第16話 #16

            ✳︎


 正午。師匠の家から戻り午前中のカウンセリングを終えた僕は、午後のクライアントが来るまでに数時間余裕があり、今日は僕の料理当番であったため、久しぶりにカルボナーラを作った。昨日の夕食で残っていたベーコンやや玉ねぎを使い、賞味期限が切れそうな食材を詰め込んだ即席だったけれど、湯気から香る卵の混じったチーズのまろやかな匂いは、我ながら食べたくなるものになっていた。


 「いただきます」

 「はーい。どうぞ。僕もいただきます」


同じ食べ物を同じ食器を使って食べているのに、いつだって雫さんはすごく上品にそれを食べる。まるで食べ方のマナーを動画で見せられている手本の解説をしてくれているようだ。それを咀嚼している彼女の表情はいつもより柔らかくて、いつもより味わって食べてくれている。僕の口の中にもそれらの旨みがふわっと広がった。


 「おぉ、我ながら上出来だね。あり合わせの食材でもできるもんだね」

 「はい。やっぱり先生の料理は美味しいです。ただ美味しいっていうだけじゃなくて温もりみたいな、優しさがある気がします」

 「はは。嬉しいこと言ってくれるじゃん。雫さんにそうやって言われると、これからもこういう作り方を極めたくなるよ」

 「でも、どうしてあんな少ない食材でこんなに美味しくなるんですか?」

 「えぇ? 雫さんも分かる気がするけどなぁ」

 「分かんないです。教えてください」

 「それはね……」


彼女にまたひとつ、このカルボナーラを作ったコツを言おうとした瞬間、来店を知らせるベルが高らかに部屋中に鳴り響いた。予約されていたクライアントが来る時間にしては随分と早い。ということは予約していない来客になる。インターホンのボタンを押すと画面には眉間に皺を寄せ、工場や現場で仕事をしているような作業着を身に纏った、僕らの親ぐらいの年齢っぽい男の人がそこに映っていた。


 「こんにちは。Tsukakokoへようこそ」

 『すまん。さっき近くの現場で体を痛めてな。看板に体の疲れも癒すって書いてあるんだが、こういうのもいけたりするのか?』

 「もちろん。大歓迎だよ。今から迎えに行くね」


僕の言葉に違和感を覚えたのか、カメラのレンズを見つめたまま口を開けているそのオジサンは少しの沈黙の後、首を縦に振った。まぁ、この人が何を言いたいのか、ある程度は予想がつく。


 「先生、即答してしまって大丈夫だったんですか?」

 「うん。次の予約まで時間はあるからね。もうちょっと食べたかったけど、オジサンが元気になるならいいかなって」

 「……先生らしいです。クライアントが怒り出したら、私が対応します」

 「……いつもありがとう。でも、今回は大丈夫な気がするよ」


こういう初めて来てくれるクライアント、さらには高齢のオジサンが初めて僕と喋ると大体の人は今来ている人みたいな難しい表情をする。まぁ会社に勤めている人や真面目な人は気にするよね。ここは昨日に師匠に教わった言葉じゃないコミュニケーションや安らぎを与える時間で充実してもらおう。ドアを開けると、さっきよりも険しい表情をしているオジサンが僕の目を睨みつけるように見つめていた。


 「こんにちは。Tukakokoへようこそ。代表の麻倉斗和です。そして、こちらが助手の雫です。初めまして」

 「初めまして。Tskakokoへようこそ。紹介にありました、助手の雫です」

 「……」


僕らの挨拶が聞こえていないのか、何も反応しないオジサンはその太い腕を目の前で威嚇するように腕を組んだ。


 「……さっきも言ったが、体の痛めた場所を何とかすることも出来るのか? 緊急事態なんだが、もし出来ないなら別の病院へ行くつもりなんだが」

 「大丈夫だよ。初めて来店された人は、このバインダーに挟んである紙に書いてある簡単な問診をしてもらってから、施術内容を決めていくんだ。まずはお名前を教えてもらおうかな」

 「……」


僕の言葉と存在を無視するように、そのオジサンはその紙の記載事項へ目を移した。


 「お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 「……笠井寿光(かさいとしみつ)だ」

 「ありがとうございます。では笠井さま。そちらにお名前から記入をお願いします。そして、その下の欄に今現在、自分の体にある痛い箇所や違和感のある場所を記入して下さい」

 「……分かった」

 「では、こちらへおかけになっていただいて、記載事項の記入をお願いします」

 「……あぁ」


雫さんの声には静かな声で反応する笠井さんと言ったオジサンは、記載事項に書いてある質問を少しずつ理解するようにゆっくりとペンを走らせていく。その人が全てを書き終えるまで僕と雫さんは静かにその時を待った。そして5分ほどが経ち笠井さんの書いている紙を覗いてみると、そこにはひとつひとつの質問事項に余白が無いくらいびっしりと文字が並べられていた。そこには笠井さんの今抱いている、ありとあらゆる体の不調が記されていた。

 

 「書けたぞ」

 「笠井さん、丁寧にひとつひとつ書いてくれてありがとう。要点を理解して、施術内容を2人で考えていくから少しだけ待っててね」

 「……さっきから思ってたんだけどよ、俺はお前のツレじゃねぇぞ? 何馴れ馴れしく喋ってんだ?」


嫌悪感を顔から、いや全身から滲み出して僕を睨みつける笠井さんの目は場を和ませるとか、笑いを取ろうとしているのではなく、完全に僕に対して怒りの感情をぶつけている。決して珍しい話ではないけれど、笠井さんの年齢ぐらいの人が初めて僕と喋る時は、大体今の笠井さんと同じような顔をして、同じようなことを言う。まぁ世間一般では歳上に敬語を使うのは当たり前だし、ましてやお金を貰う側と払う側だ。礼儀を重んじる人が正しいだろう。


 「ごめんね。笠井さん。僕、誰とでも友だちになりたいって思ってしまう人間なんだ。だから初対面の笠井さんにもこうして敬語は使わないでやりとりをしちゃうんだ。笠井さんみたいに真面目な人は、僕みたいなこういう接し方されるとナメてんのかって思っちゃうよね、ごめんね」

 「……あぁ。正直、最初は何だこの店はって思ったよ。そこの隣にいるお嬢ちゃんが丁寧に受け付けてくれたから、話ぐらいは聞いてやろうって思ってな。だから今も、俺はこの嬢ちゃんの言うことだったらいくらでも聞いてやる。分かったな」

 「……うん。分かったよ。じゃあいいかな? 雫さん」

 「はい。わかりました。では笠井様。こちらへどうぞ」

 「あぁ」


僕を視界から外すように雫さんの方を向いた笠井さんは、そのまま彼女に促されるまま施術前から疲れの癒せる(クライアントの間で話題になっているらしい)異常な弾力のあるソファに腰かけた。僕の顔を見つめている雫さんを見つめ返し、大きく首を一回縦に振った。僕の考えていることが通じたようで彼女も一度、僕と同じように首を縦に振った。


 「それではまず、全身の疲れを取っていきましょう。では笠井様。こちらへ」

 「……あぁ、よろしく頼む」

 「はい。こちらこそよろしくお願いします。まずはシャンプーをして。頭皮のケアからさせていただきます」

 「シャンプー? 俺は今日、体の方のマッサージをメインにしてもらいたいし、まだここが終わったらまた現場で仕事するから頭は洗わなくていいぞ」

 「申し訳ありません。こちらのシャンプーは頭皮や髪の毛のケアだけでなく、マッサージの効果を上げるために全身の筋肉をほぐすことも目的としています。ですので、笠井さまのお時間がよろしければ、是非シャンプーをさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

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