第35話 #35
「ありがとうな。斗和。雫ちゃん。またいつでも来ておくれ」
「こちらこそだよ。おじちゃん。僕、本当に趣味バッティングにしようかと思えるほど楽しめたし、懐かしい気持ちになったし嬉しかった。定期的にここへ来るね」
「私もまさか、こんな出会い、いや再会か。あるとは思ってもいませんでした。またお邪魔させていただきます!」
「次回はバイクちゃんにも会いたいのぉ。あの豪快なゲップ、また聞きたくなっておるよ」
「おじいちゃん。そのことは多分、ハルカさんに言わない方がいいと思いますよ」
「ははは。分かっておるよ。さすがにわしも、でりかしーぐらい知識はあるさ」
「じゃあそろそろ行こっか、雫さん」
「そうですね。では、おじいちゃん。失礼します」
「またおいでー」
私たちの方をいつまでも見守ってくれているように、姿が見えなくなるまでおじいちゃんは私たちの方を見つめていた。先生も「ここへ来てよかった」と優しい声で言って満足そうに笑っている。
「先生、何年ぶりの再会だったんですか?」
「僕が小学生の頃だったからなぁ、20年以上は経ってると思うよ」
「うわぁ、それは本当に運命的な再会でしたね」
「おじちゃんもすっごく喜んでくれてて良かったよ」
「先生は神奈川県出身ですからここら辺りで地元の人に会ったりするのは本当に珍しいことでしたね」
「ほんとだよね。でもまぁ……うん。会えて良かった」
「……? そうですね。またあそこへ行きましょう」
「そうだね。また行こうね」
何かを噛みしめるように、もしくは何かを憂いているような、そんな表情でそう言った先生の声に私は何かを感じた。ただ、先生もこれ以上は何も話さないし話そうとはしないと思った私は、それ以上話題を出さないようにした。何とも言えない沈黙が車内に充満する。少し息苦しくなった気がして私は少しだけ車の窓を開けた。外から入ってくる風が涼しくてとても心地が良い。
「いい風が入ってきてるね。ちょっと開けようか」
「そうですね。換気も大切ですし」
「これは開けすぎ?」
窓を全開にした車内には、私も先生も髪の毛がくしゃくしゃに乱れるくらいの突風が吹き荒れた。慌てて先生は窓を閉じた。
「あはは、ごめんごめん。さすがに開けすぎたね」
「オープンカーかと思っちゃいましたよ」
「ごめんごめん」
笑いながら先生は自分の髪の毛をくしゃくしゃと指でとかして整えていく。私も手ぐしで整える。思っていたよりは乱れていなくてよかった。すると、赤信号で車を止めた先生が運転席から身を乗り出して私の顔の方に手を伸ばした。驚いた私は咄嗟に目を閉じた。すると、先生の手が優しく私の髪の毛を撫でるように整えてくれた。少しずつ目を開けると先生のへらっと笑った笑顔と目が合った。
「寝ぐせみたいになってたよ。まぁさせた張本人が僕なんだけど」
「……先生も耳の後ろ、ぴょんってハネてますよ」
どくんと大きく動いた心臓の勢いに乗るように、私は平常心を保ちながら先生の髪の毛に触れた。ハネてなんかいない。多分、上手いことほぐれていいセットが出来ていたと思う。でも、私だけが緊張するのが嫌で、少しでも先生がドキッとしたらいいなと思い、私も身を乗り出して先生の髪の毛を整えた。すると、先生は驚いているのか目を丸くして何も言わずに私を見つめている。
「結果オーライです。先生」
「……え?」
「風が吹いたから、さっきより良い感じの髪型になってます」
「…….雫さんのおかげだね!」
ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせながら、私は今できる精一杯の笑顔を先生に向けた。それを見た先生は、私に応えるようにニンマリと優しく笑って私の髪の毛をわしゃわしゃと撫でた。ちょっと。先生。そんな笑顔でそんなことされたら、心臓が持ちません。私は目線と感情がぐるぐるになり、後ろにつけている車のクラクションの音で我に返った。
「あれ、もう信号の色、変わってたか」
「ほら、先生。後ろの人に怒られましたよ、そんなことしてたら」
「この数秒も待てないドライバーに怒られても僕は何とも思わないね」
へへへと笑いながらわざとゆっくり走って後ろの車を挑発するように運転する先生は、再びハンドルを握りしめて前を見た。二車線になった途端、後ろに走っていた車が私たちの車を追い越して行った。追い越す時に見た運転手の鋭い眼差しは見ない方が良かったと後悔した。再び信号が赤になり、車内には静かに流れるバンドのバラードが流れている。
「人間には色んな人がいるけどさ」
「……え?」
独り言を言っているのか私に言っているのか、先生はまっすぐと前を見つめたまま口を開いた。
「色んな人がいるなかでも、僕はツナおじちゃんみたいに優しい人でありたいと思ってる。少しぐらい発車するのが遅れただけで煽ってくるような人にはもちろんなりたくないし、あんなに鋭い視線を他人に送るような人にはなりたくない」
「……そうですね。私もそう思います」
「さっきおじちゃんに会ったから余計に思ったんだけどさ……」
「はい……」
「僕、一度川野町に帰ろうかなって思ってるんだ」
「帰る? その間、店はどうするんですか?」
「少しだけ。4、5日くらいだけ閉めようかなと思ってる。まだまだ全然日にちとかは決めてないけどね。それでさ……、雫さん」
「な、何ですか?」
「僕と一緒に行かない? 川野町」
「え、えぇー!?」
冗談で言うはずのない先生の提案を聞いた私は、自分でも思うほど大きな声を車の中で出した。予想すらしていなかった展開に私の頭の中は洗濯機のようにたくさんの情報がぐるぐると回る。
「そんなにびっくりした? 雫さんのでっかい声聞いたの久々だよ」
「い、いやいや、先生が急にそんなこと言うからですよ!」
「ダメかなぁ? 今はだいぶ街並みも変わったと思うし僕自身もどんな故郷になってるかは分からないけどね」
「店の営業とかに影響が無いなら私もいいなとは思いますけど……」
「何もすぐって話じゃないよ。明日からもたくさんのクライアントがウチに来てくれるしね。何ヶ月か先だったらその日を店の休日にすればクライアントも調整してくれるはずさ。店の売上だってありがたいことにそこまで苦しい状況じゃないからね」
「う、うーん……」
「ダメかなぁ?」
また赤信号だから。車が止まっているから。そんな目で見つめられたらNOと言えるわけないでしょう。私の世界の中であざとさNO.1の先生はその実力をいかんなく発揮してくる。私は気持ちを落ち着かせるフリをして、スマホのカレンダーアプリを開いた。
「い、今から1、2ヶ月後とかだと夏本番くらいの季節になりますよね」
「そうそう。海開きの時期と被ってくるね。観光客も多くはなってるだろうから人が多いタイミングにはなってると思うけど、その分素敵な景色や食事ができると思うよ。何年も帰ってないけど、料理が美味しい店なんかも連れていけると思うし」
たくさんの条件をつけて私をあざとい上目遣いで見つめてくる先生に、私は降参するように、覚悟を決めるように大きく息を吐いた。
「はぁ……。分かりましたよ。先生がそこまで言うなら……。よろしくお願いします」
「やったー! 雫さんにはたくさん僕の故郷の良いところを知ってもらいたいと思ってたから嬉しいよ。こういう楽しみができたこともさっきのツナおじちゃんに感謝しないとな」
えへへと笑う先生を見ていると、私は自分が単純な人間だと改めて思った。この人がこんなに嬉しそうな顔をしたのが見れたなら、今の返事をYESと言って良かったと。それに、先生の故郷へ初めてお邪魔することができる。それを想像するだけで緊張してきた。どんな街なんだろう。そこで斗和少年が育ったんだ。せめて私がソワソワしていることがバレないように私は、車内にかかっていたバラードをスキップして、アップテンポの邦楽に変えて、わざと大袈裟に体でリズムをとった。それを見ていた先生が笑ったから、私はしばらく大袈裟に体を動かし続けた。
「あ、それと雫さん……」
「……何ですか?」
「夕食、連れていきたい場所があったって言ってたと思うけど、やっぱり家で一緒にうどん作らない? 何か無性に食べたくなっちゃって」
「……私も食べたいと密かに思ってました。しょうがないから一緒に作ってあげますよ」
そう言った私を見てへらっと笑った先生の顔を見ていると、このまま先生の故郷へと走りたくなってしまう自分がいた。私は先生に悟られないように表情は崩さないまま前を見つめた。ちらちらと私の方を見つめる先生が視界に入るたびに私は心臓が大きく動くので、なるべく先生を視界に入れないまま先生との会話を楽しんだ。
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