第7話 亡き国の王子と悲嘆の姫
アキロース山は険しい禿山になっていた。
樹木は長い戦乱で喪失し、風雨にさらされた結果、水が枯れた。
人の手が入らなくなったことにより、万年雪の登頂に難儀する山へと変貌していた。
私は剣を杖代わりに登頂していく、中腹の洞窟にたどり着くまで麓から二週間を要していた。
その間何度も凍傷で指を切り落としたのだが……。
何事もないように生え変わる指におぞましさを感じるばかりであった。
洞窟を奥に進んでいく。生き物の気配はない。
しかし確かに異質な感じがある。
奥から冷気が外へ向かって吹いているのだ。
別の入り口があるのだろうか? 確かめようと私は歩を進めた。
そしてとうとう私は冷気の出所にたどり着いた。
そこには今さっきまで人が住んでいたかのように埃一つない部屋があった。
木材のテーブルの上には飲みかけの紅茶や、フルーツのバスケットが置かれていた。
普通の人が住むような一室、人が不死となり失われた日常の光景がそこには切り取られていた。
だが、一つだけおかしな部分がある。
氷の棺だ。
部屋の片隅に裸の女性が入った氷でできた棺が日常の光景の中に激しい違和感を齎していた。
彼女が嘆きの姫、オルディーヌで間違いないだろう。
しかし誤算だ。居所に踏み入っても起きないとは……。
しかも一糸も纏わぬ姿では、眼に毒だ。
その姿はあまりに美しく不敬ながら情欲を掻き立てられるのだ。
やはり、起きていただくほかない。
松明で炙ってみるか? 火を近づけても溶けだすことはなさそうだ。
私は剣を鞘に入れたまま、棺を叩く。
叩いた数が100に届こうかというところで初めて、オルディーヌ様に動きがあった。
一向に傷すらつかない棺に途方に暮れ始めていたところだ。
柄を使い小刻みに叩くと、表情はさらに険しくなった。
どうやら、目覚められたらしい。
こんこんと何度か音を鳴らす。
すると、唐突に棺が空いたのだ。
白く気ぶる霧と共に彼女は棺からお出ましになる。
服を纏わぬことを気にすることもなく私になにようか仰るのだ。
その言葉は清廉で厳かで、重い。
私は部屋を包む神威に恐れ、素肌を見た恐れ多さに傅くことしかできずにいた。
神の言葉が私の身体を包む。
妙な高揚感で頭は浮遊感を感じる。
意識はその言葉に任せ、手放してしまいそうになるのだった。
私はその非現実的な感覚から逃げ出そうと足掻く。
それはまるで、夜の大海に投げ出されたような感覚だった。
「お願い申し上げる。 お、お召し物を羽織っていただきたい!」
精一杯絞り出した言葉だ。
姫君は「しばしまて」とおっしゃった。
顔を上げるように言われると、姫君は黒いドレスを身にまとっていた。
白い髪と黒い瞳は死神を髣髴とさせる。
その姿は死を体現し、見るものに恐怖を想起させるだろう。だが、
「美しい」
ただ言葉が漏れた。
彼女が嘆いてくれるのなら死さえ厭わない。そんな気持ちにさせられる。
これは、正しく魔女だ。
我ら人には過ぎた美しさであった。
その後私は名を名乗り、今の世を伝える。
死を返していただけるように泣き叫び懇願したのだった。
しかし、その願いは試練と引き換えという話になった。
泣く子をあやすように、女神の慈悲を全身に浴びた私は脳がしびれるような感覚のまま、試練を受けることになった。
あの方の右手に口づけをしたときは、甘美な毒を受けたようにただただ魅了されていた。
気付けば山を下りる途中だった。
まるで夢を見ていたようだ。
試練の契約だけは覚えている。
私は魔女の騎士となったのだ。世界に死を振りまく使いとして、あの方に捧げる悲劇の書き手になろう。
その時私は決心したのだった。
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