから」
「へーへー」
言われたとおり、耳朶の真ん中が開くようにセットする。
マルクの手がサツキの耳を触る度に、サツキの中の恐怖心が芽を出す。
相手はマルクだ。簡単に、すんなりと開けるとは思えない。散々恐怖を煽り、鋭い痛みを与えながら開けるに違いない。
専属になってから、マルクの性格は分かってきた。
いたぶるに違いない。にやにやと笑いながら、痛みに悶えるサツキの姿を見て楽しむのだろう。
いつくるか分からない痛みに耐える準備をすべく、瞼をぎゅっと閉じて唇もきゅっと結ぶ。
ガシャン、と音と共にマルクの指が耳に触れた。
思ったほど、痛くはない。終わったのか。
「右耳も出せ」
「は、はい」
終わったらしい。
特に鋭い痛みはなく、恐怖を散々煽ることもせず、左耳は終わった。
いや、右耳で仕掛けてくるのかもしれない。
先程よりも強く目と唇を閉じる。
マルクが指で耳を触り、耳朶を遊ぶように異常に触る。
絶対何かやる気だ。
ガシャン、と音がして「終わった」との声があるとサツキはくわっと目を見開いた。
何もなかった。どういうことだ。何もなかったはずがないのに。
「な、何をしたんですか」
恐る恐るマルクに尋ねるが「穴開けてやったんだろうが」と耳を引っ張られた。
「い、痛い!」
血は出ていないようだが、鏡を見ると確かにファーストピアスが刺さっている。
サツキのお願い通り、耳朶の真ん中に開けられており、文字通りきちんとやってくれた。
「何だその顔は」
「い、いえ」
「すんげえ顔してたぞ」
「だ、だってマルクさんが…」
「あ?」
「なんでもないです」
絶対に何かすると思っていたから。そんな、「信用していませんでした」と遠回しに言うようなことはできるはずもなく、誤魔化すために一つ咳払いをした。
「これ、待ち受けにすっか」
ケータイを眺めていたのでちらっと盗み見ると、目と唇をしっかりと閉じて何かに我慢するようなサツキの姿があった。
「んな!?」
口をぱくぱくさせるだけで、声はでない。
「あ?覗き見か?」
「そ、それ…」
目の前に本物がいるというのにケータイを見てにやにやとゲスな表情をしているマルク。
痛めつけられるよりはマシだと思い、ソファに全身を預ける。
見なかったことにしよう。
飼い犬の写真を持っていたいのは、飼い主としてあるべき感情だ。
サツキは悟り、無理やり夢の中に入り込んだ。
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