第2話 失望

 その頃、ヒルデグントは兵士に連れられ、城の前へと来ていた。連なる巨大な尖塔がこちらを見下ろすようにそびえている。正面の城壁を抜けると、すぐに城の居館の大きな扉が見えた。

 城門から入り口に向かって、石畳の上に赤い絨毯じゅうたんが敷かれていた。その絨毯の両端で兵士たちが各々おのおの武器を前に掲げて敬礼し、列を成している。

 居館へ入ると、最初に声を掛けて来た兵士から召使の男に先導が代わった。

「こちらへ」

 と言う召使に連れられ、延々と奥に向かう赤い絨毯じゅうたんの上を歩いて行く。

 やがて、天井の高い、大きな広間に出た。ここが謁見の間、ということらしい。

 絨毯じゅうたんの端の兵士の列が切れ、今度はいかめしい顔つきの帝国の重鎮らが並んでいる。

 謁見の間の奥、高い位置に玉座があった。そこから冠を戴き、足を組んで座る皇帝陛下が広間を見下ろしていた。

「膝をおつきになりますように」

 先導していた召使の男がヒルデグントに耳打ちし、進み出た。

 深々と一礼すると男は傍へと消えていった。

 ヒルデグントは言われた通り、両膝をついてその場に跪く。

 身体から冷や汗が滲み出るのを感じる。

 震える指で首から下がるペンダントに触れる。

(大丈夫よ。何も、恐れることなんて無いわ)

 と思い返すと少し緊張が和らいだ。

 皇帝は静かに玉座を立ち、階段を下りる。

 一斉に広間に居る全ての家臣たちが片膝をついて首を垂れた。

「皆、面を上げよ」

 静かな広間に、皇帝の厳粛な声が響いた。

 家臣たちはまた一斉に顔を上げると、立ち上がって直立した。

 こういう作法らしい。

「そなたもだ」

 広間に下りた皇帝は、顔を俯けたままのヒルデグントに言った。

 跪いたまま、顔だけを上げる。

 皇帝はこちらを見下ろし、ヒルデグントはそれを見つめ返した。

 帝国を収める皇帝と言えば、氷のように冷たい目をしていると思っていたが、意外にもその瞳の奥には優しさが見て取れる。

 少なくとも、ヒルデグントの家の養父よりは遥かに穏やかな表情だった。

 そして、その表情の中に僅かに憐れみの感情が見てとれた。

「あの男も奇妙な提案を思いつくものよ」

 皇帝は微笑を浮かべると言う。

 あの男、とはヒルデグントの故国ヴァナヘイム共和国の諸侯の一人でヒルデグントの養父、ローデンバルト氏である。

 この帝国とヒルデグントの故国ヴァナヘイム共和国は、五十年に渡り戦争を続けて来たが、十七年ほど前に両国内で内乱が発生し、情勢が不安定となったことを背景として停戦協定が交わされた。

 ヒルデグントの養父、ローデンバルト氏は冷酷で計算高い男だった。

 帝国は一足先に内乱を沈静化し、いつでも戦争を再開できるが、共和国では現在もまだ内乱が各地に根深く燻っている。

 そこで、敵国であった帝国と信頼関係を構築する策の一つとして、ヒルデグントは売られたのである。

 形式上、この皇帝の息子、皇太子の「婚約者」としてヒルデグントはここへ来た。

 しかし、元敵国の得体の知れない娘をおいそれと迎え入れるほどこの皇帝も甘くはない。

「伝え聞いておるかは知らぬが、我から婚約者としてそなたを皇太子に取り次ぐことはせぬ。だが……」

 とヒルデグントの目の前に立つ皇帝は言葉を継ぐ。

「折角の好意の証であるそなたを無碍に追い返すのも心苦しい。そこでそなたを我が客人として帝都士官学校の生徒として迎えよう。その間、我が親族の暮らす邸宅に住まうが良い」

 皇帝は厳粛な表情を崩さないまま、片目をぱちりとウインクさせた。どうやらチャンスをやる、ということらしい。

 皇太子と同じ邸宅に寝泊まり出来るということはそれだけ機会も増える。

 皇帝は先ほど傍に退いた召使の男に目を遣ると、手招きする。

 召使の男は皇帝の意図を読み取り丁重に頭を下げると、そのまま絨毯じゅうたんの上へと進み出てヒルデグントの側まで来る。

「お立ちください」

 ヒルデグントは召使の男に言われ、ゆっくりと立ち上がった。

 気がつくと皇帝は既に背を向けていた。

「そなたも、苦労するであろう」

 最後に皇帝は肩を震わせてくっくと笑うと、そのまま玉座へと戻って行った。

 ヒルデグントは怪訝そうにその背中を見つめていたが、やがて、

「さ、こちらへ」

 と召使の男に腕を引かれたので、それに従って退出した。

 

 翌日早朝、皇太子の従者であるロマンは、再び師匠ことラディク・ポドホルカの元を訪れていた。

 無論、昨日の皇太子逃亡未遂の一件を報告するためだった。

「あいつ、また逃げようとしたらしいな」

 ラディクは呑気に笑いながら芝の上に腰を下ろして胡座あぐらをかいた。

 彼の視線の先には、台地の下に広がる街と、草原、そしてこの大陸に横たわる巨大な山脈がある。

 余談だが、彼はあの山脈のどこかにある麓の村で育ったらしい。

 それが、師、ラディクがこの場所を好む理由だった。

「これまで何度も、心を尽くして説得をして来ました。しかし、これ以上どうしたらいいのか……」

 報告を済ませると、ロマンは重い表情で顔を俯けた。

「お前が弱音を吐くとは珍しいな」

 一方の師、ラディクには重い表情は微塵もなく、むしろ呑気に景色を楽しんでいるふしさえある。

「……そう言えば、お前、よくあいつとボードゲームをしてたよな。勝敗の数は覚えてるか?」

「は……?」

 思いがけない問いに、ロマンはつい間の抜けた返事をしてしまう。

 レオニート皇太子は、流行っていない巷のボードゲームを買って来てはルールを覚えながら対局するのが好きだった。

 ロマンは常にその相手をさせられていた。

 意図はよく分からないが、その勝敗に何かの意味があるのかと考え、思い出す。

「確か……一〇三一戦、一九七勝、八二六敗、八分けだったかと」

「おいおい、本当に数まで覚えてんのかよ……。覚えてないだろ、普通。勝ち負けどっちが多かったかで良いんだよ」

 ラディクは苦笑した。

「ラディク様、俺は真剣に……」

「お前はいつもお堅すぎんのよ。ちっとは肩の力を抜いて考えろ」

 前のめりになったロマンをなだめるようにラディクは言う。

「何をです?」

「お前だって機転は利く方だが、そんだけ負けてるんだ」

 彼はたまにロマンと皇太子の対局を楽しそうに眺めている時があった。

「あいつは目的のためには用意を周到にする奴だ。本当に逃げる気なら、誰にも知られずに姿を消せる筈だろ」

 師匠の言葉にロマンは口を閉ざした。

 確かに、盤上の皇太子の計算高さに毎回驚かされていた。

 しかし、その皇太子の逃亡計画はいつも行き当たりばったりである。

「あいつ自身も苦しんでるんだろうよ」

 ラディクは微笑を浮かべながら、顎先に伸びた髭の束を指先でねじる。

「皇帝になるもならねぇも、結局はあいつの決めることだ。代わりは幾らでも居るからな。だが……」

 と続ける。ロマンが顔を上げると師の顔からは笑顔が消えて、力の籠った視線がこちらに向いていた。

「お前の役目は、どんな時も先に立ってヤツの進む道を切り開き、迷いを晴らしてやることだ。それが、ヤツの従者としての役割……」

 ラディクはふと目を細めて見上げる。弟子の背後には、高くそびえる城の尖塔がある。かつて、彼がそうしたように目の前の若者もまた、その剣でこの国の未来を築くことを思い描いている。

「……俺がお前をここまで鍛えたのは、その為さ」

 ラディクは視線を下ろし、再び微笑を湛えると、ロマンの肩を軽く叩いた。

「師匠!」

 背後から女の声がした。ロマンは声の方を見る。

「誰です?」

 女を見ながら、ロマンはラディクに聞く。

「あぁ、しまった。お前にはまだ紹介してなかったな」

 彼は苦い顔で頭を掻く。

「呼んだ?」

 長い金髪を後ろに一本で結んだその女は、両手に腰を当てて笑みを浮かべる。いかにも自信家という雰囲気がある。年のほどはロマンとそれほど変わらないように見える。紫基調の染めを施した布鎧ギャンベゾンにマントを羽織っているところからして、ラディクの指揮する帝国軍の精鋭「魔神部隊」の兵士のようだ。

「……なんだ、その髪は」

 しかし、ロマンは顔をしかめて女の頭を指差す。

「え?」

 女は少し不思議そうな顔をした後に

「ああ、これメッシュのこと?」

 と前髪の一部に入った紫色の毛束をつまみ上げる。

「ああ、ちゃんと髪を洗ってから出直して来い」

 ロマンは真顔で言う。隣でラディクは頭を抱えている。

「汚れじゃない! ファッションだよ!!!」

 女は怒鳴った後、苛々ため息を吐くとラディクを見る。

「はぁ……師匠。これが噂の愛弟子? 随分生意気じゃん」

 女は目を尖らせてロマンの顔をまじまじと覗き込む。

「まぁ、そう言うな。これからは俺の手をかけた弟子同士、協力してもらいたい。現皇帝への反乱がまた再燃するかもしれんタイミングだからな」

 ラディクは呆れ顔で俯く。苦悩がまた一つ、彼の眉間に深くしわを刻んでいる。

「反乱……?」

 ロマンの目つきが変わる。

「それは本当ですか!? だとすれば俺が……」

「……まぁ待てロマン、先に紹介する。リヴだ。雷鳴グローム隊の隊長兼、お前の後釜だ」

 雷鳴グローム隊はラディクが指導、指揮する帝国の屈指の精鋭部隊、通称「魔神部隊」の一角である。彼女の着用する紫の布鎧ギャンベゾン雷鳴グローム隊を象徴するユニフォームでもある。


「お前には皇太子の護衛以外にも裏で色々と仕事をしてもらっていたが、今後、お前は学生となって皇太子の面倒を見ることに専念してもらう。そこで……」

 ラディクはリヴに目を向ける。

「今までの仕事はこのリヴに引き継いでもらうことにした。腕は一流だが、何かあればお前も手を貸してやって欲しい」

 ロマンも目の前の女に視線を向ける。リヴは腰に手を当てたまま目元を笑わせず、口の端だけを気持ちばかり緩める。まだ少々ご立腹らしい。

「……というワケ。よろしくね。師匠の弟子としてはあんたより短いけど、これでも帝都士官学校の第一二四期卒業生。あんたより二期先に卒業した先輩だよ」

 リヴの言葉にロマンは疑問を持ったらしく、真顔で「ん?」と首を傾げる。

「仕事の上では俺の方が長いのだから、俺が先輩ではないのか?」

 これが、彼の融通の利かないところである。

「……師匠、コイツやっちゃっていい?」

「おい、お前ら、協力しろと言ってるだろ……」

 ラディクはため息混じりに言う。

 

 数時間後。帝都士官学校、校舎。

 先日、生徒たちが集まっていた門前の広場。その門を抜けると大きな庭園が広がっており、その奥に湖がある。その湖の中央に島が浮かんでおり、帝都士官学校の校舎がその上にたたずんでいる。

 庭園を抜けて湖のほとりに沿って歩いて行くと、湖の側面から校舎に向かって渡り通路が伸びており、ここを通って湖を渡る。

 帝都士官学校の第一二六期生三百名。

 生徒の募集は二年に一度行われ、年齢や身分に制限はない。才覚さえあれば誰でも入学することができる。

 生徒たちが士官学校校舎の一階、広い講義室に集められた。これから帝都士官学校で最初の試験が行われる。実際の修練に入る前に現時点での実力を測るためである。

 教壇から扇形に広がる大きな講義室には五人が間隔を空けて座れるほどの長机が幾つも備え付けられている。部屋は教壇に向かうごとになだらかに下がって行く構造で、教師からは全ての生徒の様子が見える。

 

 その講義室の一角に妙な光景があった。生徒たちは一人の少女を見ながら何かささやきあっている。その少女は小さな背中を丸め、机に伏していた。

 ルフィナ・フロリーク。帝国の端、田舎の生まれで、努力の末に何とか帝都士官学校への入学にこぎ着けた。

 ルフィナは雨天訓練用のフード付きの外套がいとうを晴天の今日、室内にも関わらず着用している。

 帝都士官学校の教育費はすべて国費でまかなわれるが、教材や制服などは自費で揃える必要がある。目が飛び出るほどの高額、ではないが、帝国随一の教育機関ということでそれなりの金額にはなる。

 教材を買い揃えたところで手持ちが尽きたルフィナは、一番高価な制服のコートが買えなかったらしい。外套がいとうで誤魔化していたのだが、さすがに室内では浮いてしまう。

(どうしよう、すっごい見られてる……)

 丸めた背中に、周囲の生徒たちの視線が痛いほど刺さるのを感じた。

(だって、住み込みで働いてやっと帝都で生活してるのにあんな高い制服とか買えるわけないじゃない!)

 べそをかきながら、心の中で叫んでいると、背後から一人の男子生徒の笑い声が聞こえた。

「はははっ! 見ろロマン! 面白いヤツが居るぞ!」

 その無神経さに怒りのたがが外れたルフィナは勢いよく席を立ち上がった。

 小さな肩を怒らせながら、笑った男子生徒にずんずんと歩み寄って行く。

「ちょっと、アンタ!」

 小柄なルフィナは男子生徒を見上げ、人差し指を眼前に突きつける。笑った男子生徒は、驚いた顔で呆然とルフィナを見ていた。

「見た目で人を判断するなんて何て失礼なヤツなの!? 一体どこの家の……」

 そこまで言いかけて異変に気が付いた。

 広い講義室が静まり返っている。周囲を見ると全員が蒼白の顔面をこちらに向けていた。

「……レオニート、悪目立ちするような言動は控えた方が良い」

 隣の長身の男子生徒がやや身を屈めて周囲に聞こえないように耳打ちした。

 室内の冷えた空気にバツが悪くなって、レオニートと呼ばれた男子生徒は舌打ちした。

「まったく、窮屈だな……。行くぞ、ロマン」

 とレオニートは長身の男子生徒を従えて講義室を出た。

 

 レオニート皇太子がこの士官学校に入学してくることは帝国民にも広く伝えられていた。

 帝都士官学校に居る生徒の誰もが知っている。

 このルフィナも例外ではない。

 自分の席に静かに戻ると、ルフィナはまた先ほどと同じように体を丸めてうずくまった。

 しかし、彼女の身体は同じ机に座る別の生徒が気付くほどガタガタと震えている。

(今の、レオニート皇太子……? お、終わった……。苦労して帝都士官学校に入学したのに、お母さんごめんなさい)

 

 何はともあれ、間もなく試験が始まる。

 

 一つ目は学問。

 生徒は帝都士官学校の礎となる教科である戦術学、政治・経済学、魔術学、三科目の記述式試験を受ける。

 ヒルデグントは重々しいため息を吐き、係員に記述用紙を手渡した。

 振り返って旧友のアルマの方を向く。

「最後のあたりの設問がほとんど分からなかったわ」

「あはは、難しかったよね。魔術の応用力学なんて普通のアカデミーじゃ勉強もしないのに」

 アルマは笑いながら肩をすくめて見せる。

 ところが彼女は、故国ヴァナヘイム共和国では魔術学の分野で革新的な論文を書き上げるほどの頭脳の持ち主である。

「お願いアルマ! 覚えてる部分だけでも答え合わせに付き合ってくれないかしら? 早めに成績を予想しておきたくて……」

 ヒルデグントの言葉に、アルマは得意げに笑顔を浮かべて、大きなふちの眼鏡を掛けなおした。

「もちろん! 全部答えれるよ」

 二人はその場で答え合わせを開始した。


(ぜ、全然違う……)

 その答え合わせする声が聞こえて来る度に、近くに座っているアリサの血の気が引いて行く。

 姉のシエルは離れた席からその様子を呆れた顔で眺めている。


 記述式テストが終了すると、生徒たちは、校舎とは別の場所にある訓練場へと移動させられた。

 訓練場は帝都士官学校の敷地の端にある。ここは台地の端でもあり、その向こうには今朝、ロマンが師匠と語らっていた時に見ているのと同じ帝国の壮観が広がっている。ラディクが普段詰めている講師の居住区も近くにある。

 訓練場の端には木の人形、魔術、弓術用の円形の的がずらりと配置されており、その背後は背の高い石垣が積み上げられている。

 

 二つ目の試験は魔術。

 現段階での魔術の習得状況を見るために生徒たちに円形の的に向かって得意の魔術を放つ。

 ここからは教師がその場で評価を決めるために立ち会う。

 立ち会う教師はラディク・ポドホルカと彼の指揮する精鋭「魔神部隊」の一角、大河ヴォルガ隊の隊長、スティナ・エクステットが務めた。

 青を基調とした布鎧ギャンベゾンの制服に身を包んだ女隊長は金色の髪に青い瞳、歳のほどは二十台前半、肉感的な身体にやや厚みのある唇が、年齢以上の艶めかしさを引き立たせている。

「えっ!? 魔神部隊にあんな美人隊長さん居んの!?」

 訓練場ではさっそく、オレクが目を輝かせていた。

「ああ。水の魔術を得意とする大河ヴォルガ隊の隊長、スティナさんだ」

 ロマンは答えながらも、視線は試験を受ける皇太子の方から離さない。

「え? 俺の家系も水の魔術が得意だけど、俺、ここを卒業したらもしかして……」

 と考え込んだオレクは何かに気が付くと「ハハハッ!」と高笑いした。

「こいつは気合入れていかねぇとなァ!!!」

「お前の脳みそは単純で良いな」

 ロマンは呆れた顔をする。

 

(アルマ・フォルバッハ。あら、留学生の子ね)

 試験官のスティナはリストに視線を落として、次の生徒の情報を確認する。

「始めて良いわよ〜」

 と手を振って合図をすると、アルマが手のひらを円形の的に向け、紫電を放ち円形の中心を正確に打ち抜いた。その鋭い雷撃で円の標的が真っ二つに割れて地面に落ちた。

「あらあら、上手じゃない」

 スティナは手を叩きながら、おっとりとした笑顔で言う。

「あ、ありがとうございます」

 アルマは不思議そうな顔をしながら下がった。この臨時教師は帝都士官学校の厳めしい雰囲気とはかけ離れていた。

「おい、スティナ、評価に関わることを生徒に口外するんじゃねぇよ」

 背後から渋い顔のラディクが現れた。

「すいません。生徒のみんなが可愛いからつい~」

 スティナは満面の笑みをラディクに向ける。

 ラディクは彼女の実力を買って隊長格へと選任したわけだが、彼女の性格については正直苦手なところもある。

「はぁ、良いから生徒と余分な会話をせず評価をつけることに集中しろ」

 ラディクは言う。

「……先生、僕の番はまだかな?」

 二人が話し込んでいて進行が遅れてしまい、次の生徒が急かした。

「あら、ごめんなさい。始めて良いわよ」

 スティナは微笑みを返した後、リストに一瞬目を落とす。

 ルカーシュ・チェルベンカ。

 名前を心の中で読み上げると同時に凄まじい破裂音がした。

 目を上げると、標的が木っ端みじんになって地面に散らばっていた。

「あら?」

 スティナはきょとんと首を傾げる。

「ちゃんと見とけよ!」

 という声と共に後頭部にラディクのチョップが入る。

「はぁ……。ったく、今のは最高評価にしておけ。あの小僧、下級魔術で的を木っ端みじんにしやがった。相当な練度だ」

 ラディクは自分の仕事に戻るらしく背を向けて離れていく。

「ちゃんと評価しろよ!」

 最後に一度振り返ると、念を押すように言い残して行った。

「はぁい、団長」

 返事をしてラディクの背中に手を振ると、視線を次の生徒の方へと移した。

「アリサちゃんね。それじゃ、始めて良いわよ」

 リストを確認し、生徒の名前を呼んだ後、微笑で合図する。

「は、はい……」

 生徒は消え入りそうな声で返事をした。

 そして、手のひらを円形の標的に向けてかざす。

 実はこの女子生徒の名前を見てから、スティナの目つきが変わっている。

 ブランドード。

 姉のシエル・ブランドードは異国の出身ながら、帝都士官学校の付属にあたるアカデミーで彼女の後輩たちを押し退けて主席の座に座り続けた。

(どの程度の腕前かしら)

 と目を細めて女子生徒を睨んでいる。

 しかし、その女子生徒は静止したまま動かない。

(やけに長いわね。一体どんな大技を……あら?)

 何かに気が付いてスティナは目を凝らす。

 女子生徒が標的に向かってかざした手のひらから、微かに煙が上がっているのが見えた。

 魔術は既に発動されていた。

 アリサ・ブランドードの気まずそうな視線がこちらに向いていた。

 スティナは優しく微笑みを返すとリストに最低評価をつけた。

「はい、次。始めて良いわよ~」

 スティナは進行を急いだ。

 

 三つ目は近接戦闘。

 採点は近接戦闘を得意とする魔神部隊の一角、赤の制服、炎火プラーミア隊の隊長、エドガー・ベックストレームと同隊から来た三名が務めた。


年齢二十台後半の隊長、エドガーは髪を短く切り揃え、いかにも軍人らしい精悍せいかんな顔つきである。

 近接戦闘の試験は至ってシンプルで、正規軍の兵士と一対一の戦闘訓練を行い、その内容を評価する。

 訓練場全体を使って広い場所で複数の戦闘が同時進行するため、炎火プラーミア隊からエドガーが選んだ三名に評価の補助を頼んだ。


 周囲を囲む生徒の中から、変わった木の曲刀を携えた少女が進み出て頭を下げる。

 チカコ・オオウノミヤツカサ。この大陸と反対の南半球側にある神楽の国出身で、公務を司る家系の娘だと言う。

 故国の方では姫君と呼ばれていると聞くが、戦いに慣れているのだろうか。帝国の内乱を戦って来た実戦経験豊富なの兵士を目の前にして物怖じする様子もない。

 互いに訓練用の木剣を構える。

「よし、始め!」

 立ち止まったエドガーは開始の合図をした。

「いざ、尋常に……」

 チカコは呟くと、身を低く沈める。

 素早く距離を縮めたかと思うと、低い姿勢のまま、木の剣で足払いを仕掛けるべく振りかぶる。帝国の兵士が後ろに飛び退こうと脚を踏ん張った瞬間に、チカコは剣をぴたりと止めて即座に追撃する。飛び退いて態勢が整う前にさらに左から、右から素早く体の側面を狙った斬撃を浴びせかける。

「ぐっ、おっ……!」

 帝国の兵士は辛くも受け流すが、一撃ごとに受け止める位置が身体に近づいていく。

「そこまでだ!」

 勝敗は明らかと見たエドガーはそこで止める。リストに最高評価をつけ、さらに特記すべき事項を走り書きする。

 続いて同国出身のアキト・オオサノミヤツカサが進み出る。

 訓練用の槍を手にしていた。不思議なことに背中にさらに二本同じ槍を背負っている。

「訓練用に十字槍はないのか。まぁいい……」

 などと独りごちりながら、兵士に会釈をして武器を構える。

「よし、始め!」

 とエドガーが開始を宣言すると同時にアキトは槍を大きく振り上げると、渾身の力で縦に一直線に振り下ろす。空気を引き裂く凄まじい音が鳴り、帝国兵が受け止めようと横に構えた剣の防御を易々とへし折った。

 帝国兵の武器をへし折って通過した槍は、衝撃でひびが入っている。

「ちっ、なまくらが……」

 アキトは顔をしかめてその槍を横に投げ捨てると、背負った槍に手を回す。

 彼は構え直したが、武器を破壊され、立ち向かう術を失った帝国兵は完全に戦意喪失していた。

「ま、参った……」

 と言いながら帝国兵は引き下がった。

 慌てて代わりの兵士が出て来る。

「良くやった。下がっていいぞ」

 エドガーが言うと、アキトは長身の体躯をゆっくりと傾斜させて一礼すると、生徒の群れの中に戻っていった。彼の向かう先に居た生徒たちは空恐ろしげに自ら道を開いていく。

(一方的に実戦を経験した帝国兵を打ち破るとはな。一体、神楽の国ではどんな教育をしているんだ? 興味深い……)

 エドガーは思考しながら評価と備考を手元のリストへと書き入れていく。

「よし、次だ!」

 エドガーは叫びながら、リストの次に目を遣る。

「ブランドード……」

 思わず口をついて出ていた。実際に見たことはないが、彼も話には聞いていた。

 槍を手にした少女が進み出て来る。

(これは、楽しみだ)

 エドガーは心中でほくそ笑む。皮肉ではなく、一人の兵士として興味をそそられた。

「始め!」

 エドガーは宣言する。

 

 全ての試験が終わった後、ラディクは片付けがてらに静かになった訓練場を訪れると、熱心にリストに評価を記入しているエドガーの後ろ姿を見つけた。

「よぉ、エドガー。こりゃあ、すごいな」

 ラディクはエドガーの後ろからリストを覗き込んで言う。

「!? ラディク団長! お疲れ様です!」

 エドガーは慌てて手を止めて振り返ると、背筋を伸ばして敬礼した。

「ったく、後で目を通すヤツのことも考えろよな」

 とラディクは彼の小脇に抱えたリストを見る。

 評価とは別に細かい文字がびっしりと余白部分に書き込まれている。ちなみに「後で目を通すヤツ」というのは他でもないラディクのことだ。

「も、申し訳ありません! つい気に留まったことを書き込んでしまい……」

「まぁ、いいさ。ところで気になった奴は居たか?」

「はい、神楽の国から来た二人はかなりの腕前でした」

「皇太子はどうだ?」

 ラディクは聞く。

 いくら皇太子であっても、世界中から注目されている帝都士官学校の評価基準を操作することは許されない。

 もちろんラディクもその気は毛頭ない。もし、ここでエドガーが歯牙にも掛けない程度の評価なのであれば、皇帝にすることは出来ないとすら思っている。

 ただ、

(こんなことを聞くのも親バカなのかも知れんがな)

 とラディクは心の中で自分を笑いながら、聞かずには居られない。

「ええ、最高評価とは行きませんでしたが、まだ先は長いことを考えると十分な成績かと」

 エドガーは言う。

「まぁ、あいつは剣が苦手だからな」

 ラディクは考えるときの癖で、腕を組みながら顎先にたくわえた髭の束を指で弄ぶ。

 そして、何か思い出したように話題を変えた。

「……ああ、そう言えば。ラヴァンディエ王国のブランドード家の娘が来ていたな。そっちはどうだった?」

 聞かれてエドガーは気まずそうな顔をした。

「……武器をはたき落されて一瞬で負けました」

「何……? そんなはずがないだろう。アカデミーじゃ、帝国の全学生よりも優秀だったんだぞ」

「いいえ、確かに……」

「リストを見せてみろ」

 とラディクは手を伸ばす。エドガーはリストを手渡した。

「……やはりな」

 ラディクはリストに目を走らせるとため息を吐いた。

「よく見ろ。こいつは妹だ。アリサ・ブランドード。優秀なのは姉のシエル・ブランドードの方だよ」

「ああ、なるほど姉妹だったのですね! おかしいと思いました。しかし、姉妹でここまでの差があるとは……」

 エドガーの言葉にラディクは苦い顔で深く頷く。

「確かにな。こりゃあ、可哀そうに」

 

 その日の夕方には校舎に入った一階の正面玄関の掲示板に、全生徒の現在の評価と順位が張り出された。

 掲示板に紙が留められると自分の順位を確認するために生徒たちが群がって来た。歓喜に沸くものも居れば、上位とのあまりの実力差に絶望に打ちひしがれるものも居る。

 様々な感情が渦巻くその場所に、アリサ・ブランドードは恐々としながら入って行く。

 周囲の生徒たちはアリサの姿を見た途端に可笑しそうに笑い始めた。

 掲示板の前に行き、自分の順位を確認し、予想通りの結果に表情が曇る。アリサは逃げるようにその場を離れた。

 庭園へと出たアリサはベンチに座り、場違いな所に来てしまったと落ち込んでいると

「……見つけたわよ、アリサ」

 と怒りに震える声が聞こえた。

 声の方を向くと姉のシエルが顔を真っ赤にしてそこに立っていた。

 

 どっぷりと日も暮れた訓練場に、木の武器がぶつかる音が響いている。

 日中の修練が終わった後も訓練場は開放されており、生徒は自主的に鍛錬を行うことができる。

 訓練場の周囲には近年帝国で採用されている魔力灯がいくつも配置されていた。訓練場はそれらが放つ白色の炎の灯りに照らされているため、夜でも訓練をすることはできる。

 しかし、これほど遅くまで残る生徒も珍しく、訓練場には二人の影があるだけである。

「お父様に教わったでしょう? 返しはこうよ」

 シエルはアリサに攻撃の受け流し方について実際に見せて教える。

 アリサの息は上がっていた。武器を持つ手の甲の上は赤く腫れあがっている。服で隠れて見えないが、腕もところどころ腫れ上がって痛んでいた。武器の返しをミスすると、シエルの手にした木剣が容赦なくアリサを襲った。

 訓練用の槍が鉛のように重く感じられた。

「良い? 続けるわよ」

 休息する間もなく、シエルが武器を構え直して踏み込んで来た。

 踏み込むと同時にアリサが前に伸ばしたままの槍を木剣でいとも簡単に弾くと、強烈な突きを繰り出した。

 アリサは弾かれた槍を縦に構えて何とかその突きを横へと弾く。

 シエルは弾かれた勢いを利用して反転し、今度は逆側から襲い掛かる。

 辛うじて槍を反対側へと移動させて受けるが、もはや腕に受け止めるだけの力が無かった。シエルの剣撃の勢いに負けて槍が持っていかれ、身体が流れる。

 がら空きになった脇腹に容赦なくシエルの木剣が叩きつけられた。

「っ……!?」

 アリサは、咳き込みながら、あまりの苦しみに膝から崩れて地面にうずくまる。

 上からシエルの深い嘆息が聞こえた。

「……少し、休憩にしましょう」

 と、言うとシエルはアリサの傍を抜けて訓練場を出て行った。

 

 次第に呼吸が整って来ると、うずくまっていたアリサはゆっくりと身体を起こした。

 自分がこうして人を失望させるのには慣れている。

 アリサは手の甲に赤くふっくらと腫れ上がった部分に触れた。ひりひりと焼けるような痛みがする。

(しばらく、沁みるだろうな……)

 ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

 この痛みも、我慢すればやがては消え去る。

 自分が我慢をすればいい。

 

 外で何があっても、両親はアリサを温かく迎えてくれた。

「お前は強い子だ」

 と父はよく褒めてくれた。

 そして、また力が沸いたことを覚えている。

 しかし、父の居る家は、海を超えた遥か遠くにある。

 思わずため息を吐く。

 

「距離が悪い」

 突然、シエルとは別の声がした。アリサは驚いて顔を上げる。

 訓練場にいつの間にか一人の男子生徒が居た。

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