03

 レッスンでも先生からいいことがあったのかと聞かれるくらい、表情が緩んでいた。

 ほとんど忘れられていたものの、会いたかった相手が同じ学校にいて、連絡先も交換できた。

 それが嬉しくないはずがない。


「それにしても、2年なら気づいてても良くない?」


 自分で言うのもなんだが、魔法使いのアイドル”魔法少女”が多い関係上、生徒に芸能関係者が多い翌檜学園とはいえ、彩花は特にテレビへの出演も含めて話題に上がっているはず。

 だというのに、魔法少女が好きな灯里が、彩花の存在に気づいていないようだった。


「……まぁ、忘れられてたんだよね」


 あの時、彩花の名前を呼んでいたのだから、魔法少女の自分のことを知らなかったわけではない。

 つまり、白墨事件の時の彩花と、魔法少女の彩花が同一人物であると思っていなかった。

 その上、色々情報が出なければ、思い出せない程度には、あの事件の時のことを覚えていなかったということだろう。


「…………」


 全ての色が混ざり合って、白んで、黒く塗りつぶされる光景。

 人も、怪魔すらも塗りつぶされ、消えていく。


 目の前の彼女すらその世界は連れて行ってしまう。


『このことは秘密だ』


 眠ってしまった彼女を抱えた彼女の父親らしき人が言った。

 灯里を大切に思ってくれるなら、好いてくれるなら、どうか今日のことを誰にも言わないでほしいと。


 その約束通り、誰にもそのことを伝えていない。

 子供ながらに、アレが白墨事件の真相に近いことであることを理解しながら、どこかの誰かではなく、唯一自分を褒めてくれた友達を優先した。


「また食ってるのか。デブアイドルなんて、誰も求めてないぞ」


 冷凍庫からアイスを取り出していれば、家族の中でも特に相性の悪い次男の久遠くおんが、バカにしてくる。

 暇さえあれば、嫌がらせばかりをしてくる久遠には、言い返す気力すら起きない。


「父さんのおかげで、アイドルができてるってことを理解してるのか?」


 よくも毎回毎回、同じような言葉を言い飽きないものだ。

 つらつらと部屋に戻る私を追いかけて嫌味を言い続ける久遠は、逆に私のことが好きなのではないかと思えるほどだ。

 言い返さなければ、彼は鼻高々に言い負かしたと部屋に帰るし、言い返せば逆ギレのように食い掛ってくる。


 今日はいい一日だと思っていたのに、こいつのせいで台無しだ。


「そういえば、お前、喧嘩の仲裁に入って殴られそうになったんだってな。殴られたところでブサイクは変わらないだろうが、慰謝料だとか言って、やっちまえば良かったじゃないか。

 相手、Aランクの魔法使いだったんだろ」


 子供でも産んだ方が家のためだ。

 そう笑う久遠の言葉がいつもと大して変わっていたわけではない。

 いつもと同じだ。


 ただ、今日は少し許せなかった。


*****


 ガラガラと音を立てるスーツケースを真っ直ぐに立てて、ベンチに腰を掛ける。

 先程から通知の鳴りやまない携帯の画面には、マネージャーであり父から護衛として雇われている小林からの大量のメッセージ。メッセージの先頭は『家出する』という自分の短いメッセージ。


 あまりにも頭に来た彩花は、手早く最低限の荷物をスーツケースに詰め込み、家を出た。

 途中で買ったフラペチーノを片手に、小林のメッセージの返事を考えていれば、既読でこちらが携帯を見ていることに気が付いたのか、通話が入る。小林だ。

 反射的に拒否を押してしまえば、途端周辺の音が静かになった感じがした。


「やば……」


 小林は、父に雇われている立場であっても、なんだかんだ彩花の味方をしてくれる。

 今回だって、事情を話せば味方をしてくれるだろう。

 ただ、小林の立場上、絶対に家へ連れ戻されるため、なにか帰らなくていい理由を考えなければいけないというだけ。


「…………」


 しかし、何も思いつかない。

 仕事のこともある。小林とは、明日までには連絡を取らないといけないが、すぐに電話を掛け直す気にはなれなかった。


「もしかして、彩花ちゃん?」


 ファンだという女の子たちに手を振り返す。

 大きなスーツケースに少し目をやっていたが、大人気の魔法少女が家出をしているなどとは夢にも思わないのだろう。


 彩花の実家である幸延家は、怪魔や魔法使いのテロ組織に対応する魔法士の名家だった。

 幼い時から勉強や体術、魔法の英才教育を受けており、特に魔法においての教育にかける熱意は桁違いである。そのおかげで、”幸延”という珍しい苗字は、魔法使いに関わらず聞いたことのある苗字となっていた。


 しかし、彩花には魔法の才能がなかった。

 優秀な魔法士であることが当たり前の幸延家の中で、彩花はただ一人、幸延家に必要な才能がなかった。


『じゃあ、強くてかわいい魔法少女になってあげる』


 自分の実力を理解できていなかった頃の約束。

 約束した相手が忘れていようとも、あの時の気持ちは決して嘘ではないし、嘘にしたくはない。


「私、ファンなんです! 応援してます!」

「ありがとう」


 こうして、誰かに応援されて、喜んでくれる。

 それは確かにうれしい。歌うことだって嫌いじゃない。

 ただ、家族には認めてはもらえない。


 このまま家出したら、唯一自分に残っている”魔法少女”すら無くなってしまう。


「どうしたらいいんだろ……」


 目指しているのは、怪魔に負けない強くてかわいい魔法少女。

 でも、自分には才能がない。


「…………せっかく会えたのに」


 約束を守れない。


「――怪魔だァ!!!」


 俯く彩花の顔を強制的に上げさせる叫び声が、公園に響いた。

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