◆7月27日 水族館デート(6)

 ……なるほど。そうやって話が繋がるわけか。

 随分遠回りな説明だったな。


 話の衝撃度に比べて、それを受け止めた俺の心はやけに明敏に冴え、冷めていた。

 一つには、俺よりもむしろ、その話を打ち明けた鷹宮の方が明らかに動揺していて、そのことが分かったせいもあるだろう。


「そこまではいいか? 俺がクジラの夢だって言った意味は分かっただろ?」


 俺の手を握る鷹宮の手に力がこもる。

 だがそれは、先ほどまでと比べてマシになったという程度で、華奢ななりの少女の力にしても随分と弱々しいものだった。

 それに、こうして握り合っているというのに鷹宮の指先はヒンヤリと冷たいままだ。どんどん冷たくなっている気さえする。


「しかし、まあ、思い出せて良かったぜ。正直期待はしてなかったが、本当に何が記憶を呼び戻すトリガーになるか分からないもんだな。あとそれに、相談できる相手が側にいるのも助かった。もののついでだ。このまま俺がこの世界からする方法を考えるのにも付き合ってくれよ」


 鷹宮は努めて明るく笑い飛ばそうとしていたが、その表情はとてもそれに成功しているとはいえない、極めてぎこちなものだった。


「分かった。分かったから。もちろん協力する。だから落ち着けって」

「俺⁉ 俺か⁉ 俺は落ち着いてるさ」


「血流が悪いか血糖が下がってるんじゃないのか? ちょっと空調も効きすぎてるし。さっきから指先が凄く冷たいぞ? もしお前がいいなら抱き締めてやろうか? 強めに、こう、ぎゅーっと。そしたら落ち着くかも」

「ば、馬鹿。どさくさに紛れてなに図々しいこと言ってんだ。正気だって。余裕だっつーの。NPCにメンタルケア頼むほど弱っちゃいねーよ」


 鷹宮はそこでようやく俺と手を握り合っていたことに気づき強引に手を振りほどく。この青みがかった暗い照明でも分かるくらい顏を紅潮させながら、俺の胸を押して距離を取った。


 俺としてはすこぶる真面目な提案だったのだがまあいいか。結果として血の巡りは戻ってきたようだ。

 ついでにまたサラリと重大発言ネタバレをされた気もしたが、さておき俺は、ツンデレ風の反応をしてみせる盟友の様子にホッと胸を撫で下ろしていた。


「一応確認するが、マジで言ってるんだよなあ? ここが仮想現実の世界だって」

「……やっぱり通じねーか。まあ、証拠もなしに信じろと言っても無理があるよな」


 鷹宮は目の端で俺の表情を窺ったあと、プイとソッポを向いた。そのまま片手を口元に当て、自分の考えにふけり始める。

 その反応。やはり彼女の中で俺はただのNPCなのか。それは仕方ないが、多少は使えるNPCだと思ってもらわなければ。


「いや、信じるよ。鷹宮がそう言うなら信じてもいい」


 これは別にこびを売ったり、安心させたりするための調子合わせではない。俺のその言葉に嘘はなかった。常識に照らせば、きっと脳の生体間移植や憑依、転移、転生などと同列の戯言ざれごとなのだが、鷹宮が置かれた状況を説明する仮説として、であれば信じるに足る戯言だと、俺の中でははっきり区別されていた。


 今日ここでその話を聞くより前から。もっと言えば鷹宮と出会う以前から。その可能性を受け入れる下地は出来上がっていたのだ。

 これまでのモヤモヤが形をなし、カッチリとはまり込むような爽快感すらあった。


「だが……、証拠がないっていうのは確かに残念だな。何かないのか? そのものズバリじゃなくても状況証拠とか」


 俺は密かに鷹宮の反応を探るように質問を切り出す。

 鷹宮が突然主張し始めたとおり、この世界が〈クジラの見る夢の中〉──想像を絶するメカニズムで稼働するコンピューター上に実現されたシミュレーションの世界なのだとしたら、自分たちの創造主ともいうべき存在を前にして、俺個人がどう振舞えばよいのかは非常に緊張を強いられる問題だった。


「……普通はプレイヤーが使えるはずの操作盤コンソールが完全に潰されてるからな。それさえあればいくらでも証明してみせられただろうが……。今の俺は無力だ。完全に、ハルキたちと同じただの人。この世界の中では単なる一構成要素に過ぎない。自力でログアウトもできない有り様じゃあな」

「コンソールってのはゲームのメニュー画面みたいなもんか? すげーな。ワクワクするぜ。しかし一体なんでそんな状況に? 全部信じるから、なるべく分かるように聞かせてくれよ。鷹宮だって誰かに話した方が状況を整理し易いだろ?」


「あ、ああ……。っていうか、信じてるにしてはお前、落ち着き過ぎじゃないか? そんなふうに無条件に信じると言われてもこっちの方が信じられない。なんだか馬鹿にされてる気分になるんだが?」

「この世界の住人の間でもそういう可能性はもう検討されてるからな。ここじゃあ〈シミュレーション仮説〉って呼ばれてる。この世界が仮想現実の中かもしれないっていう疑いを持つこと自体は、割と一般的だと思うぜ?」


「一般……的ねえ。それは進学率の低い高校の不良生徒にとっても、ってことでいいのか?」

「まあな。仮想現実系のSF小説とか、科学系の一般書を読み漁った俺に死角はねえ。場合によっては俺も手助けできるかも知れないぞ?」


 鷹宮は両腕を胸の前で組み、なお胡散臭そうな目で俺のことを品定めしていたが、やがて諦めたように溜息をつくと、彼女──いや、信じると言った以上、やはりと呼ぶべきか──が置かれた現在の危機的な状況について語り始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る