第一章 愛しい日々

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 冬でもないのに雪が降っていた。

 人間を凍死させてしまうほどの冷たい風。

 海の波は簡単に人間を攫ってしまうくらいに高かった。

 長く続く冷たい季節は食糧不足を起こさせた。

 少しでも食糧を得るため、漁に出た者もいたが、その者らは黒い波に攫われた。

 このまま死を待つしかないのだろうか――。

 まだ生きてる人間たちは絶望的な気持ちで生きていた。

 そんな中、人が――闇と碧を持つ者らが現れた。



 人間の頭が、ひゅんと落ちる。

 冷たく固い地面にころころと頭は転がった。

 その頭は恐怖に満ちた表情で目を大きくかっ開いたまま、涙と血と砂で汚れている。


 そしてそんな頭を切り落とした犯人、碧みのある黒い髪を両端に高く結い上げ、つり上げた透き通った碧い瞳をもつ童顔な少女。 闇色のジャケットにワイシャツ、太もも丈のプリーツスカート。 胸元にあるネクタイは碧色だ。 この服装は彼女たちにとって礼服であった。

 そんな彼女は、まるで遊ぶかのようにぽーんと思いっきり蹴った。


 高く高く頭は跳んで、赤い血が舞う。


 そんな様子を驚きと絶望で染まっった表情で小さな兄妹が見ている。

  髪と瞳、服装が、死の色である碧色と終わりの色である闇色を示す二色でまとめられている少女――。


 「碧色と闇色を容姿に持つ者がいたらすぐに逃げなさい」


 二人の兄妹のうち一人は母に言われていたことを思い出した。


 不吉な色として人間の体には与えられなかった闇色と碧色を持つ者。

 その色を体に宿す者は人間ではない――。

 人間に絶望と悲しみを与えに来た、魔王さまとその従者たちだ。


 少女は無邪気にくすくすと笑うと、声高く言う。

 心底楽しそうに愉快そうに。

 この世界の者であれば誰でも知っている名前を。


「私の名はイリー! 誇り高き魔王さまの従者イリーよ!」


 カーンカーンと時計塔の鐘がずっと鳴り響いている。 イリーたちの襲来の知らせだろう。


 勇敢にも向かってきた人間たちを一斉にイリーは細身の剣でなぎ払う。

 叫び声や恐怖の声で周囲は満ちている。

 それが如何に人間たちが絶望しているか分かったイリーは嬉しそうに笑う。 とても機嫌が良さそうで今にも鼻歌でも歌い始めそうだ。


 全員は殺さず、一割は残す。

 その方が、人間たちがイリーたちを恨んでくれる。 怨念による怨嗟でイリーたちを殺したくなる。

 そう仕向けるのがイリーたちの仕事で使命だ。


 闇色のブーツで血の池や死体を踏みながら前へと進む。

 その先にいるのは恐怖で腰を抜かしてしまっている小さな兄妹。

 近づくにつれ、体を震えさせ妹を守るようにして抱きしめる兄の表情はイリーの心を満たさせた。


 もっと、もっと、絶望してほしい。

 そして悲しみ、恨み。

 その感情を私たちに差し出しなさい。


 一体どっちを殺したら、絶望してくれるだろう? 苦しんでくれるだろう? 心に焼き付け、いつまでも死ぬまで忘れられないように。


 そんなことを考えながらゆっくりと歩みを進ませていると、一人の人間が小さな兄妹を守るかのように必死な形(ぎょう)相(そう)で雄(お)叫(たけ)びながら剣を手に向かってくる男がいた。


「……ふふ!」


 その勇気ある行動が嬉しくて、声が漏れてしまう。

 ああ、なんて愛おしい人間。 その行動がまた悲しみをもたらす。


「うおおおおおお!」


 鎧を纏った男が全力をもって剣を上に構えた。

 こんなの、一突きだ。

 あれだけ威勢良く声を上げていた男はイリーの剣であっさりと胸を貫かれると、汚い声を上げて口から血を吹き出した。 その血はイリーの顔を濡らす。 イリーは顔の血を気にすることなく胸から剣を抜くと簡単に地面へと倒れてしまう。

 どんなに頑張ったとして、ただの人間がイリーたちに勝てることはない。

 だって、そういうふうにできている。

 今度こそ小さな兄妹の前に立ち、にこりと笑う。

 そこで何者かが上から振ってきた。


「おい、イリー。 どうだ?」


 イリーと同じく碧い瞳に闇色の髪の男。 刈り上げられた短い髪と筋肉質な逞しい体。 手にはイリーとは反対に太く長い、重そうな大剣がある。 この男もまた碧色と闇色で纏められた礼服を纏っていた。


「ちょっとー今いいところなのに」


 タイミング悪く邪魔をされたことにイリーは不満そうに声をあげた。


「そりゃあ、悪かったな」

「もう帰る時間?」

「今日は早く帰りたいって言ってたのはイリーだろ」

「……ああ! そうだったそうだった。 スターストの作ったマフィンが焼き上がっちゃう。 クトロスが教えてくれなきゃすっかり忘れてちゃっていたわ」


 来る前はあんなにも騒いでいたことをイリーは思い出した。

 お菓子はが焼き上がる前に帰りたいのだ。 そして焼き上がりと共に口にしたい。 お菓子や料理は出来たてが何よりもおいしいのだ。


「あんなに騒いでたのに、お前……」

「それだけお仕事に真剣だったということね」


 何か言いたそうなクトロスを無視してイリーはウィンクする。

 そして視線を小さな兄妹に戻す。


 妹を抱きしめている兄の方を蹴り上げると、体は簡単に吹っ飛んだ。

 守る人がいなくなった妹は恐怖で目を見開かせ言葉にならない何かを喘いでいる。

 そこに、えいっと剣を横に振るった。

 いとも簡単に切断された頭は地面をころころと転がっていく。

 それを見ていた兄の方の表情といったら。


 慌てて弟は妹の首を追いかけた。 そこをイリーは兄の手を掴み片腕を切り落とす。

 それでも兄は妹の首を追いかけた。

 追いかけて、片方しかない腕で大切そうに抱きしめて震えている。


 興味がなくなったイリーは剣に付いた血を振り払い、クトロスのいる方へと振り向く。


「あー寒い寒い、さあ早く帰りましょ」


 背に纏っているマントで体を包み体を震わせる。 世界が崩壊に進むとき、必ず世界は冷たくなる。 白い息を吐いて、イリーは暖かい食べ物を想像した。

 城では仲間の一人、スターストがマフィンを焼いている。 焼きたてのマフィンの食感や甘さのことを考えると、自然と笑顔が浮かぶ。

 食べることを想像するだけで幸せな気持ちになってくる。早く食べたい。


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