◇6月30日 密会工作

 6月30日。木曜日。

 なんでもないその日が、俺には特別で忘れられない日になった。


 俺が鷹宮にモーションを掛け始め、すげなく跳ね返され続けて幾日が過ぎ。ついに攻略の糸口がつかめそうなチャンスが訪れた。

 いつも決まった時間に正門に現れる鷹宮家の黒塗りの高級車。それがその日に限って現れなかったのだ。


「遥香様。送迎車が途中で故障して来られなくなったそうです。ただいま別の車を手配しておりますので、それまでこちらでお待ちください」


 授業が終わってすぐ、昭島由里亜が二年二組の教室までやって来て鷹宮にそう告げた。

 鷹宮自身はスマホや携帯の類を持たされていないらしい。お嬢様なら防犯の観点から言っても持たせた方が良さそうなのに、そんな連絡ですら昭島経由でしか伝えられないことが俺には意外に思えた。


 それはさておき、イレギュラーの発生を耳聡く聞き付けた俺は、即座に思考を巡らせ、鷹宮を図書室へと誘った。「実は読書部の奴に部員の勧誘頼まれててさあ」などと適当な理由を付けて。


 俺が終業直後の教室で最初にモーションを掛けたあの日以来、放課後は昭島がすぐに教室まで迎えに来て鷹宮を連れ去るようになってしまい、まともに口説くだけの隙がなかったのだ。

 また、その昭島も確かに邪魔ではあるのだが、脈有りに思えた鷹宮がいっこうになびかない最大の要因は、俺的には周囲の環境の方に問題があると踏んでいた。


 授業中や休み時間は、当たり前だが常に周囲にクラスの連中がいて、連中は俺の真剣な愛のささやきを冷やかすことに余念がない。そんな衆人環視の中では、とても素直な気持ちなど打ち明けられないだろう。


 何しろ普段誰とも口を利くことのないクールビューティーキャラで通っている鷹宮だ。デレるにも作法や手順というものがある。これでも古今東西のラブコメを読み漁った恋愛強者の俺に死角はない。


 鷹宮をひとまず図書室に誘ったのは、ゆっくり二人きりで話せる環境を求めてのことだった。その結果、当然のように無言でついてくる昭島と、それから奈津森、澤井、吉野の女子三人組。あと矢部以下、野郎連中数人でぞろぞろと廊下を練り歩くことになる。


 全然二人きりにならないじゃないかって?

 分かってる。物事には順序というものがあるって言わなかったか?


「つーか、ハルキさぁ、うちらまで使うとかいい神経してるよね」


 澤井が歩きながらブー垂れる。


「ホントマジ鬼だわ。ミユが可哀そうとか思わないの?」


 すかさず吉野が同調する。君たち二人の連携は本当に乱れがないなと内心で呆れていると、澤井が無言で肘を入れ吉野を小突いた。


「うぉおい、なんだよっ?」


 吉野が身をよじらせてよろめいたせいで後ろを歩く集団の列が乱れる。


「何? 奈津森用事でもあんの? だったら外していいぜ。あとはこの二人に頼むし」


 二人がじゃれあい始めたので代わりに奈津森に話を振る。


「えっ! なんで? 別に? なんにもないよ?」

「?……そうか。悪いな。急に頼んで」


「いいって。うちらの仲じゃん。てゆうか、ハルキがあんなお嬢様と付き合うとか、ネタとして超面白いし。協力ぐらいするよ」


 奈津森が近寄ってきて囁くように言う。

 俺は澤井たちによるゴタゴタとした騒ぎ越しに、鷹宮と昭島の方を密かに振り返り、今の話が聞かれなかっただろうかと窺い見ていた。


 図書室に入るとすぐ、打合せどおり奈津森が鷹宮をトイレへと誘う。

 鷹宮は「何故わざわざ連れ立ってトイレに行かねばならんのだ」と至極もっともな反応をして渋ったが、そこは奈津森の強引なコミュ力が物を言う。鷹宮の手を握り、腕を組み、「まあまあいいからいいから」と言って連れ去ってしまう。

 どうにか予定どおりに進んだが、危うく計画が破綻するところだった。女子とは押しなべて同性同士でトイレに行きたがるものではないのか。


 どうやら鷹宮の性格を計画に落とし込めていなかったようだが、まあいい。ともかく最初の関門は突破した。

 この後は奈津森が鷹宮に「実は読書部の部室は別の教室なのよ」と言って集団から引き離す手筈になっている。


 俺の観察によれば、鷹宮はきっと昭島のことをうとましく思っているはずだった。騒がしい環境も嫌いだろうから、奈津森がそのように促せば、そこは楽に誘導できると踏んでいる。


 問題は昭島だが、彼女は鷹宮にちょっかいを掛ける俺のことを警戒しているので、鷹宮が図書室を出ていくタイミングで逆に俺の方から昭島に話し掛けて足止めし、油断を誘う作戦に出る。


「昭島……さんも、鷹宮女学院タカジョから来たって聞いたけど?」

「……そうです」


「凄いね。鷹宮家の命令で転校までするんだ。嫌じゃなかった?」

「……私はご当主様に従うだけですから」


 おや? 時間を稼ぐためだけのつもりだったが、この昭島由里亜という子自身は意外とガードが緩いぞ。この子の身の上を聞くだけで、鷹宮家がどんな家風で、鷹宮が普段どんな生活を送っているのか、おおよそ知ることができそうだ。


「随分厳しい家みたいだけど、放課後の部活動まで禁止されてるってことはないんでしょ?」


「……もしも遥香様が希望されるのなら、許可はいただけると思います」

「ふーん」


 もっと訊いてみたいことはあったが今は優先順位が違う。

 それから俺は矢部たちと馬鹿話をする振りをして図書室の奥の方へ姿を消した。


 実はこの図書室は奥にある図書準備室から反対の廊下に抜ける別の出口もあるのだ。転校してきたばかりの昭島はその構造を知らないだろう。

 矢部たちにはこの奥で適当に会話を続けてもらい、さも俺もその会話の輪の中にいるかのように思わせる。


「待って、どこ行くの? トイレまで見張るつもり? ダイジョブダイジョブ。すぐ戻って来るよ。ここで喋りながら待ってよ?」


 昭島を引き留める澤井の声を聞きながら、俺はそっと扉を閉めた。


 廊下に出ると、俺は読書部が部室にしている教室に向かって急ぐ。

 急なことだったのでそこまでの根回しはできていなかったのだ。先回りして教室に入ると中にいた女子二人に頭を下げ、拝み倒してご退室いただく。


「ここ暑っついだろ? 俺、近くにいい場所知ってるぜ。市立の図書館。新しくて、人もそんないねーの」

「涼しい?」


「涼しい涼しい。最近できたとこで、マジ穴場だから。場所教える」

「いがーい。鷲尾、図書館なんて知ってるんだ?」

「あれでしょ? 女連れ込んで乳繰ちちくり合ってんでしょ」


「ばーか。俺はこう見えて彼女いない歴イコール年齢の清純派で売ってんだ」

「うっそ。それこそ意外。とっかひっかえしてそーなのに?」


 相手が去年のクラスメイトだったから話は通り易かったが、一年のときの俺のイメージってどんなだよと呆れてしまう。


「頼む頼む頼む。これからここで一世一代のマジこくりタイムなんだ。協力してくれ」

「ええー? それ聞いたら是非とも覗きたくなるじゃん」

「他の子も呼ぶ? 面白いもの見られるって」


 嬉々として絡んでくる二人の女子を、どうにかこうにか教室の外へと追いやる。

 それこそ蹴飛ばすようにして階段のきわまで追い払っているところに、反対側の廊下から奈津森の華やいだ高い声が聞こえてきた。俺はシーッと指を立て読書部の二人を曲がり角の陰に隠す。


「えっ、相手ミユゥ……? じゃないわ。あれ、鷹宮さんじゃん!」

「無理無理無理無理! 絶対無理だって。庶民のアンタなんか相手にされるわけないって」

「シィッ!」


 鷹宮を伴って現れた奈津森は、俺たちからは遠い方の出入口に立って教室のドアに手を掛けた。

 足を止め、鷹宮の方を振り返る。


「──えっ、そんなに!? お嬢様厳しすぎ」

「一般的なお嬢様がどういうものか分からんが。やはり異常か?」


「やー、私だってお嬢様の普通とかは分かんないけど。さすがに屋敷から一歩も出してもらえないなんて、異常を通り越して犯罪的だよ。虐待かも」

「ふむ……、まああのときは夜中に無断で抜け出したから連れ戻されたのであって、きちんと申請すれば散歩ぐらいは許してもらえるだろう。心配するな」


「んっ……、状況が分かんない。引っ掛かるなー」


 奈津森はそこで一旦会話を打ち切り、教室のドアを開けた。


「あれ? まだいないか。……ちょっと中で待ってて、探してくるから」


「待て。引っ掛かるというのは具体的にどこが?」

「ええー? どこがって、全部だよ」


 意外なことに、奈津森が立ち去ろうとするのを鷹宮が呼び止めた。

 女子相手でも鷹宮がこれほど長く話しているところは初めて見るし、ましてや、鷹宮の方から積極的に会話を続けようとするなんて、このひと月半ばかり観察した彼女の生態からは考えられない社交性の高さだった。


 もしやこれが女子の連れション効果だろうか。だとしたら、やはりコミュニケーションツールとしての恐るべき性能は改めて評価し直さねばなるまい。


「生まれてから今まで、御屋敷の中と学校以外の場所を見たことがないって、絶対普通じゃないからね? いまどきスマホも持たせてもらえないのもあり得ないし。あと、申請すればって……。じゃあ、今まで外に出たいと思ったこともなかったの?」


「ああ。なるほどな。それは幾つか誤解がある。単に自分が外の世界を知らないというだけだ。生まれてからずっと監禁されているという意味ではない。……たぶんな」

「……いやー。やっぱ引っ掛かるー。モヤモヤするー」


 奈津森は頭を抱える仕草をしながら、丸く整えられた茶髪をブンブンと振った。

 そのとき、たまたま廊下の角で様子を窺っていた俺と目が合う。

 奈津森の目と口が、あっ、という形に変わった。


「まあいいや。また今度聞く。とにかく、今は約束だから私は行くね」


 奈津森は鷹宮を教室の中に押し込めてドアを閉めたあと、こちらに向かって親指を立てた。

 俺も無言で同じように返し、いよいよその時が来たかと深呼吸して心を落ち着ける。


「結果ぁ! 結果教えてよ? 覗いたりしないから。これ、貸しだかんね?」

「分かった分かった。言い触らさないって誓うならな」


 半袖の袖口を引っ張ってせがむ読書部の腕を振り払い、俺は教室のドアを開けた。


 教室の奥。窓際の席に、カバンを置いて立つ鷹宮の姿を見つける。

 窓からの、目に痛いほど眩しくこぼれる陽射しを背にしてクルリと振り返るシルエット。


 入ってきた俺の姿に気づき、驚いたようにするその顔は、思いのほかにあどけなく……、普段の彼女とはまた違って見えるその新鮮な衝撃で、俺の心を真芯から射すくめたのだった。

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