◇5月24日 教室の噂話
「分かったぞハルキ」
「おう、サンキュ。どうだった?」
俺がこいつらと意識的に距離を置くようにしてからは久しくなかった光景だが、今は俺と矢部を中心にした男女六人ばかりが、教室の一角で顔を突き合わせてダベリ合う空間ができあがっていた。
話題は当然、謎のお嬢様転校生、鷹宮遥香についてである。
なんという運命か、彼女が編入されたクラスは俺と同じ二年二組であったため、鷹宮遥香という名前は労せず知ることができた。
だがしかし、転校初日から一週間過ぎた今もなお、彼女が俺たちに明かした情報は、名前と学年だけがその全てだったのである。
転校してきた理由も、どこの学校からの転校生であるかも何一つ話そうとせず、周囲から振られる他愛のない会話でさえも彼女は一貫して拒んでいた。
担任に
そこで俺は、友人の
彼女を送迎する高級車のナンバーが隣の県のものであったこと。それに彼女の苗字が〈鷹宮〉であることなどから当たりを付けて、名門鷹宮女学院に知り合いがいる人間がいないかを探したのだ。
結果、矢部が仲良くしている先輩の、その友達(他校の男子生徒)が鷹宮女学院に通う三年の女生徒と付き合っていることが分かり、そこから又聞きに次ぐ又聞きで情報を仕入れたというわけだ。
「やっぱりそうだってさ。ビンゴだよ。ハルキの読み通り」
「そうか。サンキューな」
「マジィ? マジモンのお嬢様?」
「ああ、学長の一人娘のご令嬢。山の上のお城みたいな豪邸に住んでるんだってさ」
「プハハ。漫画みてー。ウケるー」
「それでそれで? なんでウチみたいな学校に転校してきたの?」
「ああ、なんか、元々は俺らより一学年上みたいだぜ」
「えっ、あのお嬢ダブってんの?」
「丸一年ぐらい、病気だか事故だかで休んでたらしいんだけどー、今年の春から復学して二年からやり直してたはずなのに、気付いたら転校してたって」
「ビョオキッ!? 設定盛るぅー」
「マジ、病弱キャラまで? ちょっと面白すぎるんだけどぉ?」
「気付いたら転校してたって何だよ。ハハッ、怪談話かよ」
「情報源が三年の彼女さんだからだろ? 噂が伝わるのが遅かったんだよ」
「……じゃあ結局、なんで転校することになったのかは分からないのか」
皆が思い思いに盛り上がる中、俺は少しガッカリした気持ちで呟いた。
一体何の因果がどう巡り巡って、こんなショボい高校に、超絶お嬢様学校の、しかもそこの学長の娘が転校してくることになったのか、その理由を知りたかったのだが。
「いや、それがさ。これ、ちょっと不確かな情報なんだけどよぉ」
矢部が声を落として俺の方に顔を寄せる。その割に妙に熱っぽく、興奮を隠しきれていない。
周りでワイワイ騒いでいた連中も各々身を乗り出し、俺たちが作る輪が一回り小さくなった。
「なんかさ。問題起こしたらしい。退学になるくらいの」
「ナニ? ナニ、エンコー?」
「タバコとか? ヤバイ系のクスリとか?」
こいつらの発想はいちいち自分たちレベルなんだよなあと俺は呆れる。かといって、他にどんな行動が退学クラスの問題になり得るのかは俺も思いつかないのだが。
「いやー、向こうの学校の方でも良く分かってない噂らしくてさ。分かってるのは、その時期に学校じゅうの窓ガラスが割られてたことがあって、どうもそれに関係してるんじゃないかってぐらいで」
「あのお嬢様が校内のガラス割って回ったって? イメージないわー」
「いや、つーても学校の理事長の娘なんだろ?」
「そうだな。大概のことなら隠蔽できそうな気もするが」
「インペー……。うわっ。出たよまた。ハルキのえせインテリモード」
「あんた今年ずっとそのキャラでいくのぉ?」
俺は「うるせーよ」と笑って手を振り、それ以上構うなとアピールした。
いやしかし、ガラス割りねえ……。故意にやれば、そりゃあ停学ぐらいにはなるかもしれないが、退学になるほどとは一体どれだけの枚数を割ったんだ?
いや、結果的にガラスも割れたというだけで、表沙汰になってないところで傷害事件を起こしていたという可能性もあるか。
いや……、いやしかし……、彼女の方が襲われたというなら分かるが、あの細い腕と暴力なんて取り合わせ、この世で最も似付かわしくないものの一つだろう。
そこへ、窓ガラスが割れる不快な音──。
そう。矢部の持って来た情報をネタに盛り上がっていた俺たちにとっては、まさにタイムリーな音がけたたましく鳴った。
一瞬皆で顔を見合わせ、それから揃って音がした廊下の方へとバタバタと走る。
教室を出てすぐ、目に飛び込んできたのは、割れたガラス片の傍で尻もちを突き呆然としている大柄な男子生徒と、それを冷淡に見下ろす鷹宮の姿だった。
おかしな話だが、計ったように繰り広げられるこの展開にはある種の納得感があった。
彼女の特別さを思えば、イベントの中心に彼女の姿があるのは当たり前。むしろそこにいるのは彼女以外にあり得ないとすら思う。
「あ、ミノ先輩。これ、どうしたんスか?」
騒然とする生徒たちの中に知り合いを見つけて矢部が駆け寄る。
相手の男は茶髪のロン毛。胸元には細いチェーンの飾りを輝かせている。俺も他人のことをとやかく言えた風体ではないが、見るからに軽薄そうな男だった。
「おー、矢部か。やべーよ。見てのとおりだよ」
ミノ先輩とやらと矢部がササッとその場を離れ、こちらに引き返してくる。
そのすぐ後に、廊下の先からジャージ姿の体育教師がノシノシと大股でやってきた。
「おい、何があった? 怪我人は? おぅ、お前ら近付くなぁ! あ、お前らはそこを動くなよ?」
体育教師はテキパキと現場を仕切り、容疑者である男子生徒と訳ありげな鷹宮の二人を確保してしまう。
ミノ先輩はその様子を振り返りながら、矢部に向かって小声で事情を明かした。
「
「もしかしてアレやったのって鷹宮っスか?」
「ああ。さっすがお嬢様だなあ。護身やってんじゃね? ちょっと身体の位置入れ替えたと思ったら、あの馬鹿勝手に吹っ飛んでやがんの」
ミノ先輩は半分笑い、半分顏を引きつらせながら、よく分からないカンフーのような手の動きを交えてそのときの状況を解説しようとしていた。
大袈裟に吹っ飛んだとは言っても、あの巨体を窓の外に投げ飛ばそうとしたわけではあるまい。そもそもサッシの位置は容易に乗り越えていけるほど低くもなく、せいぜい身体の一部、肘か何かをぶつけてガラスを割ってしまっただけのように見えた。
だが、廊下に飛散したガラス片は、日常の学校生活にそぐわない暴力の痕跡を漂わせ、廊下中に満ちた騒然さはなかなか収まる気配がない。
「オォイッ!
体育教師が訳知り顔で話していたミノ先輩に目を付けて大声で呼び付ける。
ミノ先輩はウヘェとぼやきながらもノソリと回れ右をしてそちらへ歩いて行った。
「ねぇねぇ、さっき矢部の言ってた病気ってもしかして心の方のことだったり?」
「あっ、ヘラってるってこと? ありえるー」
「ちょっと二人ともっ。やめなよ。聞こえちゃうよ?」
俺の真横では声を潜めるようにして澤井たちが噂し合っている。音量がデカすぎて実際には全然潜められてはいなかったが。
俺が遠くから見つめる鷹宮は、そんな周りの騒ぎなどまるで耳に入っていないかのように、足元に散らばったガラス片に憮然とした表情で視線を落としていた。
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