第18話 おばちゃんと永遠に平行線の夫
義両親が亡くなり暫くの間、夫は体調が悪いと言い出し、珍しく病院に行った。検査をしようという事になり、結果を聞きに行った夫は、乗って行った車の横のドアを自宅の塀にぶつけて凹ます自損事故を起こした。
呆然と凹んだドアを見ていた夫は、うつろな目をして私に言った。
「検査結果が出た。ガンだそうだ」
真昼の明るい日差しの中。行き交う人通りのある道の前の自宅の駐車場で、凹んだ車を見て言う事だろうか?
何と返していいのか分からず、暫く唖然と夫を見上げていたが、彼はイライラとしたように言い捨てた。
「お前は情のない女だからな」
どこまでも私を罵るのだなと…虚しい気持ちがこみ上げたが、私は夫を優しく抱きしめると「家に入りましょう」と促した。子供の様に夫は珍しく私の言葉に従った。
即、私は子供達に連絡し、夫のかかりつけ医に電話をして詳細を聞いた。夫は魂が抜けたように、自室の中に閉じこもってしまっていたからだ。
幸いなことに初期の発見であり、手術と投薬治療が可能で、また家に戻れるとのことだった。
再度説明を聞くのと、入院手術の手続きの為、娘も一緒に私達は病院に行った。
だが、夫は自暴自棄な態度で医師の話しをほとんど聞かない。
聞けばなんと最初の診断結果を来た時に、開口一番に担当医の出身大学を聞いたそうで(なんと失礼な事を…)「それ以降はこんな態度なので大丈夫ですよ」と、担当医はよくある事なので淡々と静かに言う。
初期のガンである事。手術も投薬治療もそんなに大変ではないと説明を受けても、夫の態度は悪く、悪態と悲観的な事ばかりを言う。娘ととりなしても聞く耳持たずだ。
しまいにはいきなり立ち上がると、
「私の人生最大の失敗は!君と結婚したことだ!!」
と、突然私に向かい大声で叫んだ。
その場の全員がドン引きしたことは言うまでもない。
こんな場所で何故今そんなことを言うのか?こんな場所でも私を貶めたいのか?
そこまで憎いのか?
そこまで嫌いなのか?
滔々といかに夫の不幸の原因が私であるかを、医師達に力説する夫を傍観しながら、不意に、
思い描いていた人生のレールを外され、
ホームに立ち尽くし途方にくれていた、
あの夫の姿を思い出した。
そして夫の振り返った姿は、神経質な目をした小さな子供の顔をしていた。
自分の事しか考えられない、我儘な、自尊心の強い頭だけはいい子供。
守られることが当たり前で、自分だけが褒めそやされるのが当たり前の子供。
ああ…
そうか‥
彼は…その精神年齢で成長が止まっている…
小さな子供のままなんだ。
理解したくはなかったことを、
今、
私は唐突に認識し理解し納得した。
私はただただ乾いた苦笑をした。
看護師は夫の検査の間に、ああいう事を言い出すのはガン患者によくあることで、一時的な錯乱的なもので…と、私を一生懸命慰めてくれたけど、もうどうでもよかった。ただ、看護師達の温情には心が温まり、涙が出て来た。
夫は入院し、無事手術も成功し、経過も良好で、意外と早く退院した。
退院後、夫は「今後は自分の思うように生きる!」と、私達に宣言した。
「退院しての第一声がそれかよ!」
「最低!お父さん!毎日のように通って看護をしてくれたお母さんに感謝の言葉はないの!?」
怒る子供達にも、唖然とする私の事も気持ちも夫は無視だ。随分と元気に子供達と言い合いをしている。
今まで随分と家族の事は顧みないで生きて来たような物だと私は思うけど、彼にしてみれば、自分で稼いだお金も時間も1秒1円たりとも他人である家族に使うのは苦痛だったらしい。口角泡を飛ばす勢いで夫は目を剥きだすように子供達と言いあう。
何故そこまで家族を疎むのか?
わからない。
私はもう…この人の事が…わからない。
翌日、彼がまずしたのは、「住んでいない者の荷物は不必要!」と、私が不在時に片付け屋を頼んで、子供達が使っていた部屋の物を全部回収破棄させてしまった。
唖然とした。
子供達にもなんの相談もなくだ。
だが子供達は淡々をしたもので、
「思い出が全部なくなるのは少し残念だが、家を出た時点でもう執着はないので、捨ててもらっても構わない」
「かえってお手数かけて悪かったかも。ありがとう」
と、言い、その反応に夫は激怒したが(何故?嘆き悲しむ反応を期待していたのだろうか?)、もう子供達は夫の怒声に動じもしなかった。
夫が怒り外出した後で、子供達は真顔で、私の荷物も危ないと言った。
「何かで機嫌が悪くなったら、今度はお母さんの物を勝手に捨てるよ」
「間違いないよね。だから普段使わない売られて困る着物や、宝飾品は私が預かるよ。使う時に持ってくるから」
子供達の中で夫の信頼度は限りなく0でマイナスなんだろうなあと苦笑し、確かにやりかねないので、子供達の好意に甘えることにした。
リハビリが進み体が思うように動かせるようになると、今度は庭を業者を入れて更地にした。そこを畑にするのだそうだ。
夫は庭にも関心はなく、子供達とコツコツと作った可愛い花壇も、植えた花木も何もかもも捨ててしまった。
その開けた場所を見ても…もう…何の感慨も浮かばないのを悲しく思いながら見つめた。その姿を夫が満足そうに見ているのを分かっていながら。
「あのね、お母さん、私今度タイに行くことにしたの」
ある日、娘の家に今度使う外出用の洋服等を取りに行った時、突然、娘が言い出して私は驚いた。
「タイ?タイってあのタイ?」
「うん。そのタイ。私、タイ支店勤務になるの」
「まあ!海外勤務を望んでいた物ね。願いがかなったのね。おめでとう!」
「うん。ありがとう。でね…多分…私はもう日本に戻らないかも」
驚きの顔をする私に、娘は手を握り言う。
「だからね、お母さん。もう大丈夫。お母さんが解放されても私の所にはお父さん来ないよ。私を呼び戻すとか、おじさん達とみんなで嫌がらせするとか、できないから。大丈夫だから。
だから。もう安心して」
娘の横で息子も力強く頷く。
「僕も大丈夫だよ。生活基盤は大阪だし。何かあれば妻の実家が後ろ盾になってくれると言ってくれている。
僕達はもう大丈夫だから。だからお母さん」
「もうお母さんはお母さんの為に生きていいんだよ?」
「え?」
「お母さんが、私達が家を出てもずっとあの家にいたのは、お父さんと離婚しなかったのは、僕達の為でしょう?」
「え?」
「お母さんがいなくなったら、絶対お父さんは娘である女の私にお母さんにさせて居た事を強要するとわかっていたから。だからずっと盾になっていてくれたんでしょ?」
「そうだよ。僕の妻にも同じことをさせるのが分かっていたから、だから…僕達の為にストッパーになってお父さんのそばにいたんだよね?でももう大丈夫だから」
「そうよ。私も海外に行くし戻らない。タイまでは来ないよ。そういう度胸のある人じゃなから」
「姉さんの言う通り。僕も妻の実家が後ろ盾だから、そこまで迷惑を掛けにはこないよ。自尊心の強い人達だからね」
「だから大丈夫」
「もう心配しないでいいよ」
「お母さん、もう自由になりなよ」
「あんなことを言う人のそばにいなくていいよ」
「自由になって」
「「お母さん」」
小さい小さいまだまだ子供の子供達。
私が守らないといけない子供達。
夫から。
夫の理不尽な家族達や親族から…。
なんとしても守らないといけない!!
そう思っていた。
でも、子供達はもう守られる立場から、ちゃんと他の人を守れる立派な大人に、人間になっていた。
もう子供達は大丈夫。
大丈夫。
あの理不尽な夫達は、私の大切な大切な子供達を傷つけることは…もうできない。
大丈夫…なんだ。
私は大きな声で…
初めて…
子供達の前で泣いた。
そして母子3人でしっかりと抱きしめあった。
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