Vampire Killer~ヴァンパイアハンターと吸血鬼の恋愛譚~

Fujii

第1部:賽は投げられた~あるいは、親友との話

第1章:宵闇の邂逅

「あたしのモノになれば、あなたは苦しみから解放されるのに。

 それなのに、どうして分かってくれないのかしら?」


 聞き分けのない子供を見るような目で、少女がこちらを見つめてくる。

 夕日に染まる公園。藤沢ふじさわ和哉かずやは、銀髪の少女と対峙していた。


「そうだ! たしか人間って、痛い思いをすると学習する生き物なのよね?

 しょうがないから、あたしがこの手で教えてあげる。

 ……どうすれば、あなたが楽になれるのかを、ね」


 和哉が何かを答えるよりも早く、少女がその手を軽く振るった。

 腹部に焼けるような痛みが走ると同時に、視界が真っ赤に染まる。

 そして、ワンテンポ遅れて、「斬られたのだ」と気づいた。


 ―――どうして、こんなことになってしまったんだろう。


 背中から地面に倒れ込みながら、和哉はここ数日のことを思い返していた。




     *     *     *




 バスから降りた瞬間、熱気が体中にまとわりついてきた。

 かすかに潮の香りを含んだ湿度の高い夜風が、住宅街をゆるりと吹き抜けていく。

 自分を降ろしたバスが発車するのを見送ってから、和哉は定期券を高校指定の鞄にしまい込んだ。


(夜だってのに、この暑さか)


 じわりとにじみ出す汗に夏の到来を感じながら、自宅に向かって歩き出す。

 いつも通りの夜。何の変哲もない、予備校からの帰り道。


(まったく、嫌になっちゃうよ)


 和哉は青春を謳歌すべきであろう高校2年生。

 しかし、学校と予備校というふたつの場所で、知識を頭に詰め込み続ける日々を送っていた。


(アイスでも買って帰ろうかな?)


 真面目に勉学に励む自分へのささやかなるご褒美として、コンビニで甘いモノでも買って帰るとしよう。

 そう結論を出して、和哉は自宅から最寄りのコンビニへとルートを変更した。


(夕飯食べて夜食も食べたら太るかな。……でも、たまにならいいよね)


 自宅へ帰れば、夕飯が用意されているだろう。

 でも、24時間365日、「親や教師の期待通りに動く優等生」を演じ続けるのは疲れる。

 ちょっとくらいの逸脱くらい、大目に見て欲しいというものだ。


(早く大学生になりたいな)


 志望先は、東京にある大学。もし志望校に合格したら、ひとり暮らしをしてもいいと、親から約束を取りつけてあった。

 ひとり暮らしを始めれば、きっとこの息苦しさからは解放される。

 親のことは嫌いではない。だが、和哉にとっては、優等生であれという期待が少々重荷だった。


(学校の成績だけが、僕をはかる物差し? そうじゃないよね?)


 言えば親が嫌な顔をする。だから、思っても口にできない。

 自分が我慢して黙ってさえいれば、余計な波風は立たずにすむ。


(言ったところで、何が変わるわけでもないし……)


 ため息をぬるい外気に溶かし、気分を変えるために夜空を仰ごうとした。

 その瞬間。


 ―――ヒュッと、冷たい風が頬をなでた。


 反射的に首を巡らせて、和哉は息を呑む。

 視界に飛び込んできたのは、灰色の住宅街を切り裂くようにして走る、青い燐光。


(は……?)


 何を見たのか、和哉は一瞬理解できなかった。


 だって、少女が夜空を駆けていたのだ。

 住宅街の屋根から屋根へと、身軽に飛び移りながら。

 青く淡い光をその身にまとい、黒く長い髪を風になびかせ、セーラー服の裾をはためかせて。


(何、が)


 どこへ行こうとしているのか。少女の行く先を、和哉はついつい視線で追ってしまった。

 そうして、見てしまったことを後悔する。


 少女より数メートル先に、黒い「化け物」としか言い様のない「何か」が走っていた。

 シルエット自体は、犬のような形をしている。だが、全体を墨で塗りつぶしたかのように真っ黒で、サイズも少女の倍はありそうな大きさだった。


(まぼろし?)


 あまりにも非現実的な景色。それこそ、アニメの1シーンのような光景だった。


 和哉は思う、「ああ、僕は疲れているのだな」と。

 だって、こんな光景あり得るわけがない。ただ幻覚を見ているだけだと、誰だって思うはずだ。


 和哉が呆然と見ていることに気づいていないのか、少女は大きく跳躍して化け物との距離を一気に縮める。

 少女が軽く手を振ると、青い光の奔流が生み出された。そしてそれは瞬時に、翼を持った大きな爬虫類のような―――青いドラゴンのような形になる。


 青いドラゴンは大きく口を開けると、化け物に向かって青白いブレスを吐いた。

 ブレスをまともに食らった化け物は氷像と化し、一拍おいてから、バンと甲高い音を立てて破裂した。

 氷の欠片は、月明かりを受けて煌めきながら、夜闇に溶けて消えていく。


 ドラゴンは役目を終えたと言わんばかりに、彼女の足下に溶けこむようにして潜っていった。

 少女は軽くため息をついた後、再び屋根を蹴りつけて跳躍し、どこかへと駆けていってしまう。


 その場に残されたのは、再び静寂を取り戻した住宅街と、呆然としている和哉だけだった。


(な、何かの見間違いか、まぼろしだよな、きっと。早く帰ろ……)


 和哉はかぶりを振ると、ゆるゆると自宅の方へと足を向けた。

 こんな幻を見てしまうほど、自分は疲れているらしい。

 コンビニも夕飯もどうでもいい。疲れを取るために、今日はさっさと寝てしまおう。


(―――本当に、今のは幻覚?)


 そんな迷いを胸に抱きながら、和哉は帰路を急いだのであった。

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