第二章 それは、ゆっくりと
2-1
イリーは短い昼寝から目を覚ますと、汚れてもいい服装に着替え中庭へと行った。 今日の中庭の手入れ当番はイリーだった。 手入れに行かなきゃ…… と思っていたが、ベッドから中々動くことが出来ず眠ってしまった。 まだ当番が済んでいないことをクトロスやスターストが知ったら確実に怒られるだろう。
空は曇天、空気は湿気でべたべた。 魔王さまの森は森という名の枯れ木だらけ。
人間の敵であり、眠りの碧色と終わりの闇色を纏うイリーたちには、立場を考えて、そういう場所が相応しい。
おかげで命を育むことも許されず、魔王さまの森は植物が育たないのだが、魔王さまの城の中庭だけは違った。
初代魔王さまが作り上げた中庭は、不思議な力が存在し、魔王さまの森に存在していることが嘘かのように色とりどりの花たちが健やかに咲いている。 そこにいると、いろんな色が存在しているせいか、心がうきうきとしてくる。 もちろん、自分たちを示す碧色や闇色も好きだけど、それとは違う特別感があった。
中庭に辿り着くと一人屈んで作業をしている人がいる。 もしかして、クトロスあたりがイリーの代わりに作業してくれているのだろうか…… と思って近づいていくと、違う、この人は、
「ま、魔王さまー! 一体なにしてるんですか!」
イリーは悲鳴を上げるように大きな声で言うと、背中を丸めて草取りをしていた人が振り返る。
「やあイリー、こんにちは」
曇り空だというのに、麦わら帽子に闇色の半袖シャツと身に纏った魔王さまが穏やかに笑って言った。
魔王さまの手元を見ると美しい手に土だらけで、草取りをしていたようだった。 こんな風に手を汚していることがクトロスにでもバレたなら只では済まない。 内心、悲鳴を上げ続けながら慌ててイリーは止めに入る。
「魔王さま、それイリーたちがすることですよ! やめてください!」
必死に大きな声で言うが、魔王さまはイリーの感情が伝わっていないのか、にこやかな表情を止めないまま。
「俺がやりたいんだからいいんだよ」
……そうなんですね! 魔王さまのやりたいことなら…… 仕方ないですね! と答えそうになる。 魔王さまの意志は尊重したい。 魔王さまが少し悪いことをしてもイリーは見逃す係であったが、今回ばかりは止めに入る。 何せ魔王さまは我らイリーたちの大切な大切な主、魔王さま。 その手を土で汚すことなんてあってはならない。 しかも雑草抜きという本来であればイリーがやるはずのことに。
頭のなかではクトロスとスターストがイリーに怒鳴っている。
「いや……でも、でも!」
魔王さまの手が汚れているのは、さすがのイリーでもいたたまれない。 今すぐにも水で洗って綺麗にしたいところだ。
けれど魔王さまはイリーの気持ちなど知らないかのように、機嫌よさそうに微笑を浮かべながら雑草を抜くのを再開し始めた。
魔王さまはそういうところがある。 マイペースで自分のやりたいことは止めに入っても突き通そうとする意地の強いところが……。
楽しそうにしている魔王さまを止めるのは罪悪感が募る。 あまり従者たちと関わろうとしない魔王さまの姿が見られるのは嬉しいし、何だか気分が良さそうなのも嬉しい。
それでも……それでも……!
イリーは許してしまいそうになる揺れる心と戦いながら、どうにかならないものかと考えた。
「……ほ、ほら! 休憩しましょ! ずっとしゃがみ込んでたら疲れるでしょう?」
草を掴んでいた魔王さまの手を取って引っ張り移動させようとする。
「俺はまだ疲れていないが……」
「イリーは魔王さまと休憩したいんですっ!」
そこまで言うとようやく魔王さまは動きだした。 立ち上がった魔王さまをベンチのある場所まで引っ張り二人で座る。
魔王さまの草取りを止めさせることが出来たのをイリーは安堵しながら、魔王さまの手についた土をハンカチで払った。
「今日は良い天気だなあ」
魔王さまはそう言って頭に被っていた麦わら帽子を外すと空を眩しそうに眺めた。
釣られてイリーも顔を上げるが、空はいつもの曇天模様。 太陽だって見事、分厚い雲で隠れてしまっている。 せめて言うのなら、いつも肌に張り付いてくる湿った空気がなかった。 それは唯一植物が咲くことの出来る不思議な中庭の効果だった。
「そうですねえ……」
イリーは魔王さまの言葉をイマイチ理解出来なかったが、魔王さまの言葉を否定することも出来ないので頷いておく。
そして沈黙が落ちる。
元々、魔王さまは口数が多い方ではないため沈黙が訪れるのはいつものことだった。 魔王さまと出会ったばかりの頃はそれこそ必死に話題を考えたものだが、今となっては慣れて静かな時間を受け入れている。
魔王さまと共にしばらく空をぼうと眺める。 この時点でイリーは魔王さまの草取りを止めさせるのに必死のあまり自分が中庭の当番であったことをすっかり忘れてしまっている。
ふと、イリーはそこで思い出すことがあった。 それはこの前会ったばかりの友人タタリアンのことだった。 そこで話した内容が頭のなかをよぎった。
「ねえねえ、魔王さま」
「ん? なんだろうか」
二人は何も面白みのない曇天の空を眺めながら話す。
「勇者が現れないそうですよ、この前タタリアンが言ってました」
そんなことは言われずとも魔王さまは知っているだろう。 なにせ勇者というものは現れたのなら必ずイリーたちの前に立ちはだかるのだ。 イリーたちの力でも殺すことの出来なかった勇者は勇者として道を進んでいくことになる。 そんなことがあれば勿論、イリーたちは魔王さまに報告をする。
「……このままじゃ世界が滅びるって…… 魔王さまはどう思います?」
イリーが聞きたかったのはこのことだった。 友人タタリアンから話を聞いてから頭の隅から中々離れることのない、この問題。 イリーは自分がどう思っているのか、よくわからなかった。 でも頭の隅で存在を主張しているのなら、それなりに気になることなのだ。
「どう…… か。 魔王の立場から言えば、どうしようもないことだ。 人間たちが絶望から立ち上がろうと、生きようとしないのであれば、どうしようもできない」
「はい」
「でもイリーが気になってるのはそこではないんだろう? 立場からの視点ではなく、個人的な意見が欲しいのだろう」
「そう…… なんですかね?」
「そうじゃなければ質問をする必要などない筈だ。 なにせ俺たちの立場からの答えなど考えなくとも決まっている」
「ううむ……」
さすが、魔王さま。 すべてがお見通しなのだ。
「個人的な意見としては…… 今すぐに、答えるのは難しいな。 そのうち答えるから宿題とさせてくれ」
「もちろんです、いつまでもお待ちしてます」
魔王さまは、優しい。 イリーのなんてことのない質問でも、こうやって大切に扱ってくれる。
しばらく、ぼうと二人きりの時間を楽しんでいると、新たに誰かが来た気配を感じた。 はっとするが既に遅し。
「イリー!」
腰に手をあてて怒った表情でクトロスが立っている。
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