第10話 一時の別れ

 玄関周りの白の砂利の中を乱暴に止められた車が目に入る。

 古臭い黄色のビートルの運転席のドアが開いた。

 車から白衣を纏った女性が出てきて黒いハイヒールで器用に立つ。


「……まったく、面倒なことをしてくれる」


 重い溜息を吐いた女性は口に煙草を咥えている。

 くせ毛な長い黒髪と、死んだ魚の目と形容してもいい淀んだ目をしている女性の服装を見るに医者、にも見えなくはない。

 だが、黒のインナーを着ていて、白衣以外はすべて黒い衣服を着ている点も含め、医者らしい清潔感を感じられない風貌にはダウナー的な印象を抱く。

 女性はポケットからライターを取り出して煙草に火をつけると彼女の目とかち合う。

 

「……君は、この家の人間か?」

「そうです。ライングリムの方ですよね」

「ああ、そうだ。私はとある馬鹿を連れ戻しに来たんだが……赤髪の少年が、こちらに来なかったか?」

「赤髪の、ですか?」

「ああ、彼は今どこにいる? いないとは言わせないぞ? 隠すようなら――」

「鋼陽!! お前早すぎ……って、うわぁっ! 嘶堂せいどうさん!!」

「ああ、いたな? 祓波候補生」

「……候補生?」


 候補生と呼んだ女性に対し、祓波自身は冷や汗をかいている。

 ……候補生、という言葉を考えるに祓波は新人、いや、見習いにも等しい役職に位置いるということだ。

 だったら上の立場の人間が連れ戻しに来た、というあたりだろう。

 ということは……おそらく無断で来たんだな。瞬時に理解した俺は、まず馬鹿の説教を聞かされて嫌気を差す状況になる前に要件を先に嘶堂さんに言うことにした。


「割り込んでしまい申し訳ないですが、レムレスに祖父が殺されまして……一応遺体の写真を撮ったのですが、ライングリムのどこの部署に連絡を入れればいいでしょうか」

「ああ、それはライングリム葬儀部に電話してもらえれば、受付の人間が対応してくれるはずだ。細かい相談ことも受付が担当してくれるぞ」

「ありがとうございます」


 頭を下げて、ちらっと祓波を見る。

 アイコンタクトという奴で「渋谷で別れたのに勝手に家に来たことは黙っておいてやる」という視線を送る。祓波は俺の言い回しで気づいたのか、あ、っと言って安堵の色が顔に滲んだのがわかる……よし、これで問題ないだろう。

 嘶堂さんに気づかれないように俺はそそくさとスマホをタップして右耳に当てる。


「では、俺はこれで。両親にも連絡を入れないといけないので」

「すまないな……少年」

「いえ、大丈夫です。それでは」


 よし、良い感じで離れられるな。お前はきっちり怒られろ祓波。

 通話に少し時間がかかっているふりをしつつ、二人の様子を見る。


「じゃあ、祓波候補生。わかっているな?」

「う、うぅ……っ、はい」

「はいじゃないだろう、馬鹿が!! 私に言うべき言葉が先にあるだろう? え?」

「ご、ごめんなさぁいぃいいいっ」


 祓波に背を向け、俺は二人から距離を取る。

 ……よし、結果的に説教される空間から抜け出せた。

 今、俺がすべきことは二つある。


「ああ、父さん。爺さんのことなんだが……」


 嘘だ。通話はしていない。嘶堂が少しでも聆月に気づかれないようにという配慮と同時に、聆月に念話をするための偽装工作だ。

 聆月が分身体とはいえ、日本に来ているのだ。

 何かしらの騒動になってしまう前に、早々に解決させなくてはいけない。


「爺さんがレムレスに殺されたんだ、今処刑人の人たちが実家に来てて、」


 俺は後ろを振り返りながら、嘶堂と祓波のやり取りを見る。


「緊急事態だったから、必然だったこともあるだろう。だがな、私が来る前に連絡ができたはずだよなぁ? 今回はなぜしなかったぁ? ええ?」

「す、すみません!!」

「後で反省書類の提出しろ、書かなかったらどうなるか、わかってるな?」

「は、はいぃいい!!」


 正座をさせられ、がみがみと怒鳴られている。

 うちの庭でやってほしくないんだが、それほど嘶堂は祓波を心配していた、ということか……いい人なんだろうな。 

 嘶堂の扱える能力は知らないから心読みの類でないことを願うばかりだ。

 俺は視線を鍛冶場の方に向ける。


『聆月。今すぐ分身を解け。そっちに処刑人の人間が行く』

『ああ、そのようだな。気づかれる前に消えるとしよう。鋼陽は?』

『俺は間違いなく数日間葬儀で動けない。お前が見つかったら、おそらく中国でも日本でも厄介ごとになる』

『わかった……鋼陽、また力が欲しかったらいつでも呼べ。私はいつだって、お前の味方だ』

「……ああ、わかった」


 小さく、背後にいる二人の前でも違和感のないように言葉を繋ぐ。

 聆月の気配が鍛冶場から消えたのが肌で分かる。


「……」


 なぜか、耳からスマホを離すのが名残惜しい。

 現代だからできる愛しい人との通話、でなく偽証をするための言い訳と行為でしかないとわかっていても通話を疑似体験したような錯覚を覚えてしまう。

 まだ、耳に彼女の声が残っている気がして胸から溢れる思いが止められない。

 死に際を共にした仲と言えど、前世と呼ばれる物の中の話でしかない。だから、今の家族や祓波に話したところで気味悪がられるだけだ。

 ちらっと、祓波と嘶堂さんの方を見る。


「……そちらの方は終わりましたか?」

「ああ、彼は私が預かるから任せてほしい」

「わかりました、それでは俺もこの後葬儀があると思うので」

「ああ、それでは失礼する」


 祓波は、うぅと泣きながら強制的に嘶堂さんの車に乗せられて去って行った。

 ふぅ、と一息を着いて、スマホを胸元にそっと当て目を伏せる。


「……お前と、また会えるなんて思わなかったよ。聆月」


 ……わかっている。この激情をあの時に彼女にぶつけて、愛してるの一言くらい、彼女の前で吐き出せてしまえていたらどれだけよかったと。

 今の俺になる前の俺も、同じ気持ちだったのは間違いないのだから。

 君にどれだけ惹かれているのかも、どれだけ求めているのかも知らないだろう。


「……乙女でもあるまいに、何を考えているんだか」


 くっ、と喉を鳴らして笑う。

 今世の俺が、お前とどれだけ一緒にいられるかもわからないというのに……せめて産まれた時からなどと、転生先も選べない今の俺ではそんなことも叶わない。

 いや、それが適っていたらお前とも出会えていなかったな。


「……会いたい」


 もう一度、と。出会えるならばと。

 もう、後数年で死ぬことがわかっているからこそ。

 今世で、また出会えたというこの奇跡に今は酔いしれたい。彼女の声が、彼女の姿がこの目にできただけでもこんなにも舞い上がってしまうんだ。

 聆月が、俺だけの月明かりである嬋娟が近くにいたと傍にいられたという事実があるだけで、こんなにも胸が高鳴る。お前は、そんなことも露知らぬことだろう。

 

「……それでいい、今は、それでいいんだ」


 風に乗って木の葉が舞う。淡い青空が頬に冷ややかな冷気が肌に吹き抜けた。

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