第44話 ライ麦畑でぶった斬る その4

 腰をかがめて、地面の麦束をまとめる作業を続けていると腰がしんどくなってくる。適度に伸ばさないとな。


 ぐーっと腕を上げて、全身をのばしストレッチをする。ふーっと息を吐いて脱力しようとしたその時、指先にちょっとした痛みが走った。


「あ痛っ!」


 指を見てみると、オニヤンマくらいの大きさのトンボが食いついていた。捕まえたときに人間の手から逃れようと噛んでくるトンボはいるが、自分から襲ってくるやつは普通はいない。


 痛みをこらえながら、頭部を観察する。目を凝らすと左の複眼に〈不〉の文字が浮かんでいた。右には虫へんの漢字が二つ並んでいた。


 画数が多くて見にくいが、"蜻蛉"と書いてあるように思えた。


 こいつは麦刈りで〈不麦〉についで注意すべき、二番目の〈不の付く災〉だ。


「〈不蜻蛉ふとんぼ〉出ました!!」


 農家のおばちゃんたちに注意を促す。


「今日はここまでかねえ」「お嬢ちゃんたちのおかげで今日のノルマ分はもう終わってるしね。大きいのが出る前に帰ろうか」「でも何年出てないと思ってるんだい? もう出ないんじゃないかい?」


 近年、大きな〈不の付く災〉を見ていないせいかのんびりしたものだが、おばちゃんたちはこれ以上の作業をやめて帰ることにしたようだ。”不対免許”を持たない人はここから離れた方がいい。


「ニイちゃんお願い!」「分かった!」


 オリカの要請にこたえてニイが両腕を上に伸ばし、手のひらを天に向けて構える。そして【スプラッシュナイト】の水の技名を口にした。


「『ウォータージェット』!」


 空に向かって水流を放つ。高さ二十メートル、直径一メートルはある巨大な噴水が吹き上がった。


 ニイの《ドレス》である【スプラッシュナイト】は水を生成し操る能力を持つ。そして遠くからでも見える噴水によって他の“なろうワーカー”に〈不麦〉以外の〈不の付く災〉が出たことを知らせた。


 するとそれに呼応するかのように、広大な麦畑のあちらこちらから同じような合図が出てきた。煙、ニイと同じような水、激しい光。麦畑の外縁に近いほうが大きく見やすい合図なのは《着力》の多寡の影響だろうか。


「よし、伝わったね。おばちゃんたちはポンチョを羽織ってよ」


「はいはい」「この年になっても肌を傷つけられるのはいやだしねえ」「お父ちゃんが悲しむしね」


 旦那さんと仲がよろしいようで。


 おばちゃんたちは手慣れた様子でフード付きのポンチョをかぶった。


「準備ができたら、皆さんこれに乗ってください」


 オリカが【ヴィノ】を出し、後部座席を三人のおばちゃんが乗れるように変形させた。


「わ、すごい」「送って行ってくれるのかい?」「悪いねえ」


 話している最中にも体を動かすと〈不蜻蛉〉がパシパシと人間に食いつこうとしてぶつかってくる。


「とりあえず”なろうワーク”の受付まで戻りましょう。ヒデンでん、ニイちゃん、みんなを安全な場所まで送ったら戻ってくるから、それまでこれ以上大きな〈不の付く災〉が出ないかどうか見張りをお願い」


「オッケー」「うん分かった。なるべく早くね」


 ニイは少し不安そうに返事をした。その様子を見てオリカが声をかける。


「ニイちゃん、トーちゃんじゃなくて心細いかもしれないけど、ヒデンでんは頼りになるから。能力は見てるし、水路での話も聞いてるでしょ」


「うん……」


 そうは言われても二人きりで過ごすことに慣れてない僕(むしろ初めてかも?)と待つというのは不安であることはわかる。オリカもそう思ったのだろう、そういうニイを責めることなく、変わらず優しい口調でもう一度語りかけた。


「大丈夫だよ、すぐ戻るから」


 そして僕の方に向き直って言った。


「じゃあ、ヒデンでんよろしくね。頼りにしてるよ」


「任せといて」


 オリカは安心させるようにニイに笑いかけ、浮遊型スクーター【ヴィノ】に乗って三人のおばちゃん達を連れて行った。


 ニイと二人きりで、どうしていいのかわからない空気の中、しばらくオリカ達の行く先を眺めていた。だが、見張りという仕事もあるし、いつまでもぼうっとしてはいられない。


「ニイちゃんは嚙まれてない?」


「私は大丈夫です……」


 何とか会話の糸口を見つけたくて話しかけるが、相変わらず返事はそっけない。


 あれー? カレーパン話の時はもうちょっと慣れたと思ったんだけど、振り出しに戻った? 


 いつの間にか中世の甲冑とセットになっているようなフルフェイスの兜も装着していて表情が見えない。兜は初めて見るな。そんなに二人で居るのイヤなの?


「あ、顔周りも覆っておかないと、噛まれたらいやですし……」


 あ、そういう意図か、人見知りを発動させたわけじゃないんだな。


「確かにイヤだよね。僕もやっておこうっと。『円柱ピラー』」


 ニイの意見に従って、円柱の《枠》を作り、顔の下半分をカバーする。目が見えないと困るので、目までは覆わない。頭は帽子でカバーだ。


 ついでにボーダー柄の『鎧胴ボディ』の隙間を無くすように新たに『鎧胴ボディ』を作った。動きにくくはなるが、噛まれるのはイヤだ。


 帽子はなくてもケガしないかもしれないけどね。毛が無いだけにってやかましいわっ。


 無言の一人ノリツッコミをやっていると視線を感じた。ニイの方を向くと目があった。一連の様子をじっと見られていたようだ。恥っず!


「これ〈不化〉を解くにはどうしたらいいの? この大きさだと下手に叩くとダメージじゃすまない可能性があるよ」


 なるべく殺生はしたくないので、聞いてみる。


 今僕たちの周りを飛んでいる〈不蜻蛉〉達はオニヤンマくらいの大きさだ。トンボとしては大きいが、僕ら人間と比べると凄く小さいと言える大きさだ。


 素早さは普通のトンボと変わらないため、やりすぎないようにダメージを与えるのが難しそうに感じた。トンボ捕まえるの難しかったよなあ。


「網で捕まえてちょこんと叩くか《ドレス》能力でダメージを与えるか、です.……私とかあちゃんは弱い水や風の技でダメージを与えてます……トーちゃんは網を使わず、手でちょこんと……」


「すごいなトー。技を使える人はそれを使うのか。納得。もしよかったらやってみてくれない?」


「……『スプラッシュ』」


 一匹の〈不蜻蛉〉に向けて、ニイが技を放つ。手のひらから小さな水の粒が散弾のように広がってトンボを捉えた。当たった個体はグラッと揺れて一瞬高度を下げたが、その後持ち直した。そいつの目を見ると赤かったそれが普通の複眼に戻っていた。


「おー、なるほどそうやるのか。見せてくれてありがとう。しかし、ちょっと僕にはできそうにないなあ」


 虫取り網持ってきてないしなあ。網、網か。ん? 何か【フレームワーク】で工夫できそうな……


 そうやって考え事をしながら歩いていると、背中にゾクっとした悪寒が走った。腰の上あたりから後頭部にかけてザワザワと震えが登ってくる。


 うおお? なに? 


 おそらく本能から来る非常警報に戸惑っていると、急に景色が高速で移動した。何者かに捕まったようだ。僕の体をつかみ抱えている未知の相手の感触を、背中からお腹にかけて感じる。


 なんかすごい速さで移動している? 体は水平に近い? どうなっている?


 ふと気づくと眼下には麦畑が広がっていた。あ、僕、空を飛んでる。

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