ツーリング日和17
Yosyan
プロローグ
元寇映画がクランクインしたんだけど、そうなってしまえばシナリオライターの役割はおしまい。ここから先は監督と役者さんたちがシナリオから映像化するのが映画だ。これは映画だけじゃなくテレビドラマだって、舞台だってそう。
日本映画黄金期はクランクインしたら次の映画のシナリオに取り掛かっていたそう。それも下手したら何本も並行して書いていたとか。この辺は今と黄金期では映画の製作本数の桁が違うからね。
プログラムピクチャーと呼ばれたシステムだけど、今では想像も出来ない代物なんだよ。黄金期の日本映画は映画館まで系列支配下に置いて、そこに毎週新作を公開してたんだよ。これ間違いじゃないよ、毎週新作公開だから、興行期間はたったの一週間だったんだ。
今で無理やり例えるとテレビの番組みたいなもの。そうなると一年って五十二週じゃない。さらに新作公開は二本立てだから年間に百四本になるんだよ。百四本も年間の日本の映画製作本数じゃない。映画会社あたりの話で、それが五つもあったのだから、年間にしたら五百本を越えてた事になる。
毎週の新作公開はさすがに厳しかったみたいで上映期間は二~三週になっていったそうだけど、二週おきでも映画会社あたりで五十二本、三週おきでも三十五本だ。それぐらい新作を量産しても観客が押し寄せペイしていたのが映画黄金期になる。
黄金期の映画ってコチコチのスターシステムで、年間スケジュールでスター俳優を割り振って製作してたそうだ。これは観客がどんな映画を見たいのじゃなくて、お目当てのスター俳優が出演しているかどうかが重要だったって事で良いぐらいだと思う。
スター俳優でもさすがに毎週出演出来るわけがないから、年間で出演する映画を割り振っていたんだ。スター俳優はゴールデンウィークとか、お正月とか、盆休みとかに割り振り、その上でオールスターキャストなんてのもやっていた。
そういうスターシステムだったから、映画ではスター俳優が主演なのは当然だけど、スター俳優がとにかく引き立つシナリオ、演出が徹底していたそう。だからテレビ時代の水戸黄門とか、大岡越前、暴れん坊将軍みたいな偉大なるワンパターンが拍手喝采を浴びてた時代だそうだ。
各映画会社はスター俳優によるプログラムピクチャ―が基本だったのだけど、これ以外の路線としてスター監督作品が別枠としてあったんだ。そうだな、小津安二郎とか、黒澤明とか、木下恵介みたいなスター監督の作品だ。
ものは言いようだけど、映画会社は量産型のプログラムピクチャーで手堅く儲けながら、スター監督の作品で芸術性を競い合っていたぐらいは言っても良いと思う。結果として量産される駄作と、映画史に残る珠玉の名作が残されたぐらいかな。
そういう状況は当時の映画人にとっては楽しかったとあれこれ記録に残されている。これもなんとなくわかる。一週間で二本新作を完成させないといけないから、撮影所内の熱気は凄かったはず。プログラムピクチャーを満たすために常に何本もの映画が並行して撮られてるし準備もまた行われてるものね。
だから俳優だって売れっ子になって行けば、二本、三本の掛け持ちは当たり前になっていたそうだ。売れっ子俳優は撮影所の出勤すればバタバタと撮影現場に駆け込み、メイクされながらシナリオを覚え、何シーンか撮ったら次の撮影現場への移動なんて事がしょっちゅうあったそう。
だから、スター俳優も撮られているのがなんと言う映画で、そこでなんと言う役をやってるかわからなかったなんて話も残されてるぐらい。この辺はワンパターンシナリオと演出だから、適当にやってたらなんとかなったとか。
プログラムピクチャーは駄作の量産機の側面があったけど、それでもスター俳優が出る回と控えと言うか二軍が出る回がある。二本立ての二本目なんか三軍だったかもしれない。だから予算も撮影期間も格差がたんまり出る。
でもそれは必要なものだったと思ってる。なんでもそうだけど、最初があって次がある。役者だって、監督だって、カメラマンだって、シナリオライターだって、実戦を経験して映画の手順を体で覚える仕事だもの。デビュー作で大ヒットなんて滅多にないから称賛されるってこと。
チープな作品でも経験を重ねることでスキルアップできる。その機会が撮影所内に溢れてるようなものじゃない。ニューファースとして出演して、そこでの評価でステップアップするのが日常だったはずだもの。
シナリオライターもそうだ。駄作でも仕事があるからスキルアップ出来るのよ。予算、撮影期間、監督の技量や好み、出演者を考慮して、その枠内で、少しでも良い作品を書き続けてこそ腕も上がる。そりゃ、楽しい時代だと思うよ。
楽しいは他にも意味があったはずで、仕事がいくらでもあるから下っ端でも日銭が入ったはずなんだ。それをパッと使ってしまっても、すぐに次の日銭が入るぐらいのサイクルかな。格好良く言えば宵越しのゼニを持たない感じだ。
下っ端は遊ぶにも限界があるだろうけど、売れっ子や大物クラスとなると凄まじい散財の伝説が残されている。撮影が終われば夜な夜な遊びに出掛け、何人どころか何十人も引き連れて豪遊して、ツケはすべて映画会社に払わせていたとか。
ある無頼派の監督なんか一か月の飲み代が五十万円になってそうだ。今だって五十万円は大金だけど、サラリーマンの平均月収が二万円程度の時代だから目眩がする。まあ、それだけ映画会社が払ってもペイしていたのが映画黄金期だけどね。
映画黄金期から衰退はあっと言う間だった。あれこれ理由はあるけど、プログラムピクチャー部分は根こそぎテレビに奪われたからだと思ってる。そりゃ、映画館に行かなくても家でテレビで見れるもの。映画に残されたのはテレビでは見られない分野のみになってしまったぐらい。
黄金期で言えばスター監督の大作、名作部分のみが映画に残された分野になってしまったからだと思ってる。これは日本だけでなく世界的にそうのはずだけど、それでも生き残り繁栄したのがハリウッドであり、そうじゃなかったのが日本ぐらいで良いかな。
でもね、プログラムピクチャー部分は映画の足腰だったと思ってる。プログラムピクチャー部分で映画人を育てていたと思うし、撮影所や、スタッフ、役者さんを抱え、スター監督の製作費も賄っていたはずだもの。
映画は興行で、グッズ販売等も含めての収入が製作費を上回るか否かの商売だ。だけどどうしたって当たりハズレがある。ハズレの時の損失をトータルでカバーするのも映画興行だけど、その体力が日本映画には乏しくなってしまってる。
現代の風潮は無駄とか不合理を拝するのが良しとされる。これは間違っていないし、この世には不合理すぎる因習はまだまだ残ってる。でもね不合理の排除は良いと思うけど無駄の排除は善し悪しのところはあると思ってる。
黄金期の日本映画は無駄が多かった。でもその無駄の中から幾多の名作、名監督、名優が輩出したんと思ってる。まあ、今は昔の話だけどね。アリスでもおとぎ話の世界だもの。とにもかくにもアリスの夢はあのシナリオに託したから、さすがにちょっと一休みの気分だ。
飲みに来ているのはあのバーだ。このバーでコトリさんとユッキーさんに出会い、一緒に対馬や壱岐にツーリングに行けたからあのシナリオを思い付き、シナリオコンペでもグランプリを獲れたのよね。ちょっと前の話だけどなんか懐かしい。
あの二人は不思議過ぎる。あの夜に一緒に飲んだだけの縁で、ロングツーリングにいきなり出かけてしまったのもそうだ。そんな事は普通はしないよ。見ず知らずの他人だもの。アリスだってあの夜のツーリングの誘いは酒席の座興と思っていたもの。
だって、だって連絡先の交換さえしなかったんだもの。なのにアリスの電話番号を探し出し連絡して来たのに驚かされた。あれもバーのマスターに聞いたと思っていたけど、よく考えればマスターにも名刺どころか名前さえ言ったこともなかったんだよ。
連絡してくれたのはコトリさんだったけど、どんなスマホを持ってるんだと思ったもの。スマホって発信元の電話番号が出るじゃない。だから着信拒否の設定も出来るのだけど、どうしてそんな事が出来るのか不思議過ぎるけど、送信元の電話番号が表示されないんだよ。
コトリさんからの電話は何の気なしに取ってしまったけど、あれだって送信元の電話番号が表示されていないのを確認していたら取らなかった気がする。どう考えても怪しすぎる電話じゃない。
スマホがそんな調子だから、ツーリングが終わってからも会ってないんだよ。連絡を取りたくても電話番号がわからないし、発信元への折り返し機能も働かないんだもの。旅行代の清算があんな形になってしまったのは気になるし、こうやってコンペのグランプリが取れて映画化になるぐらいは報告したいよ。
あの夜もこうして一人でモヒートを飲んでたっけ。どうして一人なのか、どうして男はいないのかは、ほっとけ。いないものはいないんだ。こうやって独り身の女でも飲みに来ても絵になるのがバーだろうが。
『カランカラン』
相変わらず繁盛してるな。マスターが来るよな。
「すみません。一つ詰めてもらえますか」
そうなるよな。手早く席を詰めたのだけど、
「アリスやないか」
「コンペのグランプリおめでとう」
コトリさんとユッキーさんじゃないの。このバーに来てたのも、ひょっとしてまた会えないかの期待だったのよ。なにか鼻の奥がツンとする。大急ぎでお礼をしたのだけど、
「堅苦しい話は抜きや」
「飲みましょ、飲みましょ」
そうしようと言いたいけど、この二人は底なしの大ウワバミなのはツーリングで覚えた。なにしろ焼酎を一升瓶で単位でお茶みたいに飲むからね。そこは注意だ。そうそう食べる方だって化物級だ。
「カンパ~イ」
やはり気になるのはツーリングの旅費の清算なんだけど、アリスだってコンペの賞金が入ったからなんとかしたい。アリスはリッチじゃないけど主義として、
『奢られっぱなしは趣味じゃねぇ』
そんな話を持ちだしたら、
「そやったらまたマスツーせえへんか」
「今度は近所だよ」
そこで前回の清算にするのか。アリスもツーリングに行ってみたいし、ちょうど良いかも。近所って有馬温泉とか。
「あんなとこ行きたいか?」
う~ん、さすがにね。有馬温泉は全国でも屈指の有名温泉だけど、神戸に住んでると近すぎる。神戸の人が異人館巡りとか滅多にしないとの似た様なもの。だったら、だったら洲本温泉とか。
「♪ホテル、ニュー淡路」
えらい古いCMのフレーズだな。そんなもの知ってるアリスが悲しいけど、淡路島のツーリングはアワイチと言ってポピュラーだよね。
「今回は淡路はパスや」
「洲本温泉もね」
淡路は何回も行ってるみたいだものね。そうなると、えっと、えっと、武田尾温泉とか。
「廃線敷のハイキングは楽しそうだけど、行き帰りがね」
「やりたいんはツーリングやし」
コトリさんは歴史オタクだけど、
「オヤクやない歴女と呼べ」
ユッキーさんは温泉小娘だから、のぢぎく県で温泉でツーリングにもなりそうなところとなると宝塚温泉。
「行きたいか?」
行きたくない。つうかまだ温泉宿なんかあったっけ。そうなると、えっと、えっと、ツーリングして歴史趣味も楽しめて温泉があるところだから・・・わかったぞ赤穂御崎温泉だ。
「忠臣蔵か」
「あそこも小型じゃ遠いのよ」
遠いと言うか、神戸からなら明石、加古川、姫路を乗り越えての市街地走行になりそう。
「あのルートにはトラウマがあるねん」
「二度と走りたくない」
はぁ、トラウマって言うけど、赤穂どころか岡山も越えて尾道まで行ったって無謀も良いところじゃない。いくらしまなみ海道を走りたかったと言っても、神戸から九時間かかたってムチャも良いところだ。というか、そんな無茶苦茶なプランを良く思い付いたものだ。
「そやからトラウマや」
「若気の至りかな」
有馬でも、武田尾でも、洲本でも、宝塚でも、赤穂御崎でもないとすれば、他に温泉あたっけ。えっと、えっと、えっと、塩田温泉。
「アリス、わざと外してへんか」
「そうよ、そうよ、のぢぎく県の温泉と言えば・・・」
有馬温泉だけど、他に有名なところと言えば・・・わかったぞ城崎だ。
「惜しい」
「ニアピン賞」
ニアピン賞ってなんだよそれ、ゴルフでも好きなのかな。
「湯村に行こうと思うてるねん」
「夢千代日記の世界よ」
なるほど、湯村温泉は但馬になるから、ツーリングとしてもおもしろそう。みんな小型だから下道ツーリングになるけど、神戸市街さえ抜けたら快適のはずだ。
「そこまで単純やないけど、それなりに楽しめる道になると思うで」
アリスは但馬と言っても、出石に皿そばを食べに行ったぐらいしかないから楽しみだ。なんてたって二度目のお泊りロングルーリングだ。
「ようそんなんで、いきなり対馬までツーリングに行ったな」
しかたがないでしょうが。あれは仕事も兼ねてたんだから。
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