闇に葬られた事件Ⅱ

「……で、何でまたあんたのボランティアに付き合わなきゃならないんだよ?しかも朝っぱらから」

 茜は不機嫌さを隠しもせず、インカム越しに海斗に愚痴った。


 時刻は朝の六時半。季節は春といえども朝はまだ少し冷える。通勤時間の始まりであるこの時間帯の街中は、足早に歩くサラリーマン達で静かに騒がしかった。オフィス街に近いその駅も人影が徐々に増えていて、三十分後には人でごった返しているのが安易に想像できた。


 なぜそんな時間に茜が海斗とインカムで話すような状況下にあるのかといえば、説明するまでもない、深矢の尾行だった。


 深矢は今、茜の右前方十五メートル先で通勤客に混ざって改札を出たところだった。その服装はサラリーマンに馴染むようスーツを着ている——ということは、紛れなければならない理由があるということだ。


「ターゲットが中央地下改札口を出た。東に移動中」

『茜、あいつはここに何の用があると思う?』

「どうでもいいね」

『嘘つけ。気になってるから誘いに乗ったんだろ』

 海斗の全て見透かしているような口調に対して舌打ちで返す。

「そりゃ任務の同行頼んだ時フリーターのくせして妙に日時を気にしてたけど、お前ほど執着する気はねぇよ。どうせ女だろーが」

『それは無いだろ、スーツ着て女口説くような奴じゃ……まぁ女がいるのは確かだけど』

「五番出口に向かってる。何でそれが分かるのか、お前の調査力に引くよ」

『了解、地上で先回りするよ。つっても相手が女子高生ってことしか知らないけどな。それに後姿が由奈に似てるんだ、由奈に未練たれてんのも確かだよ』

「へーえ、だっさ。けどそれ本当に付き合ってんの?」

『……多分。だって由奈に似てんだぜ?』

「別にどうでもいいけど。あいつは由奈一途かと思ってただけ」


 無駄口を叩きながらも、茜は尾行に集中していた。人混みの中だと、身を隠すにはいいがその分見失いやすくなる。下手に動けば無秩序な集団の中で目立って尾行がバレてしまう。その上、海斗曰く今日の深矢はいつも以上に警戒心が強いらしい。実際、これまでの道中で二回ほど尾行をまかれている。青嶋で六年間技術を学んだ工作員スパイ二人の尾行をまくのはそう簡単なことではないはずだ。


 どうしても知られたくない何かがある——どうでもいいとは言っておきながら、謎を目の前でチラつかされて考えないという方が無理な話だった。

 階段をスタスタと軽い足取りで昇る深矢は、どこか急いているようにも見える。


「地上に出た」

『あぁ、ターゲット確認』

 地上に出た深矢は、すぐ近くのコンビニに入って行った。

『……外で待機だな。ついでに役割ポジションも交代しよう』

「了解」


 茜は海斗の指示通り、コンビニを通り過ぎて近くにある時計塔の柱に寄りかかった。深矢のいるコンビニには背を向ける形となる。

 茜は肩の力を抜くように一息吐いた。


 目の前を無表情の大人達が足早に通り過ぎる。人の量も確実に増えていた。こんな人混みは、六年間山奥の要塞のような学校に隔離されていた茜にとっては慣れないの一言に尽きる。青嶋学園という場所は物理的にも感覚的にも俗世間と離れた場所にあったのだなという考えが頭を過った。


 ふとその時、波のように押し寄せる人混みの中に見覚えのある顔とシルエットが見えた気がした。

 平均的な女子の背丈に肩より少し長めの髪、そして派手でも地味でもない顔立ち——「由奈ッ?」


 しかし、その姿は瞬きと同時に消える。代わりに海斗の声がした。

『どうした?』

「いや……何でもない」


 深層心理は幻を見せるという。自分はやはり由奈のことを気にしているらしい。

 そうだ。深矢のどうこうより、由奈が今どこで何をしているのか、なぜ梟の中に由奈がいなかったのか、そちらの方がずっと気になる。

 だから何でこんなところでボランティアなんか——


『ターゲットが動いた』

 はぁ、と茜は思い切りため息を吐いた。

「何でキレてんだよ」

 海斗の声にもぶっきらぼうに答える。「やっぱり深矢を尾行する意義が分かんねぇ」

 そして深矢を先導するように動こうと急に重くなった足を動かすと、海斗の声がそれを止めた。

『ちょっと待て——あいつ、ベンチに座りやがった。コンビニ前だ』


 それを聞いた茜は振り返らずに今さっき通り過ぎた光景を思い出す。その場所には、背中合わせになったベンチが道の中央に置かれていたはずだ。そこに座るのはサラリーマンが二人。一人ずつ対角になるように位置し、道路側の男は中肉中背で新聞を読んでいて、コンビニ側のもう一人はグレースーツで傍らにコーヒーが置かれていた。つまり深矢の隣はグレースーツということか。


『俺らに気付いたか?いや違うな……』

「どういう状況?」

『買ってきた新聞広げてるよ。読んでるとは思えないな。近くに協力者パトロンでもいるのか?』

「こんな朝に密会?」

『くそッ、新聞で口元が見えねぇ……』


 その時だった。

 突然、茜の背後で複数の悲鳴が上がった。

同時に海斗の緊迫した声が耳をつんざく。『狙撃だッ!』

 反射で姿勢を低くする。振り返ると——


 時が止まったように固まる群衆。

 その合間に覗く、背中合わせのベンチの片側。

 深矢の隣。

 グレースーツを着た男が、前向きに地面に倒れこんでいた。

 その体から流れる赤い液体——血液。

 そして、その体の側に跪き顔を近付けている深矢。

 その表情は見えないが——とりあえず、緊急事態だ。


『茜ッ、団長に連絡しろ!』

 凍りついたように固まった人混みの中、ほぼ正反対側にいる海斗が真っ直ぐに茜を見ていた。茜はその指示に頷きながら携帯を取り出す。

『多分撃たれた男は組織の人間だ。でなきゃ——おい、深矢はどこだ?!』

 電話のコール音を耳元で鳴らしながら、弾かれたように茜は視線を元に戻した。


 そこには、今の今までいたはずの深矢が煙のように姿を消していた。

「あの野郎逃げ……ッ」

 走り出そうとした茜を、海斗の声が止めた。「無闇に動くなよ、深矢の動きの方が早い」


 そして人混みの中、遠くを見透かすようにニヤリと笑って言った。

「先回りしてやろうじゃねぇか」

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