災厄級の怪物
“アレマグ”と呼ばれるモンスターがいた。
元々はとある地方に出没するウミガメに似た姿をしたモンスターで、その名は最初に発見した旅人の名前をもじったものだと云われている。サイズは個体によってまちまちだが、その多くはウミガメが多少大きくなった程度である。
だが、中には尋常ならざる進化を遂げた変異体が存在しており、とある地方では出会ったら最後と海で暮らす者達の間で噂されていた。
ウミガメに似た姿は変わらない。ただ、そのサイズが異常なのだ。
後にカタス・アレマグと呼称されるようになるそのモンスターを他のアレマグと見分けるのは非常に容易だ。だというのに初めてカタス・アレマグと遭遇した船乗りや冒険者は、すぐに海に飲み込まれるとされる。
それは何故か。
答えは、海に浮かぶ小島だと思って上陸した場所こそが、カタス・アレマグだからだ。小島と見間違えるほどに巨大なモンスター、それが彼の災害の証だった。
ブレイドフィッシャーの群れから逃げていたマーメイド達を治療にあたっていたアルサーは、彼らの情報に耳を疑った。
カタス・アレマグについては詳しくはなくとも知ってはいた。ただそのモンスターが生息している海は、彼女が暮らしている海よりも遥かに遠い南方の海だ。本来、サンゴの街近辺に居るようなモンスターではないのである。
「……間違いないんだね?」
傷つき疲れて横になっているマーメイドの若者に、念を押すように尋ねる。
彼はハッキリと頷いた。
そもそも彼らはサンゴの街に住んでいる者ではなく、別の住処で暮らす部族のマーメイド。少なからず交流のあったその部族の一員が、ほんの数人でサンゴの街まで来たのは親愛なる街の住人に迫る危機を伝えるためだったのである。
そこに疑いの余地はない。
「……ありがとう」
ウミのマジョが、最大限の労いと感謝の言葉をかけると若者は目を閉じた。ゆっくり休んでさえいれば傷も癒えるだろう。あとは手近なものに任せて、アルサーはアルサーでやらねばならない事が出来た。
数日後にはサンゴの街に来てしまうモンスターの群れの対処。
おそらくは大嵐の影響で移動してきたと思われる相手は海のモンスター達。ブレイドフィッシャーはその一部に過ぎず、獰猛なモンスターがうようよいるに違いない。さらにその後ろには、そのモンスター達すら可愛く見えるようなカタス・アレマグのお出ましとくる。
アルサーはこれまでに対面したことのないレベルの危機に、頭を悩ませた。
もし彼女が一人であれば、孤独に暮らしているような孤高の女であれば逃げるだけで済む。モンスターが到達する前に、別の土地へと行けばいい。地上にでも行ってしまえば海のモンスターは絶対に追っては来れない。
だが、それは不可能だ。
救護室代わりの部屋を後にしたアルサーの視界に、平和に暮らす子供達の姿が映る。ずっと大事に見守ってきた、愛すべき同居人。普通の人間ではなくなってからは各地を転々としてきたアルサーを孤独から救った大切な人達。
逃げるならば彼らも一緒でなければならない。
しかし、人間のアルサーとは違って、マーメイドはすんなりと地上で暮らせるはずもない。そこに立ちはだかる壁は人間が海中で暮らせるようになるのと同じぐらい高苦、さぞかし長い時間が必要とするだろう。
災害が到達する前での予測時間は数日。
長く見積もっても一週間未満。
とても足りるものではない。
ならば、どうすべきか。
「ふふふっ」
マジョの答えは、とっくのとうに決まっていた
その覚悟も。
ゆえに彼女は、サンゴの街で暮らす住人達へ必要な情報だけを伝えたのだ。
――自分の手で、家を守るために。
◆◆◆
災害たるカタス・アレマグは海面近くを移動していた。
その進みは傍から見ればとても遅いように見えるが、小島と見間違えそうなウミガメに似た巨体の一進みは印象よりもずっと大きい。
悠々と進む姿は偉大な王の様相。
時折爛々と輝く赤い目は、本能によって獲物を求めて徘徊するモンスターのソレだ。
彼の周囲には大小色とりどりの海の魔物が何匹も何十匹も何百匹もついて回っている。訓練された軍勢のようでもあるが、統制が取れているわけでもない。ゆうなれば彼らは王のお零れに預かろうとついていくだけの供だ。
彼らは獲物を見つければ一斉に襲い掛かるだろう。自身の本能から来る欲望を満たすために。
今までと同じように。
船を沈める。集落を襲う。呑み込まれた住処は形を変え、地図から消失するのだ。
そんな暴力の塊が進む進路上にあるのが、マーメイド達の都だった。
カタス・アレマグが身体を揺らして、海中へと潜っていく。背の甲羅に突き立つように生えた黒紫の水晶が沈みきると、大きなうねりによって海が渦巻いた。
普段その海域に住まう魚やイルカは居らず、しんとした海中で進路を妨げる邪魔者などいやしない。災害から逃れるためにはさっさと逃げるのが当然だから。
だからこそ、逃げ遅れた一匹のイルカはひどく目立った。
小魚に似たモンスター数匹が哀れな獲物を最初に見つけて、獰猛な牙をちらつかせる。我先にとイルカに攻撃しようとする彼らが、素早い泳ぎで距離を詰めていく。
その結果。水で形成された槍が、彼らを刺し貫いた。
我先にと獲物へ近づこうとしたモンスターの集団が、いつの間にか出現していた敵対者に身構える。
「ようこそ大嫌いなモンスター諸君。でもね、生憎お呼びじゃないんだよ」
敵対者――アルサーからその一言が発せられた直後、荒れ狂う魔法の稲光が疾(はし)った。
かざした掌に反応して、無数の魔法陣から生まれ出た稲妻は生き物のようにジグザグに動き連鎖して、次々とモンスター達を捉える。
一気に数十匹を超える集団を焼き、仕留め、それぞれの線が繋がり、いくつもの点は大きな檻を作り出していくようにまとまっていき。
「――それじゃあ、さようなら」
最後の仕上げにアルサーが青い水晶の杖を掲げると、一際眩い閃光が生まれて、檻が大爆発を起こした。
その威力は凄まじく、近くの岩礁を消し飛ばしながら周辺を荒れさせる。離れた場所にいたアルサーが魔法の余波でダメージを負わないために障壁を張る必要があった程だ。
「……ふぅー、思ったより景気のいい一発になったね」
最近は使う機会がなかった広範囲攻撃魔法。
時と場所を考えて使わなければ味方を巻き込みかねないが、単独で先行したアルサーがモンスターの群れに発動させる分には最高に使い勝手がいい。
『取りこぼした連中は任せたよ、あんた達』
魔法の念話で後方にいる伝達係に指示を飛ばしながら、アルサーは再び広域攻撃魔法を放つ。街へ近づこうとするモンスターを、可能な限り殲滅するために。
一発。
二発。
三発。
多少腕がたつ魔法使い程度ならとっくのとうに魔力切れになってもおかしくない魔力を消費して、敵の数を減らしていく。
それでもアルサーの表情には余裕が感じられた。数百年以上の長い時を生きてきた彼女が内包する魔力は、只人とは文字通り桁が違うのだ。
ウミのマジョの異名が飾りではない事を、彼女自身がその手で証明していく。
続けて放った高威力魔法の弾幕に、雑魚モンスターはひとたまりも無かった。
「ほらほら、さっさと尻尾巻いて逃げ出しな!」
高笑いの声を上げながら一人でモンスターを倒していくアルサーに対して、後方に控えていたマーメイド達から歓声が上がった。
なんとか魔法から逃れた魔物も、取りこぼしに備えていた戦士達が放った海魔の槍でしっかり仕留めていく。
戦況は優勢。
このまま戦線を維持できれば、いつかは勝てる勝負。
普通ならそう感じるのがおかしくない状態。そのはずなのに。
アルサーは臨戦態勢をまったく解かなかった。
「これで終わってくれれば話しが早いんだが」
やれやれと嘆息するマジョ。
その溜息が間違っていなかったことはすぐに分かった。
最も仕留めたかった相手――カタス・アレマグが、モンスターの亡骸で濁った海の向こうからヌッとその巨体を露わにしてきたからだ。
「ちったあビビッてもいいんじゃないかい? おっきな親玉さん」
自身よりも遥かに巨大な海の怪物を前にして、マジョに逃げるそぶりなど無く、その佇まいは相手の意識を自身に引き付けようとしているかの如く。
そんなアルサーの姿を確認したマーメイドの一人は、迎撃が始まったことを、その状況を、魔法を使って都に伝えていた。
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