第8話 強さ

 数日後、とうとうアリサは「決闘」当日を迎えた。

 訓練用の防具に身を包んだアリサが、チカコと向かい合っている。

「あなたの強さを見せてもらおう」

 向かい合うチカコは微笑を浮かべて言う。

「……うん」

 アリサは緊張した面持ちで頷く。

「扱う武器を変えたようだな、面白い」

 アリサの手には槍ではなく、右手にランス、左手に体が隠れるほどの大盾が持たれている。

 ラディクは双方の準備が整ったことを確認すると片手を挙げる。

「双方準備はいいな。それでは……始め!」

 

 その様子をロマン、レオニート、オレクが並んで上から見下ろしている。

「で、ロマン。ぶっちゃけ勝機はありそう?」

 オレクは呑気に頭の後ろで手を組みながら、闘技場の中央で向かい合う二人に目を向けて言う。

「分からない。が、時間が無いなりに策は授けた」

 ロマンは答えて隣のレオニートに視線を走らせる。レオニートは腕組みしたまま、静かに闘技場を見下ろしている。


 武器を構えて向かい合ったまま、二人は動かない。

「……来ないのか? ならば、私から行かせてもらう!」

 アリサの出方を伺っていたチカコは、口の端をつり上げると、得意とする風の魔術を交えた剣術、「風刃」を刀身に帯びた。

「破っ!!!」

 チカコの声と共に刀から三日月のような斬撃が走り、アリサを襲う。

 アリサは手に持った大きな盾を構える。

 アリサを通り過ぎた斬撃波が闘技場の端に当たって石の壁に深く切れ目を刻んだ。

 しかし、アリサは無傷だった。

「私の『風刃』で、斬れない……?」

 チカコが眉をひそめて、アリサの盾を見つめる。

 大きな盾の表面が氷で覆われていた。

 高密度の魔力を帯びた氷、魔氷晶を使用した攻撃は他の魔術で相殺が難しいほどだ。

 そのため、魔氷晶の塊を飛ばす攻撃が本来多用される。

 しかし、それを盾に張って防御に使えば、下級の簡単な魔術で高強度の対物、対魔防御が完成する。

 レオニートの入れ知恵だった。

「破ァッ!!!」

 チカコは力を籠めて刀を斜めに振り抜き、今一度斬撃を飛ばすが、やはりアリサの魔氷晶の盾に風刃の斬撃は通らなかった。

「なるほど、どうやら、その盾には私の斬撃が効かないようだな」

 一度、攻撃の手を止めるとチカコは刀を下段へ下げる。そして、今度は風が身体を取り巻き始める。

「剣舞、疾風はやて。参る!」

 疾風をその身にまとったチカコは地面を一度蹴ると、瞬時にアリサの目の前に迫った。

(速い……!)

 アリサは面くらいながらも、間合いに踏み込まれる前に、チカコの方に向かってランスを向ける。しかし、チカコの姿はランスに当たる直前で消えた。

「その大きな盾なら動きは鈍い筈!」

 既に背後に回っていたチカコが叫ぶ。

「!?」

 しかし、チカコは刀を止めた。

 目の前に魔氷晶の壁が作り出された。Uの字にアリサの背後をすっぽりと覆っている。

 そして、前方は蓋をするように完全に盾に塞がれている。そして、魔氷晶の壁の上には突き出た槍が見える。

「な、なに……?」

 チカコは困惑した。

 

「ア、アリサ……」

 観戦に来ていたアルマとヒルデグントは目を点にしている。

「〜〜〜〜〜ッ」

 さらに隣に並んだシエルは頭を抱えて、恥ずかしそうに赤面している。

「ま、まるで磯のヤドカリですわ……」

 マリアナは苦笑いで呟く。

 

 少し離れた場所で見下ろしているレオニートは、それを横目で一笑に付す。

「ふははははっ! 無様だろうとなんだろうと知ったことか。勝てばいいのだ、勝てば!」

「はー、なるほど。あれなら近接戦闘術の技術も必要ないな」

 オレクは呑気に言う。

「ああ、ただ、こちらからは攻撃できないがな」

 ロマンは真顔で言う。

「へっ……?」

 オレクは目を点にする。

「ふん、攻撃する必要はない。それは、まだ後だ」

 レオニートはほくそ笑んでいる。

 

「それが、あなたの奥の手か」

 チカコはアリサの背後でため息を吐くと、身を包んでいた風が止んだ。

「だが、ひとつ勘違いをしている」

 言いながら、再び刀を上段に戻す。そして、刀に渾身の魔力をこめると今まで以上に強靭な風の刃を形成した。

「私の剣術に、斬れないものはない」

 チカコは一歩深く踏み込むと、アリサを囲う魔氷晶の壁を渾身の力で斜めに切り下げる。

「風刃剣術奥義、真空斬しんくうざん……!」

「!?」

 アリサは直前で異変を感じて防御から前へと飛び出る。

 しかし、背後の魔氷晶の上半分が斜めに切れ、ずしりと音を立てて地面に落ちた。

 

「え、ちょっ……! これ降参した方が良くない!? もう防御できないし、本当に死んじゃうよ!?」

 オレクは愕然とした。

 

 チカコは壁を飛び超え、体勢を立て直したばかりのアリサにすかさず縦に切り掛かる。

「もらった!」

 チカコの剣が上から、アリサに一直線に迫って来る。

 

「……いや、今だ!」

 レオニートはかっと目を見開く。

 

 チカコの刀が魔氷晶に覆われた盾に食い込み、盾を貫いた刃がアリサに迫って来る。

(今……!)

 アリサはその瞬間、食い込んだ刀ごと盾を持った腕を思い切り捻った。刀が巻き込まれてチカコの体勢が崩れる。

「なにっ……!?」

 チカコは思わず声を上げる。そして、盾に深く食い込んでいた刀が巻き込まれ、繊細な薄い刃は根本からぼきりと折れた。

「っ!?」

 体勢が崩されたチカコはそのまま転倒し、転がったその体にアリサの訓練用のランスの先端が当たる。

「そこまでだ! 勝負あり!」

 端から見ていたラディクが叫んだ。

「か、勝った……」

 勝ち名乗りを聞くと、アリサはへなへなとその場に座り込む。

「何故……」

 アリサの前で座り込んだまま、チカコは信じられないという顔で呟いた。

 実力の差は明らかであった。普通なら百に一つも負ける筈がない。

 

「ははは、よーし、作戦通りだ!」

 レオニートは声あげて笑いながら手を打った。

「えええええ!? 計算通りなの、これ!?」

 オレクは仰天している。

 レオニートは頷いた。

「……ああ。あの神楽の国の刀という剣は、斬る能力に特化した形状をしている。だが、それ故に刃が薄く、武器自体の耐久性が低い。だから、剣や魔術で勝つよりも、いかにして相手に武装を解除させるかだけを徹底的に考えたのだ。武器を持たない相手に戦闘の技術は必要ないからな」

 チカコが使う剣術の奥義真空斬しんくうざんは、先日、偵察に行った時に目にして知っていた。女生徒の短剣を簡単に切り落としたところを見て、魔氷晶が切られることを悟った。

 ロマンに指示し、魔氷晶の形成と盾の魔氷晶に食い込んだ剣を折るためのタイミングと動き、この二点だけを短い期間でアリサに教え込ませた。

「もちろん、戦闘に絶対はない。生きた敵はこちらの思惑通りに動くものではないからな。それでも、勝てる可能性を百に近づける努力をするのが策士の役割だ」

 説明するレオニートの顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

 ロマンは、隣で生き生きと話す友人を横目に見て表情を緩める。

「……助かった、レオニート。やはり、お前に頼んで正解だった」

「……構わんさ。昔からの友の頼みだ」

 レオニートは、ふっと表情を緩めて横目でロマンを見た。

「それよりも、約束の件を忘れるなよ」

「了解だ」

 ロマンは頷いた。

 

「……私の負けだ」

 勝てる筈の戦いを落としたチカコは悔しさを噛み締めるように、目の前で座りこんだアリサに言う。

「あ、あの……私、ズルしちゃって」

 アリサは言いにくそうに俯く。

「何?」

 チカコは怪訝そうな顔をする。

「今回の戦いは、友達が作戦を立ててくれたの」

 アリサの言葉を呆然と聞いていたチカコは声を張り上げて笑うと、ゆっくり立ち上がった。数ある戦いの中で、これほど愉快な負け方はしたことがない。

 この戦いは、始めから一対一などではなかったのだ。彼女は幾人もの友人と共にこの戦いに臨んでいた。

「……なるほど、それがあなたの『強さ』なのだな」

 優しく微笑んでアリサに手を差し伸べる。

 しかし、アリサは顔を俯けたまま、その手を取ろうとしない。

「大丈夫……。その……安心したら腰が抜けちゃって……今、立てないの」

 アリサは恥ずかしそうに言う。チカコは再び声を上げて笑うと、しゃがみ込んでアリサに肩を貸した。

「敗者に肩を貸される勝者など初めて見たよ。本当に、あなたは面白い人だ」

 

 皇族邸宅。

 皇太子私室のドアをロマンはノックした。

「……入れ」

 皇太子の返事を受けて、ロマンは部屋へと入る。

「レオニート、約束の物だ」

 ロマンは手にした紙の小包を見せる。

「ほう、早かったな」

 レオニートは手を擦り合わせて、待ちかねた様子でそれを受け取った。

 すぐに包みの口を開くと中に手を突っ込んでそれを取り出す。

 手には以前にも食べた例のパン屋の菓子パンがあった。夕食前だと言うのに早速かぶり付いている。

「……うむ、美味い。ロマン、何とかしてあの娘ルフィナをここに料理人として雇えないか?」

 もぐもぐとパンを咀嚼そしゃくしながら、呑気にレオニートは言う。

「それだけは勘弁してくれ……」

 ロマンは苦笑する。

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