第243話 弱いとモテない



(……んあっ?)


 気が付けば、シルティは視界の全てが黒い、無音無臭の空間に漂っていた。

 闇夜はもちろん、眼球を失くしているときの暗闇ともまた違う、深く静かな黒。重力というものが感じられず、自分が立っているのか寝ているのかすらも曖昧だ。

 なんだろうかこの景色は。

 おかしいな。自分はファーヴと楽しく殺し合っていたはず。

 ようやく疑念を覚えたシルティは周囲を確認しようとしたが、身体が全く動かない。というより、感覚がない。痛覚はおろか、触覚すらもない。

 相当上位の頚髄を断裂したのだろう。首回りは特に頑丈に強化していたつもりだったのだが、まあ、人類種の身体強化など竜の暴力の前には糸束のようなものである。

 この分だと呼吸筋も麻痺しているかもしれない。間に合うかはわからないが、早く再生しなければ。命が残っているならまだファーヴと殺し合える。

 感覚がないながらも頸部に意識を集中させ、再生を促進した。

 まあ、感覚がないのでできているかわからないが。


 どれほどの時間、そうしていただろうか。

 視覚も聴覚も嗅覚も触覚もない世界では時間感覚が曖昧だ。数十拍に過ぎないような気もするし、数日経ったような気もする。


(ん?)


 不意に、シルティは何かの気配を感じた。

 視覚も聴覚も嗅覚も触覚もない、と思っていたのはどうやら勘違いだったようだ。


(おお。強そう)


 二名の人類種がシルティの傍らに立ち、こちらを見下ろしている。

 両者とも白鳥ハクチョウのように白い甲冑を身に纏っていた。装備の重厚さからして狩猟者ではないだろう。黒い羽根型の装飾付き兜を被っているため耳介が見えず、嚼人グラトンなのか森人エルフなのかは不明。さらりと零れた髪は美しい金色である。

 見た目はガチガチの甲冑姿だが、胸当てがシルティに負けず劣らず突き出すように膨らんでいるため、おそらくは女性だろう。

 比較して背の低い方は細身の剣を腰に携えており、背の高い方は華奢な槍を肩に立てかけている。

 剣士らしき甲冑が言った。


「私はいいと思う!」


 鈴の音のような心地の良い女声じょせい、やはり女性らしい。

 それを受け、槍使いの甲冑が答える。


「だがこいつは負けただろう」


 こちらも女声。


「シグルはいつもそれ。勝つことより褒めるとこがあるでしょ! 勇敢が一番だよ! 精神性大事!」

「お前こそ。剣士ってだけで評価ゲロ甘の馬鹿め」

「そんなことないし!」


 なにやら品定めされているような雰囲気である。剣士の方はシルティを良しと考え、槍使いの方は不適と判断しているらしい。

 よくわからないが、とりあえず二人とも強そうな立ち姿なので斬り合いたいな、とシルティは思った。

 沸々ふつふつと根源から湧き出す戦意。しかし身体が動かない。これでは戦欲を持て余してしまう。

 と。


「あ」

「あっ!」


 不意に、二名の甲冑女性が小さく声を上げた。

 直後、腐った汚泥に数年間漬け込んだ炭を思わせる絶望的な味が、シルティの舌を襲った。





「がッ……ゲぁぇっ! 、ぅおッぼぇぇぁ……」


 急激な咳嗽がいそうとそれに続く嘔吐反射に、意識が強制的に覚醒する。

 何か奇妙な夢を見ていたような気がするが、そんな場合ではない。

 不味まずい。物凄く不味くて臭くて重くて硬い何かが口の中に入っている。

 すぐさま四つん這いになって吐き出したいところだが、手足は動かず、寝返りを打つことすら不可能。

 駄目だ。無理だ。これは耐えられない。

 シルティは口内の異物を吐き出すことを諦め、強引に飲み込んだ。

 ズタズタに引き裂かれた食道の中を、不快な物体が速やかに落下していく。


(ぐっ)


 魔法『完全摂食』はどんな時でも勤勉だ。嚥下した物体を完全無害に分解し、そのに比例した生命力を生産する。


(んうっ)


 身体の中に火山ができたような灼熱感。

 間違いなく、これまで食した物体の中で最高の生産効率だ。

 異物感すらある莫大な生命力を滞りなく全身に送り届けるため、シルティの心臓は猛烈な勢いで拍動を刻み始めた。

 原動力を獲得したおかげかシルティの体温は急激に上昇し、伴って、麻痺していた痛覚が蘇る。


「ぐ、ぅ、ぅ、ゥゥ、ぁ……」


 全身が痛い。

 誇張抜きで死ぬほど痛い。

 シルティは明確な意志を込め、再生の促進を開始した。体内に生じた火山、そこから流出する溶岩流のような生命力に必死に手綱をかけ、全身全霊で制御。ともすれば自らの身体を破裂させそうな圧力を脇腹や四肢の傷口へと流し、燃焼させて止血を促す。


〝おっ〟


 親しげな真意を発する真竜エウロス、ファーヴ。

 その暗橙色の鱗を目の当たりにした途端、シルティの思考を渇望が塗り潰した。

 なぜかわからないがまだ私は生きている。ならば斬れる。ならば斬りたい。

 あれの肉の間にこの刃物からだを割り込ませたい。


「ぐ、う。ファ、ヴ、さん……ッ……」


 だが、シルティの愛とは裏腹に、身体は動かなかった。

 四肢のうち、まともに形が残っているのは右足のみ。右脇腹には空洞が生じており、横隔膜が大きく断裂。肝臓と腸を半分以上も失い、胃のお尻付近が削られ、胆嚢に至っては完全に消失している。皮膚の内側では無数と表現しても決して過言ではない数の筋肉断裂と骨折があった。今もなお出血は止まらず、命が勢いよく流出し続けている。

 動物の限界などうの昔に超えた身体を、飛鱗たちの献身的な補助で無理やり動かしていたのだ。疲労の影響か、生命力が枯渇しているためか、今のシルティは十二枚の子供たちを認識できなかった。これでは脳と心臓がどれほどたけっていても身体を動かすことは叶わない。


〝はい〟


 ファーヴが唐突に発した真意と共に、仰向けのシルティの眼前に橙金色とうごんしょく胡桃クルミが出現した。

 支えのない空中に放り出された超常金属の球体が、重力の赴くままに落下を開始する。


「んあっ」


 シルティは咄嗟に顎を開き、それを口腔で受け止めた。

 至金アダマンタイトが舌に触れた瞬間、叩き付けられる腐敗臭、そして汚泥と炭の味。


「ヴぉ、ぇぁァ……」


 うすうす気付いていたが、シルティを今際いまわの夢から覚醒させたあの不味さはやはり、ファーヴの至金アダマンタイトの味だったらしい。

 至金アダマンタイトを食料として御下賜ごかしされたなど、長い人類種の歴史でも初めてではないだろうか。身に余る光栄だがしかし、味は絶望的としか言えない。

 とはいえ、これが生命力の源として突出した効率を誇ることは先ほど体感している。食わねば死ぬのだから、好き嫌いしている場合ではない。

 シルティは嘔吐反射で痙攣する喉頭を気合で弾圧し、橙金色とうごんしょくの胡桃を噛み砕かぬよう、強引に飲み込んだ。


「ん、ぐぅ……ぬぁっ」


 直後に再び創成され、落下する至金アダマンタイト

 シルティはまたも口内で受け止め、飲み込んだ。

 さらに三度みたびの創成、そして落下。


「ちょっ」


 休息なしで繰り返される強制給餌。


「待っ……ゆっくり! ゆっくりお願いしまっ」


 これが美味しいものならば幸せだったかもしれないが、腐った汚泥で熟成させた炭の味なのだ。率直に言って味覚的な拷問である。





 蛮族に合計十四個の至金アダマンタイト製の胡桃を飲み込ませ、ようやく満足したのか、真竜エウロスは魔法の反復行使を終えた。


「はぁ……はぁ……」


 仰向けのまま、息も絶え絶えと言った状態のシルティ。

 不味かった。本当に不味かった。できれば二度と食べたくない。

 だが、火山にたとえたくなるほどの生命力を無尽蔵に供給された結果、シルティは全身の致命的な傷口を曲がりなりにも塞ぐことに成功した。さすがは不滅の代名詞、食えば不滅に近付けるのか。この分ならば失血で死ぬことはないだろう。

 もちろん、依然として右脇腹に穴は開いているし、失った消化器はらわたの再生などはまだ着手もできていないが、どうせ嚼人グラトンは消化器をほぼ使わない魔物である。肩を組めるほどに近付いていた死の気配は既に遥か遠くだ。


【ありがとうございます。助かりました……】

〝うん。嚼人グラトンは本当にしぶといね〟

【……えーっと、食べないんですか?】


 ひしゃげて短くなった右腕で肺腑を持ち上げ、胸郭内部へ押し込みながら横隔膜の再生を促進させつつ、シルティは精霊の喉でファーヴに尋ねた。

 勝者は敗者を食べる権利がある。しかし、ファーヴは臨死のシルティを食わずに蘇生した。なにか理由があるはずだ。


〝楽しかったからね〟

【こっ! 光栄です! 私も死ぬほど楽しかったですッ!!】

〝それに、俺の顎と喉を破ったから〟

【顎と喉、ですか?】


 ファーヴはシルティに添い寝するように身体を横たえている。頭部を緩くもたげた腹這いの姿勢。目は細められており、巨大な中肢翼はゆったりと脱力気味に折り畳まれ、長い尾の先端はくいと持ち上がってゆらゆらと揺れていた。

 真竜エウロスの身体的感情表現には明るくないが、『真意真言』のおかげで機嫌が良いことはわかる。

 シルティは寝転んだままファーヴの頸部を見た。


 暗橙色の鱗で覆われた喉元。既に傷はなく、つるりとなめらかだ。〈虹石火〉は引き抜かれ、シルティから離れた砂浜に刺さっている。生命力の霧散作用が傷に障ると判断してくれたのだろう。

 最後の瞬間、シルティは確かにの竜に家宝を突き立て、真銀ミスリルの切先を頸椎に食い込ませた。不完全ながらも脊髄を損傷させて肉体の麻痺を引き起こしたはずだが……竜にとってはあれでもかすり傷だったらしい。

 まあ、シルティでも一日あれば脊髄の再生くらいは可能なので、竜の再生力ならば一呼吸か二呼吸で治せるのも当然である。

 もう少しだけでも深く斬り込めていれば……いや、変わらないか。

 やはり竜を殺すには首を刎ねるしかない。


【顎と喉を斬れたら、食べないんですか?】

〝俺たちの魔法ってね〟

【は。はい】

〝苦しくないと意味ないんだよね〟

【えっと……『全棲ぜんせい適応てきおう』のことですね】

〝そうそれ〟


 真竜エウロスがその身に宿す『全棲適応』は、どんな過酷な環境にも適応し快適に生存できるようになる恒常魔法だと聞いている。既に快適な環境ではなんの意味もないというのは頷ける話だ。


つがい探しのとき、弱いオスはモテないんだよね〟

【おぅん】


 急に話が俗っぽくなったような気もするが、まあ、生物として子孫を残したいと思うのは当然の欲求である。事実上寿命の存在しない真竜エウロスであってもそれは変わらないらしい。


〝だから、お前のは良い。俺、こんなに怪我したのは初めてだよ。凄く良いね〟

「んふっ」


 世界最強種に斬術の腕を褒められ、シルティはこの上なく嬉しそうに唇を緩めた。

 同時に、ひとつ思い至る。

 話の流れからして、どうやら真竜エウロスにすら適応できるようだ。

 脇腹を抉られる直前、シルティの生涯最高会心の鋏斬きょうざんが呆気なく鱗に阻まれたのも、おそらくはこの『全棲適応』の影響だろう。

 要するに『身体を斬られる環境』に適応したのだ。最後の一撃がまともに通ったのは、輝黒鉄ガルヴォルンの持つ霧散作用のおかげか。

 近接戦闘において警戒すべき真竜エウロスの魔法は『咆光』のみ、とシルティは判断していたが、いやはやとんでもない。最も厄介なのは『全棲適応』だ。全く以て完全に的外れであった。


 ファーヴはもたげていた頭を降ろし、鼻先をシルティの胸の谷間へ近付け、すんと匂いを嗅いだ。そして、満足そうに頷く。

 なにを確かめたのかはわからないが、竜の嗅覚ならば嚼人グラトンには及びもつかない情報を取得できるのかもしれない。


〝お前、まだ若いよね〟

【は。ええ、まあ、まだ若いと思います】

〝もっと育ったら、もっといい攻撃ができるようになるよね〟

【はい】


 自らの躍進を確信して断言するシルティに対し、ファーヴは牙を剥き出しにして笑った。


〝もっと育ったら、またやろ〟

ッ! ッ!!】


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