第12話 #12
「僕たちもさ、師匠にならって食材から選んで美味しい料理も作ろうとしてるんだけど、まだまだ全然追いつかないよ。あ、でも、この前雫さんが作ってくれた天津チャーハンはびっくりするぐらい美味しかったなぁ」
「天津チャーハン? もう響きだけで美味しそうじゃん。てか、すでに今食べたくなってるよ。でも、斗和が午前中に淹れてくれたコーヒーもびっくりするぐらい美味かったけどね」
これは師匠のクセ、その1だ。自分が褒められると、すかさず僕らを褒めてくれて自分の話題をするりと抜ける。師匠は本心で言ってくれているし、師匠に褒められるのは嬉しいけれど、素直に師匠が喜んでくれる顔も見たくなる。
「いやぁ、まだまだだよ。料理でクライアントにリラックスしてもらうには、多分これくらい美味しいものを作らないといけないと思うし」
「私ももっと、健康的で美味しい料理を作らないといけないと思ってます。中華料理は基本、塩分や脂質が多いので」
「はは。2人とも相変わらず謙虚だね。レビューでは高評価や店を褒めるコメントがいっぱいあったのに」
スマホを触りながら豚肉を口の中に入れると、「あぁ。確かにこれは美味いね」と嬉しそうに笑う師匠の手元にある画面では僕らの店の口コミをじっと眺めては、時折ゆっくりと指を上にスクロールしている。
「じゃあおれも2人に追いつかれないぐらい料理の腕を上げないとな」
「これ以上料理の腕上がっちゃったら、師匠の店、1日中客やらマスコミやらで大忙しになっちゃうよ。ただでさえ、大人気料理店なのに」
「いやいや。それは恐れ多いよ。それに、おれは運が良かったのもあるからね。あと斗和、雫ちゃんも。料理はね、ただめちゃくちゃ美味しいものを作ればいいってものじゃないんだ。それなら世界中の医者はミシュランの星3を獲るような努力をするだろうからね」
「ミ、ミシュラン……?」
師匠のクセ、その2。独特な例えや言い回しで物事を例えて、独特な発言をしがち。まぁ今のところ、師匠が言いたいことはある程度伝わってくる。長年の付き合いがあるから。無かったら理解が出来ないと言われると、案外それはあるかも……、いや、ノーコメントにしておこう。
「食べてもらう人のことを考えながら作っていくと、料理の味は2倍にも3倍にも美味しくなる。いくら高級な食材を使っても、昔から続いている伝統の調理法を使っても違う。自分の作っている料理で、目の前にいる人が幸せそうに笑ってくれる。それを想像すると、料理の出来栄えは格段に良くなるよ」
「僕もいつだってクライアントのみんなには美味しい料理を食べてもらって幸せそうな顔をしてほしいって思いながら作ってるよ」
「私だって先生と同じことを考えながら料理を作ってますよ」
「うん。それは今日の仕事中の2人を見てたらすぐに分かったよ。けど、2人はまだまだ伸びしろがあるってこと。おれの今作ったアヒージョよりも段違いに美味い料理だって作れる。それに2人は料理以外にも人を癒せる術があるでしょ」
口論になる一歩手前ぐらいの熱量で話し合っている僕らだけれど、アヒージョを口に運ぶことは決して忘れてはいない。自分の分が無くなると即座に鍋から豚肉やニンニクを自分の皿へ運ぶリッカちゃんに並ぶくらい、僕や雫さんも負けないぐらい勢いよく自分の皿の中が無くなっていく。皿の中はすぐ無くなるのに口の中はなかなか無くならないのは、やっぱりこのアヒージョが美味しいからだ。
「まぁまぁ、大人の皆さん。平和に行こうよ! みんな、料理で人を癒す力は絶対あるんだからさ! 褒め合った流れで口喧嘩になっちゃったら、笑えるものも笑えなくなるよ!」
リッカちゃんはへらへらと笑いながら、もぐもぐと口を動かして熱くなっている僕らをなだめている。確かにリッカちゃんの言う通りだ。せっかくの団らんの時間なのに。僕はリッカちゃんの言葉に諭されるように熱くなっていた頭を冷ますように深呼吸をして自分を落ち着かせた。
「ほんとだ。ごめんごめん、口喧嘩なんてするつもりなんてなかったのに、つい熱くなっちゃった。師匠、ごめんね。せっかく褒めてくれてたのに」
「私もごめんなさい。お酒が入る時こそ冷静でいられるようにしなければいけないのに」
「あはは。大丈夫だよ。おれからしたら2人とも真面目だからね。おれみたいにちょっと自分の中の空気を抜けたらフニャって出来るよ」
「フニャってしてもいいの……?」
「いいんだよ。人はずっと張り詰めてたらいつか割れちゃう時が来るからね。そうならないように君たちみたいなメンタルセラピストっていうお医者さんがいるんだから。そうだな、2人の仕事っぽく言うなら、おれの店で提供してるのは料理セラピーってとこかな」
「料理セラピー……」
「そうそう。おれは唯一これしかないけどさ、2人にはまだまだ色々な可能性がある。それを駆使してたくさんの人に癒しをあげるんだ。っていう話を斗和が店を持つ時に言った記憶があるなぁ」
「……うん。確かに、昔、師匠に言われたことがあるな……」
「そうでしょ。初心、忘るべからずだよ。まぁ斗和や雫ちゃんはいつだってそう思ってると思うけど」
リッカちゃんもよく食べる子だけれど、師匠も負けず劣らずよく食べる。僕の半分くらいの細さしかない師匠を見ていると、いつもどこに食べ物が入っていっているのか不思議に思う。僕らをもてなしてくれているだろう料理も、多分この2人の方が食べている量は多い気がする。まぁ、それがこの2人らしいところでもあるけれど。
「ありがとう。相変わらず、師匠は師匠だね」
僕が笑顔を向けてそう言うと、師匠も僕につられるように笑った。
「何だそれ。褒めてくれてるの?」
「当たり前じゃん。これ以上の褒め言葉はないよ」
「そんなこともない気がするけど……。まぁ、褒めてくれてるならいいよ」
「先生、カケルさんからは日々、大切なことを教わりますね」
いつの間にか取り皿を空っぽにしている雫さんも同じように笑いながら、鍋に手を伸ばすと、そこにはもう何も食材が入っておらず、いいダシが出ていそうなスープがあるだけになっていた。
「ちょ、ちょっと……! もうアヒージョ残ってないじゃないですか!」
お玉を片手に持ったまま慌てる雫さんなんてなかなか見れるものではない珍しい光景が僕の目の前にある。普段、少食の雫さんがおかわりをしてでも食べたいと思えるのだから、やっぱりこの料理は色んな意味ですごい。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっとおれとリッカが取りすぎちゃったかな。もう少し作ればよかったね」
「父さん、じゃあ次は私がアヒージョ作ろうか? 少しだけ食材も変えて追いアヒージョ! 今度は海老でも入れようかな」
このダシの入ったオイルスープに海老が入ると、またすごく違う味わいになるだろう。そしてそれは、とてつもない美味しい気がする。もう既にそんなことを考えてしまう。僕だってお腹は満たされているのに、不思議とまだまだ食べたいと思ってしまうのが師匠の料理だ。
「いいねぇ。じゃあ次はリッカに頼もうか。2人も食べる?」
「もちろん食べるよ」
「もちろんです!」
雫さんと声が重なりながら師匠に返事をすると、師匠とリッカちゃんに同じタイミングで笑われた。
「アハハ! やっぱり2人は何だかんだで仲良しだね」
「仲良くないよ」
「仲良くないです!」
2人してまた声が重なったものだから、また2人に笑われてしまった。雫さんもムッとした顔をしているけれど、鼻の頭を3回ほど撫でているところを見ると、多分彼女も嬉しいと思ってるんだろうな。まぁ結果的にみんなが楽しんでくれていてよかった。そしてこの空間を作ってくれた師匠に感謝しながら僕もリッカちゃんが作ってくれる追いアヒージョを楽しみにした。
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