最終話 新たな渇望



 無事に合流を果たしたフェリス姉妹は簡潔に情報共有を終わらせ、互いを存分に褒め称え合った。

 詳細不明の魔物との一対八の戦いで身体を欠損しながらも二匹を殺し、撤退を選ばせたのも、具現化した不滅と呼ばれる真竜エウロスを幾度も斬り裂き、その暴力を認められたのも、蛮族として充分に誇るべき偉業である。


(レヴィンを撫で殺すためにも、早く腕を治さないと)


 両足は既に動かせる状態にまで再生できているのだが、左腕は肩関節から消滅してしまったし、右腕は短くひしゃげてしまった。ファーヴとの殺し合いで体得した『勿体ない式再生促進』は、蛮族で主流とされる『弱い自分への怒り式再生促進』よりシルティに格段に合っているようだが、さすがに四肢欠損を即座に完治させることはできない。

 偉大な父ヤレック・フェリスは腕一本ぐらいは千切れても一、二拍でと生やせる。シルティも蛮族の戦士としていずれはその領域に至らねばならない。精進あるのみだ。

 とりあえず、今の身体をあと三日で完治させるのを目標とする。


(んー……右手は斬っちゃった方がいいか)


 千切れて消滅しただけの左腕はともかく、右腕の怪我はあまり複雑すぎた。一度切除してしまった方が結果的に早く治せるだろう。比較的損傷の少なかった〈瑞麒みずき〉に頼み、肩からすぱりと切断する。

 ファーヴ曰く、ここはかなり小さい島のようだ。外縁部はほとんど全てが砂浜。中央付近は岩山となっており、全体的に植物に乏しい、とのこと。

 直接探索したわけではないので確かなことは言えないが、大型陸棲動物の数は少ないと考えた方がいいだろう。〈冬眠胃袋〉にいくらか食料は収納してあるとはいえ、この腕も貴重な食料として消費しなければ。


「レヴィーン」


 右肩の止血をしつつ、レヴィンに声をかける。

 嚼人グラトンと琥珀豹、どちらの食料を重視するべきかは決まっていた。

 ローゼレステへの報酬として自分の〈冬眠胃袋〉へ酒瓶ウイスキーを移していたレヴィンは、緊急性に欠けた姉の声を受け、頭だけでゆっくりと振り向く。耳介は離れた位置に寝転ぶファーヴへと向けられており、油断はしていない。

 なお、ローゼレステはまだ意識を取り戻していないので、レヴィンが空中に生成した清潔な箱の中に放り込まれて安静にしている。


「食べるー?」


 ヴォ。

 短く肯定の声を出したレヴィンはのしのしと歩み寄り、斬り落とされたシルティの右腕をあぐりと咥え込んだ。骨は粉々に砕けているため、腕と言っても柔らかい挽肉のようなもの。裂肉歯おくばで肉を細断することなく一息ひといきに丸のみにする。

 人類種の死体を食べることは蛮族の禁忌だが、死なない程度に切り取った肉や生き血を摂取することに関しては忌避しない。

 ヴフゥと血腥ちなまぐさい息を吐き出してから、薄っぺらい舌で口元をぺろりと舐めるレヴィン。

 シルティの味覚では嚼人グラトンの肉はあまり美味しくないのだが、レヴィンは幼い頃から姉の生き血を舐めて育った。むしろ慣れ親しんだ味のようで、今も機嫌が良さそうである。


 レヴィンは姉の頬をザリザリと舐めたあと、お返しとばかりに右前肢で浜を掘り返し、食べやすい砂山を作った。

 シルティは感謝を告げてから芋虫イモムシのように地面を這い、砂山に顔を突っ込んでジャリジャリと貪り出す。

 ああ。

 愛する妹が盛ってくれたものでも、不味まずいものは不味い。


 とその時、姉妹のじゃれ合いを眺めていたファーヴが、唐突に中肢翼をはためかせた。

 空気が叩かれ、轟轟と渦を巻く。

 瞬間、過剰な反応を見せるレヴィン。滑るように身体の向きを変え、臨戦態勢へ移行。爛々と輝く瞳を真竜エウロスの巨体へと注いだ。

 僅かな一挙手一投足すら見逃さないという熱烈な視線に、全身から沸き立つ虹色の生命力。

 戦えば確実に死ぬとわかっていても、六肢動物を前にすれば興奮するのが蛮族という動物なのだ。

 魔法『真意真言』を宿すファーヴは琥珀豹の求愛も当然理解しているだろう。しかし、彼はレヴィンに視線を向けすらしない素っ気ない態度を貫いていた。

 レヴィンに全く興味を持っていない。

 もしかすると、琥珀豹と戦った経験が豊富なのかもしれない。


「どうしました?」


 一方、シルティは妹と違い、のんびりとした動きでファーヴに視線を向けた。

 既にまともに戦えない身体だということもあるが、シルティはファーヴとは海底と地上で二度も殺し合ったうえ、再戦の約束までしている。竜欲に関してはかなり満たされた状態なのだ。蛮族としての本能もさすがに落ち着いていた。


〝もう行くね〟

「えっ?」


 ファーヴは中肢翼を持ち上げつつ右前肢を伸ばすと、砂浜に突き立っていた巨太刀〈素質殺し〉のつかをしっかりと掴み、軽々と引き抜いた。膨大な砂がめくれ上がり、隣に突き立っていた〈虹石火〉を押し流す。大きさが大きさなだけに、それだけでちょっとした災害である。


〝お前たちを見ていたらに会いたくなった。これ見せてくる〟


 ヴィヴ。嚼人グラトンに剣を下賜した経験があるという、ファーヴの兄の名だったはず。

 古きイオルムンの息子にしてかしこきヴィヴの弟、とファーヴは自慢げに名乗っていたし、仲の良い兄弟なのだろう。六肢動物たちの生態も様々だが、真竜エウロスは家族間の絆が殊更に強いらしい。

 ファーヴは視線を空に向けながら、巨大な中肢翼を広げ、畳み、また広げた。

 つい先ほど飛び立つのを目撃したばかりなのでわかる。あれは飛行前のストレッチのようなものだ。


「ちょ、ファーヴさん、ちょっと待ってください!」


 慌てて制止の声をかけるシルティ。

 別れる前に、どうしても決めておかねばならないことがある。


「次に殺し合うときのこと! 決めておきましょう! 場所とか!」


 世界は広い。離れ離れになった個体同士が巡り合うには明確な目印が必要だ。


〝あー。んー。お前がもっと育って、いい攻撃ができるようになったら、またここに来てよ〟

「この島ですか? はい、いやでも、ファーヴさんもいつもここに居るわけじゃないでしょう?」

〝適当に寄るよ〟

「適当というのは、どれくらいの頻度で」

〝知らない。気が向いたらね〟

「う、ううーん……」


 あらゆる環境に適応する真竜エウロスたちは一つ所に定住せず、気ままに世界を巡るという。

 事実上寿命の存在しない彼らにとっての『適当』がどれほどの長さなのか、シルティには想像もつかなかった。数年に一度くらいはこの島に寄るよ、という頻度では困る。シルティもいずれは遍歴の旅を終え、故郷に戻って子供を産み、強い蛮族に育て上げなければならないのだ。


(あ、そういえば伴侶も探すんだった……)


 不意に旅の目的のひとつを思い出す。

 父ヤレックは、遍歴の旅の最中で母ノイアを巡り、多くの男たちと戦ったと言っていた。

 シルティもいつか惚れた婿殿を巡って多くの女たちと殺し合いたい……と、遍歴の旅に出た当初は思っていたのだが、最近では割とどうでもよくなっていた。

 遍歴の旅の最大の目的は世界の強敵と殺し合って強くなることで、伴侶探しは副目的である。見付けるまでは故郷に戻れないような重い使命ではないのだ。実際、過去の遍歴者の何人かは帰還後に故郷で伴侶を見つけている。そもそもとして蛮族たちの文化を受け入れてくれる外の嚼人グラトンというのは大変珍しいので、伴侶を得ずに帰ったとしても恥ではない。


 シルティはなんとなく、顔の横に寝かせていた〈永雪〉を見た。

 ほぼ無意識のうちに頬擦りをし、生命力愛情を注ぐ。すると、刀身がかすかな銀煌ぎんこうを発した。速度こそ遅々としたものだが、〈永雪〉に刻まれた傷がほんの少しだけ埋まる。

 百年分愛してるというシルティの認識は、どうやら妄信とも言えないようだ。


(ふふ。〈永雪〉と結婚できたらいいのになー……でも、刃物は鞘に納まるのが一番だよね。刃物わたしじゃ無理かー……)


 一人で納得に至ったシルティは腹筋を使って上体を起こし、胡坐あぐらをかいてファーヴと向き合った。


「あまり待つようだと時間が勿体ないですよ。私たちの命は真竜エウロスさんたちほど長くないですし。すぐお婆ちゃんになっちゃいます」

〝ああ。百年くらいか。短いね〟

「はい。それに、待つ時間が短ければ短いほど強くなるのに時間が使えますから。できればギリギリまで斬って生きて、私が一番強い時にファーヴさんと殺し合いたいです」

〝んー……〟


 ファーヴは僅かに考え込むような仕草をしたあと、紅橙色こうとうしょくの瞳を砂浜に向けた。

 そして、唐突に魔法を行使する。

 シルティの身長の七倍ほどもある、長い棒状の至金アダマンタイトを創成。それの先端を左前肢で握り締め、高く振りかぶり、自らの足元へ向けて勢いよく突き立てた。

 ずどん。凄まじい重低音と共に小規模の地震が発生し、至金アダマンタイトの杭が砂浜に深々と埋まり込む。


「うおッ、お」


 目を白黒させ、身体を硬直させるシルティ。

 目を見開き、全身の被毛を逆立たせるレヴィン。

 大小あれど戦慄するフェリス姉妹を他所よそに、ファーヴは〈素質殺し〉の柄頭を至金アダマンタイトの杭に打ち付けた。耳をつんざくような金属音ではなく、腹の底に響くような重低音が響く。その特性上、至金アダマンタイト同士であれば衝突音は発生しないのだ。地面のみが周期的に揺れ、段階的に杭を飲み込んでいく。

 合計五度の殴打を終え、ファーヴが満足げに鼻息を吐いた。


〝これ置いてくね。

「!」


 発せられたのは短い真意だったが、魔法『真意真言』のおかげで過不足なく理解できる。

 どうやら真竜エウロスに自分由来の至金アダマンタイトの破壊を感じ取ることができるらしい。琥珀豹にとっての珀晶と同じような感覚なのだろう。つまり、殺し合いをしたくなったらこの至金アダマンタイトの棒を壊せばファーヴに伝わる、ということである。

 至金アダマンタイトを破壊する手段など、同じ六肢動物の『咆光』を除けば本当に数えるほどしか知られていないが、幸いにもシルティは究極の雑食動物。がじりとかじり付けば多少は食い壊せる。


「なるほどー……」


 シルティは屹立する至金アダマンタイトの棒を見上げた。直径はシルティの胸囲ほど。元々の長さはシルティの身長の七倍ほどで、現在地上に出ているのが二倍ほど。

 柔らかい砂浜とはいえ、これだけ深々と刺さっていれば十年やそこらで倒れることはなさそうだ。ここは航路から外れた絶海の孤島なので、人類種に見つかることもそうそう無いだろう。仮に誰かに発見されたとしても、重量的に岑人フロレスが集まらなければ引き抜くことも困難である。

 これならシルティの戦闘能力が成熟するまでしっかりと残っていてくれるはずだ。


「ふふ。これはなんというか、とってもそそる目印ですね!」


 シルティはとろけるような笑みを浮かべた。

 岑人フロレスがどれだけけいをぶち込んでも、壊れるどころか変形すらしないとされる不滅の超常金属、至金アダマンタイト

 食べれば壊せるのはわかっているが、食べて壊すつもりなど既にない。斬り壊す方が楽しいに決まっている。硬いものを見れば食うより斬りたくなるのがシルティという娘なのだ。


「すぐにこれぶった斬れるようになって呼びますから! 楽しみにしててください!」

〝うん。……あ。そうだ〟


 ファーヴは思い出したかのように左前肢を砂浜へ伸ばし、〈素質殺し〉が刺さっていた付近を探った。すぐに埋没していた〈虹石火〉を掘り当て、鉤爪の先で器用に摘まみ上げる。

 シルティが握れば大振りの太刀だが、真竜エウロスが摘まむと編み物に使う大きめの棒針ぼうばりのようにしか見えない。

 ファーヴはそれを口先へと持って行き、軽く鼻息で吹いて付着していた砂粒を飛ばした。

 綺麗になった〈虹石火〉を眼前に掲げ、輝黒鉄ガルヴォルン特有の輝きを楽しむようにうっとりと目を細める。


「んふふっ! 綺麗でしょう!」


 シルティは得意げな笑みを浮かべた。


〝うん。綺麗だ。でも、これは返す〟


 ファーヴはそれをシルティの真横に突き刺した。


「え。……えっ!?」


 一瞬、シルティは茫然とした。

 もちろん、言うまでもなく、死ぬほど、この手に家宝を取り戻したいと渇望している。

 だが、シルティは力づくで取り返すと宣言したくせに二度も敗北しているのだ。当然、叶わぬ願いだと思っていた。


「い、いいんですかッ? 私、遠慮しませんけど!?」


 驚愕と歓喜に震えながら〈虹石火〉に擦り寄るシルティ。

 レヴィンは不快そうに鼻面にしわを寄せた。至近距離に刺さった輝黒鉄ガルヴォルンに生命力を散らされているらしい。が、それでも姉の傍から離れようとはしない。


〝うん。それ小さいし、これ作ったし、もういいや〟


 ぶおんという不細工な風切り音を鳴らし、〈素質殺し〉を振るう真竜エウロス。二度、三度、四度と空を斬る。つたない。しかし、随分と楽しそうだ。

 剣術の楽しさに目覚めてくれたのだろうか。次の殺し合いがますます楽しみである。

 シルティがにやにやと笑っていると、七度目の素振りを終えたファーヴが動きを止め、彼女をじっと見た。

 細かい鱗に覆われた口唇がふにふにと波打つ。

 人類種で言うならば、なにかを言いよどんでいるような、悩んでいるような、そんな仕草である。

 なんだろうか。


〝お前……でいいか。うん。お前でいい〟


 なにやらシルティを合格認定したようなことを呟きつつ、ファーヴは中肢翼を広げ、軽く羽ばたいた。


〝次のときも俺を満足させたら、を作ってあげるね〟

「え?」


 ちいさいそしつごろし。

 その瞬間、シルティの思考は完全に漂白された。

 呼吸も忘れ、三拍が経ち、再起動した意識がその真意を咀嚼し始める。

 至金アダマンタイト製の巨大な太刀、〈素質殺し〉。

 では。小さい〈素質殺し〉とは。つまり?

 さらに五拍が経過し、ようやく意味を理解。

 同時に、とろけた興奮が鼻血となって勢いよく噴き出した。


「……えぇっ!? えちょっ、あのっ! っ!! マジ!! マジですか!! マジですね!?」

〝やかましいなぁ〟


 苦笑のような真意を発しつつ、ファーヴは翼の回転を上げて身体を浮かび上がらせる。

 叩かれた空気が暴風となって砂浜をはしり、フェリス姉妹の身体を乱暴に撫で付けた。それだけで攻撃として成立するような激烈な風圧だ。体勢を崩して転がりそうになったシルティのうなじに柔らかな感触。レヴィンが脇腹で支えてくれたようだ。


〝じゃあね、


 そう言うと、あとは見向きもせずに、真竜エウロスは一直線に飛び去ってしまった。


「……くふっ!」


 胡坐あぐらを解いて足を伸ばし、レヴィンに体重の大部分を預ける。


「んふふふっ! あはははっ!! ああっ! ああん! もう、最高、嬉し、いひひっ!」


 身体をうねうねとくねらせながら叫び、堪え切れない歓喜を声と動作で発散。両腕のない身体でぐにゃぐにゃ動くさまは巨大な蛞蝓ナメクジのようだ。

 幼女のようにはしゃぐ姉の背中を支えつつ、レヴィンは細く鼻息を吐いた。

 当然ながら彼女にもファーヴの真意は届いている。最後のアレが姉にとって極上の誘い文句であることは誰よりも理解していた。

 落ち着きなさいという意図を込めて姉の口元を舐め、噴き出した鼻血を拭ってやる。

 まあ、当然ながら、効果はない。

 しばらくこのままだろう。レヴィンは再び細く鼻息を吐いた。


「小さい〈素質殺し〉……小さい〈素質殺し〉……」


 呆れる妹とは裏腹に、姉は恋する乙女もくやと言った艶やかな表情だ。


「ぅひ、ひぃ……」


 シルティは笑ったまま空を見上げた。

 眼前に広がるのは目の覚めるような蒼穹。なんだか全てが美しく思える。


「レヴィン。ひひっ。〈虹石火〉……取って……」


 姉の要求に従い、レヴィンは尻尾で輝黒鉄ガルヴォルンの太刀を引き寄せた。生命力霧散作用にまだ慣れないのか、表情は硬く、牙が見えている。


「ありがとぉ……」


 ごろんと寝返りを打ち、妹枕から太刀枕に移行。

 肌が斬れるのも構わず執拗に頬を擦り付け、さらに熱烈な口付けを見舞う。


 ずっと会いたかった。

 また一緒に斬ろう。

 愛してる。


「ファーヴさん……もぉ! 最高ッ! ふふふ……」


 家宝の回収という念願がようやく叶った。

 かと思えば、至金アダマンタイトの太刀という新たな渇望を植え付けられてしまった。

 なんというか、生きることが楽しくてしょうがない。


「はぁぁ……」


 湿り気を孕んだ吐息を漏らし、世界に向けて誓いの言葉を捧げた。


「次は絶対殺します……」



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金曜日にエピローグを投稿予定です

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