第29話・遺されたもの

 だが、確かめる前にやる事がある。

 カーネリアは棺の上を睨み、はっきりと断言した。


「いるのだろう、三賢神。この茶番は、お前たちが仕組んだこと――そうだな?」

「……なぜ、我らに気付いた」


 宙に響いた答えよりも早く。カーネリアが睨みつけた空間が、水滴でも落としたかのように波紋をえがいていた。波紋の数は、三つ。

 波紋から、ぬるりと小さな影が飛び出す。みな、同じデザインの赤、青、緑のローブをすっぽりまとい、子供ほどの背丈しかない。表情は、目深に被ったフードに隠れている。そして、みながみな、カーネリアよりも頭一つぶん高い位置で浮いていた。

 賢神の問いに、聖女はふっと笑って答える。


「なに、フィロメラの語った計画があまりにも杜撰すぎると思ってな。自分を縛り付けた人間とお前たちについての憎しみは本物だろうに、ここへ来た経緯は適当すぎる。先ほどの戦闘の際、棺だけではなく、その上の空間にまで強固な防御魔法が施されているのに気がついたんだ。なんのためかと考えれば、、ということかと思ってな。まったく、気がつくのが遅すぎた」


 優雅に首を振ると、彼女は言葉を続ける。


「そこまでして守らなければならないものはなにか? 三賢神について、フィロメラは末路を語っていなかった。彼女の不自然な帰還と合わせれば、三賢神はまだこの世界に存在し、どこかで顛末を見守っていると考えるのが妥当だ。そして、この遺跡の中ならば、誰にも見つからず、我々の魔力まで掠め取りながら活動することができる――というわけだ」


 語り終え、カーネリアは大袈裟に一礼してみせた。三賢神からの返答は、ない。が、答えがないことが、彼女の考えが間違ってはいないと肯定していようにも取れる。

 しばしの沈黙のあと、三賢神の一人――緑色のローブ――風の賢神が乾いた拍手をして口を開いた。


「さすがは聖痕に選ばれしもの、と言ったところか。悪くない」


 年齢も性別も分からぬ、曖昧な声音。同じ声で次は赤の、火の賢神が引き継ぐ。


「しかし、茶番とはなんのことかね。我らには覚えがない」


 ほう、とカーネリアは低く呟き、一瞬だが鋭く光る瞳で彼らを見据えた。


、か。聖女と魔女についての、すべてだよ」


 葬られた歴史があったことは、フィロメラから聞いた。そして、なぜそんなことを三柱がしたのかと問われれば――カーネリアの中にある答えは、あまりにも楽しくないものだった。

 だから、かもしれない。


「魔女、否、災厄はお前たちが封印したんだ。災厄について曖昧過ぎる記述しか残っていないことには、ずっと疑問を感じていてね。本物と会って、やっと理解がいったよ。魔女とは、災厄そのものであり、決まった見た目はない。フィロメラ自身に封印したこと、聖女にかけて魔女、と称すれば人々の記憶にも残りやすい。黒い髪に赤い瞳は、ただフィロメラの持つ色を反転したにすぎない」


 三賢神は、言葉を挟まずただ聞いている。なにを考えているのかは、目深に被ったフードが邪魔をして読み取れない。


「こんな時期にフィロメラを呼び寄せたのも、お前たちだ。なぜなら、お前たちにとって彼女はもう無用の長物――否、ただの害悪でしかなくなったのだから」

「なぜ、そう言い切れる」


 初めて、水の賢神が言葉を発した。やはり、ほかの賢神と同じ声である。カーネリアはにやりと口のを上げ、高らかに宣言する。


「私がいるからだ」


 自信たっぷりなその台詞は、エルがいれば確実に突っ込みをいれていたであろう。仮にも神様になんてことを言うんですか! とかなんとか。

 そんな彼の様子が簡単に想像できて、カーネリアは知らぬうちに微笑む。


「新たな聖痕の聖女が見つかったからだ。ここから出ずに、お前たちは遺跡に住み着いていたキノコ――正確には菌糸に魔力を這わせて、世界の様子を伺っていた。あれはどこにでも伸びるし、胞子で遠い場所へ飛ぶこともできる。『繝、繝舌>繧ュ繝弱さ』などは、この遺跡で出くわしたヤツから進化したものだろう」

「そこまで気付いているとは、話が早い。わ――」

「断る」


 提案さえさせず、一言で切り捨てる。勢いに呑まれ、三賢神は今度こそ押し黙った。


「……やはり、しっくりこないな」


 沈黙の中、三柱をじっくりと眺めていたカーネリアが首をかしげて言う。


「火の賢神、水の賢神、風の賢神。三賢神と言えば聞こえはいいが、それぞれの呼び名を考えるとしっくりこないな。火と水と風があろうと、大地がなければ人は暮らせない。そんながいないのは、少々気持ちが悪い――そうは、思わないか?」


 カーネリアの問いかけに、三柱の時が止まる。彼女がなにを言いたいのか、理解したからだ。理解はしたが、納得はできない。頭や口元に手を当て、それぞれが思い出せない記憶としばし格闘する。

 神と称するものたちの苦しむさまを、稀代の聖女は愉快そうにたっぷりと眺め、楽しんでいた。


「……まさか……ッ」

「そうだ。お前たちの記憶もまた、改善されているということだよ」


 面白そうに紅い唇を吊り上げ、カーネリアは妖艶に微笑む。


「お前たちはフィロメラの記憶を好き勝手いじった挙句、災厄の魔女という化け物を生み出した。歴史も都合の良いように改変し、後世に残した。すべてを知っているお前たちには、とても楽しい見世物だっただろう。世界を弄び、聖女システムからおこぼれをもらい、自分たちはのうのうと聖女と魔女に右往左往する人間たちを見ていれば良かったのだからな。正に優雅な、神々の遊びだろう。だが――」


 滑らかに言葉を吐き出していた口がはた、と止まる。唇に細い指を添えて、カーネリアは意味ありげに三柱を見た。その瞳には、確かな憐みが浮かんでいる。


「お前たちの身体からは、まるで魔力が感じられない。見た目どおりの、からからでカスカスだ。ヒトを超越したものの中には、霞を食って生きているなどというものもいるようだが、お前たちもその類いか?」


 どこまでも憐憫を含んだ聖女の言葉に、神と謳う三柱はもはや返す言の葉もなくなっていた。それは、彼女が口にしていることが間違っていないという事実を示している。


「……しかし、こんな、ことが……ッ」

「おお、確かに、確かになにも感じぬ。いままで感じていた全能感は、いったい」

「我らのほかに、四柱め、だと……? だが、こんなことができるのは、神以外にあり得ぬ……」


 賢神たちはすでに、虚ろな目をしてぶつぶつと思い思いのことを呟くだけだ。そのなかで唯一、四柱めの記憶を朧気ながら掴みかけている風の賢神が、「なぜ」と問いかける。


「どうしてお前は、もう一柱いると言い切れる。大地――地の賢神がいると、なぜ!」

、いまお前自身が言ったじゃあないか。お前たちは人間を手のひらの上で転がしているつもりで、地の賢神の手のひらの上だった、ということさ。お前たちもまた、狸の暇つぶしのオモチャだったということだよ」


 残念ながら、心当たりがあってね、とカーネリアはため息をつきながら答えた。この心当たりについては、心底ため息しか出ない。


「ついでに言えば、その狸の本当の目的は、お前たちの抹殺だろう。フィロメラと災厄を呼び寄せた時点で、消すことを決定したんだ。ふん、一応は大地を司る賢神として、自分の作った大地せかいをまたオモチャにさせるわけにはいかないと――否、そんな殊勝な狸ではないな。ただ、お前たちに好き勝手されるのが、嫌だったんだろうな」


 聖女の魅惑的な紅い唇は、やっと閉ざされた。一拍の時を置き、彼女は杖を握り直してもう一度、深いため息をつく。


「さて――。話は以上だ。あとは、お前たちへの罰を執行する時間だ」

「……罰、だと?」

「我らが、なんの罪を犯したと言うのかね」

「そもそも、小さき人であるお前に、我々をどうこうできるとでも――」


 醜く足掻く三柱を見上げた瞳は、全員を黙らせるちからを持っていた。


「できるさ」


 紅く光る双眸にローブの三柱を映し、彼女ははっきりと告げる。


「罪状は、世界をもて遊んだ罪」


 凛とした声が響く。


「我らが世界を任されたのだ! 聖女は、聖痕の聖女は、我らが定義した、我らの僕であるはずだろう! それが我らを罰するだと!?」


 それぞれが口々に叫んだ本音に、カーネリアはくくッとひどく愉快そうに笑った。


「聖女ならばいざ知らず。災厄ならば今の矮小なお前たちなど、軽く消し去ることができよう。黒い髪に紅い瞳。


 言葉を挟む隙を与えず、魔女の外見を持つ聖女は、こんっと杖で床を突く。たったそれだけの動作で、青い魔法陣が三柱を取り囲むように次々と花開いた。青い魔法陣が咲き誇る中、カーネリアの詠唱がハスキーな声音で、しかし気高く紡がれる。


「我、カーネリア・シェラザードが執行を代理する。災厄であって災厄で在らぬものよ。愚かな者には天罰を。哀れな者には永遠の眠りを――」


 ――魔女の救済ジ・エンド


 ぐるりと球状にまで増えた青い魔法陣は、ちからある言葉とともにひと際眩い光を放つ。刹那、内側の空間が、中心からぐらりと歪んだ。中心から歪みは広がり、魔法陣に囲まれたものたちを吸い込もうと音を立てる。轟々と、音だけは遺跡に鳴り響いているのに、魔法陣の外側では欠片すら動いていないのが奇妙な光景である。

 三賢神は、それぞれ防御のための魔法を使おうとして――なにも起きないことに愕然とした。魔力が枯渇していると告げられても、心から信じられなかった事実。自分たちは神だという驕りからくる、慢心。


「神殺しなど――」

「後悔するぞ、小さき存在よ」

「ああ――思い出したぞッ、地の賢神――ッ!」


 三柱の歴史から抹消された神々は、口々に叫ぶ。

 ――が。

 こん、とカーネリアが杖で床を突くと、空間の歪みはさらに大きくなり、叫びごと三賢神を捕捉する。ゆらりと不安定な空間に放り出され、ちからを失ったことに気付けなかった傲慢な神々はあまりにもあっさりと握り潰された。

 青い魔法陣が、はらりと消えていく。


「滅するがいい。小さな神々よ」









「……カ、カーネリア」


 震える声に振り返ってみれば、入口の端からちょこんと顔を出すモルモットがいた。「おや」とカーネリアは微笑み、ジークを手招きする。それを見て、ジークは足をもつれそうな速さで動かしながら飛んできた。


「お前は、一緒に帰らなかったのか?」

「おれさま、カーネリアを待ってたんだぞ」

「そうか。怖い思いをさせたな」


 カーネリアの言葉に、大きなモルモットは顔をぶるぶると横に振る。


「カーネリア。さっきの奴らが一番悪かったのか? かみごろし、ってなんだ?」


 問いに答えはなく、細い指がジークのもふもふを優しくなでる。


「知らないほうが良いこともある。お前が見たものは、私たちだけの秘密だ」


 彼を触っていない左手の人差し指を、紅く彩られた唇にそっと添える。ジークは「ラジャー」と小声で言い、ポーズをとった。

 カーネリアは、踵を返すと奥に安置されたままの棺に手をかけた。フィロメラが開けることができなかった蓋は特にちからをいれることもなく開き、中の少女が外気に晒される。プラチナブロンドの前髪が、ふわりと揺れた。その髪に触れ、胸の上で重ねられた手を取って、カーネリアは呟く。


「……やはりな」


 少女は、精巧に作られた人形だった。いくら文明が発達しようとも、仮の身体を保存できるほどではなかったらしい。

 それだけの、理性はあったということか。


「いや――」


 単に、作らなかっただけかもしれんな、とカーネリアは思い直す。

 なぜなら。

 人の身体など、作る必要がなかったからだ。

 人形の身体であれば、死ぬことがない。転生することもない。

 だから。


「……おや」


 自然と、口元がほころんだ。自分の魔力が混ざっているというのも、悪くはない。


「カーネリア。それ、どーすんの? まさか持って帰るとか言わないよな?」


 ジークが、無遠慮に足をかけて覗き込む。

 少女の、美しいエメラルドグリーンの瞳が、珍しそうにモルモットを見つめていた。

 ぱちりと、まばたきを、一度。


 ――生きている。


「……う、う」


 驚きすぎて、言葉をなくしたジークに向かい、カーネリアは自信たっぷりに答える。


「もちろん、ぞ。数えきれんほどの魔力が集まった結果、魂が生まれたみたいだからな」


 フィロメラは、災厄とともに消滅した。

 しかし、仮初の身体には、別の魂が生まれ、宿っている。

 平和からやがて、滅びた世界もあったのかもしれない。歴史から消し去られた、誰も知らない真実の世界。

 だが、もう一度同じ過ちを繰り返すとは限らない。

 仮初の身体は、聖女にはならなかった。だが、奇跡とも言える魂が宿っている。

 これだから。

 まだまだ、この世界はおもしろい。

 カーネリアは虚空を見つめ――魂の宿った人形をそっと抱き上げ、遺跡を後にした。

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