第36話 直訴状

出演者(イメージキャスト)

 大川周明氏(疾患者)  役所広司

 堀田善衛(疾患者・元新聞記者)


 102号室で周明氏と堀田が小さな御膳を囲んで話をしている。


 周明「そうですか。その、まとめたモノを見せてくますか」

 堀田「はい」


堀田は風呂敷を解いて封書を取り出す。


 堀田「これです」


堀田が御膳(オゼン)の上に封書を並べる。


 堀田「首藤さんがまだ・・・」


周明氏は六通の封書を見て、その中の一通を手に取る。

封書の表裏をじっくりと見る。

便箋には朱の文字で、『杉浦誠一』と書いてある。


 周明「・・・杉浦さんですね・・・」

 堀田「そうです。杉浦さんの大義は社会的です。義理のお父さんがマルクス主義者だったらしいですから」


周明氏は少し驚いて、


 周明「ええ!・・・そうだったのか。教育者で絵の先生だったからね。密かにそう云う思想に傾倒した方も多いんじゃないかなあ」


周明氏はキチッとたたまれた便箋を広げる。

達筆である。

箇条書きで三条の文が書かれている。

 一、日本の伝統的教育を変えない事

 一、日本人を洗脳しない事

 一、頼母子講を続ける事


 周明「頼母子講?」

 堀田「・・・何でしょうねえ。分かりません」


周明氏は呆れた顔で堀田を見る。


 周明「で、この条文のどこが社会的なのかな?」

 堀田「社会的・・・? 日本人を洗脳しない事と云う行(クダリ)かな?」

 周明「・・・? 別に」


周明氏は便箋をキチッとたたみ直し封筒に入れ、次の封筒を開ける。

周明氏は表裏を見る。

『岡田 滋』と書いてある。


 周明「岡田さんか・・・。これもまた達筆だねえ。ええと・・・。おお?! 横文字じゃないか。さすが元学徒兵だけあるな」

 1, Do not colonize Japan.

 2, The deram and hope are given to the young person.

 3, Do not use the atomic bomb to fight.


 堀田「岡田さんは、反戦論者ではありません。卑怯な兵器を使う事に反発しているようです」

 周明「うん? うん。しかし、私も岡田さんの考えには同感する所がある。戦争とは人間が存在する限り起こりうるものだ。しかし、全滅兵器などは作るべきではない。ましてや使っては絶対いけない。若者に夢と希望か。チューインガムとチョコレートで洗脳していてはだめだ。しっかりとした教育! その教育は教え込む教育よりも、皆で考え自由な発想を評価してくれるような、そんな教育でなければね」

 堀田「同感です。さすが昭和の大思想家ですね」

 周明「何を言っている。私は隔離された身だ。今更、思想家などと言われたくない」


周明氏は次の封筒を開ける。


 堀田「あッ、それは僕です」

 周明「堀田善衛。ほう・・・」


周明氏は便箋を広げる。


 堀田「?・・・君の字は汚いね」

 周明「文字は読めれば良い! これが僕の持論です」


周明氏は堀田を見て、


 周明「合理的論理である。だが、字は体をあらわすのたとえも有るぞ。書は人なりだ・・・」


堀田は不服そうな眼差しで、


 堀田「これからの時代は文字はすべて印刷が一般化される筈です」


周明氏は堀田の書いた「大義」を声を出して読み始める。


 周明「それで、ええと・・・言論の自由と、思想の自由 、行動の自由! その通り! これからの此の国の大義はこれに尽きる。アメリカ人も、これなら納得するだろう」


堀田の不服そうな顔で、


 堀田「そうですかねえ。おそらく、無条件降伏したこの国に求めるものは絶対の服従でしょう」


 周明「いや、暗黙の服従だ。戦勝国はアジア全体の資源を手中にしたのだからね。すべて、政治的配慮によるものだ。それより、私が一番恐れているのは今の子供達が五十歳に成った時の事だ。いったい日本がどうなっているか。・・・おそらく」

 堀田「おそらく、何ですか?」

 周明「日本人は日本人ではナクナルであろう。得体の知れない民族に成ると思う。忠孝の精神が消え失せた国の末路は惨めなものだ。だから、戦争と云うものは勝たなくてはならない。戦争に負けると云う事は思想が無くなり、精神がだらしなくなる事だ。国が乱れ、箍(タガ)を失う」

 堀田「だから?」

 周明「だから? だから教育ッ! 子供達には日本的教育をさせて行かなければならない。忠孝の精神を高める教育を続けて行く事だ。日本人と云う民族は、生真面目(キマジメ)で辛抱強い農耕民族である。しかし、いざとなれば家族の為、国の為に命を捨て義を通す民族もである。アメリカの様な侵略民族とは違う」

 堀田「? 日本も中国を奪い取ろうとしたじゃないですか」

 周明「それは違う。ばらばらな中国国内を統一して、共存協和の連立国家を創設する事を目的としたものだ。・・・ロシアの社会主義でもない欧米の資本主義でもない、新アジア主義の国家を創るためだ」

 堀田「あの近衛の東和新秩序ですか」

 周明「あれは、私の理論を大義として陸軍が利用したものだ。私の理論には武力行使などない。あくまでもロシアや欧米列強からの植民地支配の抑止と開放である」

 堀田「結果、国破れて山河あり・・・」

 周明「そうだねえ。しかし、自由自由と言うけれど日本人は自由と云う事の本質を知らない。開放は有るが、自由と云う目的の戦争をした事はないからね。きっと自由を強いられた日本は奇妙な国に成ると思うぞ。よっぽどしっかりした教育をしなくてはだめだ」

 堀田「・・・。徳川三百年の歴史を数十年で洗脳する事は無理と云う事ですか」

 周明「それはそうだろう。精神も肉体も宗教も欧米人とはまったく違う。自由の精神とは技術と違って真似をするものではない。もし先の戦いで勝利して敗者の連合国に大日本帝国の精神を教育しても何の事かさっぱり解らないだろう。国を支配すると云う事はいかに難しい事か。ユダヤの歴史を説けば自ずと解るはずだ」

 堀田「日本の歴史なんて短いモノですからね。それが欧米の連合軍を相手に最後は決死の特攻戦。まあ、今から思うと一億総狂気ですね」

 周明「そう云う教育を軍部が強(シ)いたのだ。日清日露戦以降、味を占めた軍部は戦争が一番手っ取り早く『事を運べる』と云う結論に至った。天皇を支柱にした滅私奉公の帝国民族国家を樹立する教育をするしかなかったのだ」

 堀田「マッカーサーの作った憲法をどう思いますか?」

 周明「あれは彼の理想と欧米の制度を十一章に纏めたものだ。そんなに重い物ではない。GHQが去った後、五十年の守り事だろう。アメリカは日本を守ると云う交換条件で自分達が作った憲法を無視してくるだろう。条約と云う新しい決め事で圧力をかけて来る。アメリカは赤色ロシアや中国を怖がっている。日本はそのロシアや中国と日本海をはさんで国境線にある。極東の要だ。数年後に強力な基地を持って来るつもりであろう。日本もアメリカ流の再軍備が必要と成る。戦争なんて無くなるものか。アメリカは次の戦争を準備している。太平洋戦争中も新兵器を沢山使用、わが軍に対してその効き目を試したのも将来の戦争を考えての事だ。原子爆弾を使用したのもその最たる物で、敗戦確実な我が国に対して人体実験を試みたのだ。アメリカはアジアの国々をその位にしか考えていない」


堀田は真剣に周明氏の話を聞き入っている。


 堀田「・・・それじゃ、日本の為に死んでいった多くの者は実験材料だったのですか」

 周明「それが戦争だ。だからひとたび戦争を企てたら勝たなければならないのだ。手段を選ばずに・・・」


堀田が怒る。


 堀田「そんなッ! そうしたら大義なんてたんなるお題目じゃないですか」

 周明「そうではない。二度と経験できないこの受諾で、支えを失った国民に新たな目標を持たす事!」

 堀田「・・・僕は自然と戦う農業作家に変更したくなってきた」

 周明「例の君が作った哲学(雑草)の花壇、あれは素晴らしい発想だ。私も故郷山形で米でも作るか。どうせルーツは農耕民族だからね。ハハハハ」

                     つづく

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