▽9月12日 校舎裏の二人
二学期に入ってしばらく経ったある日のことだ。
俺は昭島から校舎裏に呼び出しを受けていた。
昼休みの校舎裏は意外と人通りがあるのだが、転校生の昭島はそのことを知らないのだろう。
校舎の柱の陰などに身を隠すようにして立つ男女に気を配りながら歩いていくと、今はもう使われていない古い焼却炉の前に昭島の姿を見つけた。
心細そうにしてにうつむく姿は、いかにもこれから告白を控えて緊張する女子生徒のように映るが、周りからそんな邪推を受けるであろうことも、昭島本人は分かっていないに違いない。
「ここじゃないと駄目だったか?」
「あまり人目に付きたくないので」
「いや、逢引スポットじゃん。逆に目立つよ」
「……あり得ません」
うん。あり得ないと知っているのは昭島自身と俺ぐらいのものなんだよな。
やはり、他人からどう思われるか、という点にはあまり想像が及ばないようだ。
「用件は?」
「遥香様のことです」
そうだろうとも。俺たち二人を繋ぐ話題はそれしかない。
もっと詳しく話してくれないと話が進まないよ、という意図を込めて俺は押し黙った。
「お分かりになりませんか? ……プールに行ったあの日からです。上手く説明できませんが、少し様子が……お変わりになられたでしょう?」
ほう。気付くのか。
俺はてっきり事情を知る自分ぐらいしか認識できない変化なのかと思っていたが、さすが日頃から注意深く鷹宮を観察しているだけはある。
──と、偉そうに構えてみても、実は俺だってどこがどう違うのか詳しく説明できるわけではない。ただ微妙に違和感があるのだ。
記憶をなくしていたとはいえ、夏休みに入る前までの鷹宮はやはりあの鷹宮で、そこにいることに対し何処となく遠慮か引け目のようなものを感じている節を見て取ることができた。
だが、夏休み明けの……、もっと細かく絞ればあのゲリラ豪雨の後の鷹宮は、自分が自分であることに何の疑いもないような、そんな垢抜けた印象がある。
強いて言葉にするならそんな違いだろうか。
以前鷹宮から聞いた話によると、プレイヤーがログアウトしている間は、この世界を構成しているコンピューター自体が、それまでのプレイヤーの言動と差異がないように
あの日以来、俺や昭島が見ている鷹宮がそれだ。
ただしコンピューターが模倣しているのは〈グリッチ〉に入る前の、記憶を取り戻していない状態の鷹宮のことらしく、俺が仮想現実周りの話題を振っても全然話が通じなかった。
それと、これは俺がそうだと知ったうえで観察するからだろうか。今のNPC鷹宮は以前よりもさらに奈津森の性格が色濃く現れているように思えた──。
「まあ、変わりはしたけど。慣れたってだけだろ。この学校に」
昭島からの問い掛けに対し少し考えたあと、俺はとぼけてそう答えた。
今の鷹宮は、あの名門鷹宮女学院からやってきたお嬢様であることを感じさせないくらいこの学校に馴染み、澤井や吉野たちと意気投合している。変な先入観なしで客観的に見れば、馴染んだせいで素の性格が見えるようになったのだという説明でも十分通じるはずだった。
「何かがあったわけではないのですか?」
「何かって?」
「あの日のことです。あの土砂降りの雨のとき、お二人の間に何かあったのでは?」
「えっ? いや、だから何かってなんだよ。あんな雨の中で何があったって?」
俺は、キスでもしたと思われているのかな、くらいのテンション感で想像しながらとぼけ続ける。
「あのとき、お二人だけ長い時間はぐれておりましたから、何があってもおかしくはないかと」
念を押すように言われた一言は、俺にも通じる意味深な響きがあった。
水族館のときにも思ったが、この子はどうも思い込みが激しい……というか、自分で立てた仮説やストーリーに固執するきらいがある。
しかも、いま彼女の頭の中にあるのは、どうやらあの雨の中、俺と鷹宮がひと夏の経験を済ませたのではないかという、ドラマチックを二歩も三歩も踏み越した、破天荒
なんという型破りな思い込みか!
「ないない! 常識で考えてくれよ。あんな風情のない状況で、周りに人が大勢いる中で、誰が致すかよ」
一応、可能性の一つとして、鷹宮が話していた〈杜撰な辻褄合わせ〉の結果、この世界が、二人が不在であった時間帯についてそういう事実を捏造したという線も考えられないではないが……。
いや、それにしてはあの〈奈津森≒鷹宮〉の態度が素っ気なさ過ぎる。あり得ない。……あり得ない、よな……?
「特殊な、密室に閉じ込められた状況であったのは確かでしょう?」
閉じ込められたという言葉で一瞬、昭島が〈グリッチ〉の存在を知って喋っているように錯覚する。
そんなはずはない。それは明らかに、俺が物事を知り過ぎているからこその錯覚だ。密室というなら、あの滝のように流れる雨水で囲われていたテントの中の方がよほど相応しい。
筋違いの勘繰りではあったが、俺が怯んだのを見て昭島がさらに続ける。
「それに、あの日以来、貴方が遥香様をお誘いになる機会が減ったのも事実です。男のかたというのは、一度手に入れたものには、以前ほど執着しなくなるものなのでは?」
それは一般論で言っているのだろうか。それとも昭島自身の実体験でか?
「ちょっと待て。その想像は絶対違うから安心してくれ。君のところの大事なお嬢様には指一本、触れ……てない……から、な」
勢い込んで訴えた言葉が途中で力を失ったのは、あの豪雨の中、鷹宮を抱え上げた柔らかな重みを思い出したからだった。
あのときは必死だったので、全くそれどころではなかったが、後から思い返すほどに、濡れた肌と肌がピッタリと触れ合った記憶が生々しく感じられて仕方なかった。
たぶん実際の感触ではなく、俺自身の中で過剰に増幅された記憶を再現しているからだろう。
「……そうですか。信用する気になりました。疑って申し訳ありません。本当に何もなかったようですね」
我ながら今のは
「ん、んーそうか。良かった。……じゃあ」
用は済んだだろうと手を上げ、その場から去ろうとした俺の手首を昭島がすかさず掴んで引き留める。
「アイデデデ、なんだよ?」
「それならそれで別にお願いがあります」
昭島の手を振り
だからぁ、こんな向かい合って手を握り合ってるところなんて、誰かに見られたら絶対誤解されるって……。
「遥香様のことを是非、女にしてあげてください」
「はぁっ⁉」
女にする、とは随分古風な物言いだが、残念ながら先ほど交わした文脈もあって、他に誤解のしようがない。つまりはそういうことだろう。
「何の冗談だ? 逆だろ? お手付きがないように見張るのが昭島の役目だろ?」
「これは、家の命令ではなく、私個人からのお願いなのです」
「……まあ聞こうか。一応」
「子離れを……、させてあげたいと考えているのです」
「子離れ……って、鷹宮道実のことだよなあ?」
俺の口から道実の名前が出たことが意外だったらしい。
昭島が一拍黙って間を置いた。
「……特異な環境ですので、よそのかたには容易に理解していただけないことでしょうが、ご当主様の遥香様に対する愛情は、少々度を過ぎている節がございまして……。ご心配差し上げているのです」
「まあ確かに。同い年の使用人に学校生活を見張らせるってのは度が過ぎてると思うよ? 毎日レポート書かされるなんてのはほんと同情するぜ」
いくら惚れた相手からの頼みとはいえ、そんな気持ち悪い要求にも甲斐甲斐しく従う昭島の気が知れない。
「……その話、遥香様から?」
「あ、いや……」
俺は思わず口が過ぎたと感じ視線を逸らす。
それは他ならぬ昭島自身の口から聞いたことだったのだ。当然今の昭島からではない。一周前の昭島の口からである──。
俺が鷹宮邸に乗り込もうとして門の前で捕まり、集団リンチを受けたあのとき、意識を失い危うく死に掛けていた俺を病院まで運んでくれたのは昭島と彼女の家族だった。
見知らぬ病室で目覚めたとき、傍にいたのが昭島だったことには大分混乱させられたものだ。
家主の道実からは、外で倒れている男には構うな、という明確な下知がされていたらしいが、万一屋敷の前で死なれては、さすがにお家の世間体を損ねると案じ、昭島の一家は懲罰も覚悟で俺を病院まで運んだのだと聞いた。
その辺りは、どうせ明後日には世界が丸ごとリセットされると知っている才川と、それ以外の人間の差であろうが、とにかく俺にとって昭島は命の恩人ともいうべき存在だ。下手をしたらあのまま意識を取り戻さなかった可能性もある。
病院に運び込まれ、然るべき手当をしてもらえたお陰で、俺はギリギリで〈マハ・アムリタ〉を起動させ、次の周回に記憶を繋ぐことができたのだ。
今の昭島は知る由もないことだが、俺には昭島から受けた恩に報いる道義があった──。
「昭島が道実に惚れたのって、具体的にはいつ頃からなんだ?」
しばらく考え込んだのち、俺は覚悟を決めてそう切り出す。
「っ……ええっ⁉ なんです、貴方?
さっきは取り繕ってご心配などと言っていたが、要するに昭島は、道実を娘の鷹宮から遠ざけて奴からの寵愛を独り占めしたいということなのだろう。
昭島が鷹宮遥香に抱く複雑な感情と、三人の間の古いメロドラマ臭のする関係は、一周前にあの水族館で行われた強烈な独白により自明であった。以前の周回の記憶を持つ俺にとってはの話だが。
「あいつを男として意識し始めたのは今年の4月1日より前か後か? デリカシーがないのは分かってるし、明け透けに訊くのは野暮だけど。重要なことなんだ。正直に答えてくれ」
「一体、どなたからそれを? いいえ、誰にだって話したことはないのに……!」
当たり前だが見事なまでに動揺する昭島。
俺は自分の覚悟が伝わるよう、昭島の両肩をしっかり押さえ、綺麗に磨かれたレンズ越しの瞳を覗き込んだ。
昭島は目を逸らし顔を伏せる。
「すべて……お見通しというわけですね」
「いや、分からないから訊いてるんだ。昭島が好きなのはどっちの道実なのか」
「どっ……ち。そうなのです! まるで、お二人いるように! ……感じるときがあるのです。ですが、貴方は一体……?」
「俺のことじゃなくて、大事なのは昭島と道実のことだろ?」
なんという偽善。親身を装った誤魔化しであろうか。これが詐欺師の手口かと自己嫌悪する。〈グリッチ〉での別れ際、俺のことを高潔だと評した鷹宮の顏が脳裏をよぎり胸が痛んだ。
「もちろん。私がお慕いしているのは昔からいらっしゃる道実様です。中等部の頃から……、いいえ、もっと以前から、密かに想いをお寄せしていたあのかたです」
毅然とした口調で昭島が答える。
まるで自分の愛がこの場で試されているのだと信じ、思い詰めるように。
「そうか、良かった。あのロリコンの変態野郎が昭島の好みじゃなくて」
「い、今の不敬な発言は聞かなかったことにしてあげます。その代わり、教えてください」
「ああ、教える。そして取り戻すんだ。本物の鷹宮道実を」
「本物の……」
俺は、昭島の目がこれまでの不安に覆われたものから強固な意思を宿すものへと変わる瞬間を見た。
まだ全てを説明したわけではないし、全てを理解したうえで昭島が納得するかどうかは予断を許さないが、俺の見立てでは俺と昭島の利害は一致している。
俺は道実(才川)から鷹宮を取り上げたいし、昭島も鷹宮と道実を引き離したいのだ。
才川が鷹宮道実のアバターを支配している限り、昭島が望むような結末には決してならないだろう。才川が操る道実は、昭島を利用することはあっても、その目的はあくまで鷹宮(国府祐介)を手に入れることなのだから。
それに、どうにかして俺たちのこの世界から才川を排除しなければ、そもそも俺たちの住むこの世界自体に未来はない。同じ一年を繰り返すだけの世界を、それで良しとするのならその限りではないが。
そうだ。今、この世界は重大な岐路に立たされているのだ。
この世界で、俺だけがそのことを知っている。
唯一の味方と呼べるのは上位世界の住人である鷹宮(国府祐介)だけだが、ログアウトしたはずの鷹宮から未だに連絡がないところをみると、鷹宮は外の世界において物理的な監禁状態から脱出することに失敗したと考えるのが妥当だろう。
そして、鷹宮の洗脳は終わっていない。少なくとも、才川の望むような形では。
必ず、〈次〉があるはずだ。その前提で備えなければ。
俺はこのとき、この周回で残された、半年余りの期間に自分が為すべき使命を明確に意識したのだった。
「昭島……、力を貸してくれ。俺にはお前が必要だ」
俺としてはこれ以上なく完璧にキマったはずの台詞だったのだが、昭島はその言葉に頷く代わりにツイと視線を横に逸らした。
あれ──?
と、俺は肩透かしを食らった気分で昭島の視線の先を追う。
ぐるりと首を返し、振り返った先には、口に両手を当て、目をまん丸と見開く鷹宮の姿があった。
「み、見てない。なんにも聞いてないから。大丈夫だから……!」
「遥香様! 違います。これは、そういうことではありません!」
自分たちの姿が他人から見られたらどう思われるか。その危機感が足りないのは俺も同じだったらしい。
俺は今の今まで、昭島の両肩をしっかと抱き、二人きりで顏を突き合わせ、熱く語り合っていたのだ。
それを目撃した鷹宮が然るべき想像をし、然るべき誤解をするのは当然の帰結であった。
鷹宮が逃げるように走り去り、そのあとを昭島が血相を変えて追い駆ける。
走り去る二人と入れ替わるようにして澤井と吉野が姿を見せる。
二人は呆然と立ち尽くす俺に対し、嫌味たっぷりに毒づき、輪唱のように延々と責め立てたのだった。
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