第5話 ミサ、聖剣と語る

「じゃあ、陛下が戻ってくるまでここで待っててね」


「……殿下は?」


「ん、お仕事」


 ルーサーは人懐っこい笑みを浮かべると、立ち上がり早足で部屋を出ていく。

 ……どうしようかしら。

 待機だ。命じられた訳では無いが勝手に動くことは出来ない。

 何もわからないまま状況だけが前を進み、肝心の心が置いていかれている。ミサの気持ちが不安で陰る。

 このままでいいのか、それとも――。


「どうしましょう……」


 ミサは独りごちると立ち上がる。他人の家に我が物顔でじっとしていることが耐えられなかったからだ。

 そのまま一周、ソファーの周りを回る。調度品はどれも宝石のように輝いていて、触れることすら恐れ多い宝物に囲まれていることは心休まらない。

 磨けと言われたらどうしようかと想像していると、ふと、足が止まる。

 壁一面に備えられた小窓は殆どが遮光カーテンによって隠されている。ただひとつ、ヘルマンがいた場所だけは秘密を暴くように大きく開かれ、天上でふたつの月が飽きることのない追い遊びを続けていた。


「あっ……」


 ミサは小窓の縁に手をかける。ヘルマンがいた熱を残り香のように感じていた。

 小さく言葉をこぼしたのは外の景色が目に入ったからだった。月夜に照らされて光る白の花、銀蝶蘭が城を囲うように咲いていた。

 垣根にこぼれるほど小さな花を沢山つけている。薄く透明なガラスの先は蜂蜜よりも甘い香りで溢れていることだろう。

 ……花、好きなのかしら。

 石像のようにじっと見つめていたヘルマンを思い出す。魔王という立場がどれほどのものか図り知ることを、ミサには出来ない。しかし戦争に内政にと、心休まる時間など殆どないだろう。

 なら……。

 ミサはゆっくりと窓から離れていく。

 外では銀蝶蘭の花が夜風に舞っていた。

 


 部屋を出て二歩ほど歩いたところだった。

 沈みそうなほど柔らかな絨毯を避けて廊下の端を歩くミサに、後ろから声がかかる。


「止まれ……人間か?」


 ミサは振り返り、そして思い出す。

 ……あっ。

 声をかけて来たのは軽鎧に身を包んだ亜人種の男だった。村に来た兵士たちとよく似た格好の彼は十歩程の距離からミサを疑いの目で見ると、腰に下げた剣へ手をかけていた。

 ルーサーから部屋で待つよう言われていたことを今になって思い出す。魔王城に人間種はいないのだからミサの存在は警戒されて当然だった。

 兵士の質問に頷きながらもどうするか悩んでいると、疑念を深くした彼は鞘から刃を少しだけ見せる。


「……間者か?」


「いえ、魔王様より呼ばれたものです」


「……そんな話は聞いていないが」


 警戒が肌を刺す。

 魔王領からすれば人間種は敵の印象が強いのだから対応としては仕方の無いことだ。違うと口で言っても証明するものを持っていないミサは何かないかと全身に目を向け、下から順に身体を叩いていく。

 ……いやぁ。

 その甲斐あって見つかったのはポーチに入った聖剣の柄だ。思えば所持品はそれしかない。後の私物――といっても大したものは無いが――は全て家に置いてあった。

 柄だけとはいえ聖剣。すなわち勇者であり魔族の敵。そんなものを見せびらかせば動かぬ証拠だと嬉々として襲われるだろう。

 最悪の身分証明書から手を離す。どうしようかと悩んでいる時だった。


「――何をしている?」


「ま、魔王様!?」


 ミサの後ろから声がする。

 兵士から目を逸らし振り返れば、黒衣の彼がいた。

 ヘルマンは状況を噛み締めるように二人の顔を眺めたあと、小さく首を振る。


「こいつのことはいい。業務に戻れ」


 その言葉にはっと、短く返事をした兵士は一礼をして足早に来た道を帰していた。

 ……助かったわ。

 ミサは安堵の息をつく。同時にまた手を煩わせたことを悔やみ、視線を床に投げ捨てていた。


「ここで何をしている」


「すみません……何か出来ることがないかと」


 問われ、ミサは躊躇いがちに答える。

 ヘルマンは次の言葉を生む前にため息で心情を吐いていた。


「それを決めるのは私だ……ルーサー」


「はい、陛下」


 呼ばれ、ヘルマンの影から飛び出した若い魔人は愉快そうに頬を吊っていた。

 隠れていた訳ではなく、本当に呼ばれるその瞬間まで姿がなかった。影から生えてきたようにも見えて、ミサはかすかに驚愕の吐息を漏らしていた。


「いたなら止めろ」


「いやー、ちょっと目を離した隙にね」


 噓か真か。含み笑いだけが廊下に響く。

 ……本当に仲がいいのね。

 邪険に扱う中にも気安さを見てミサは微笑む。

 ……って、そんなこと思っている場合じゃないでしょ。


「あ、あの!」


「……どうした」


 突然大声を上げるミサに、ヘルマンは表情を硬くしていた。

 外向きの顔。そんな印象を与える顔にも臆さずミサは言葉を続ける。


「お庭を、お庭の一角を貸していただけないでしょうか。庭師の方の邪魔にはならないようにしますので」


 あれほど丁寧に手入れされた庭だ。専属の庭師の一人や二人いてもおかしくはない。

 ミサの懇請に、ヘルマンはゆっくりと瞼を閉じて背中を向ける。

 ……ん。

 駄目だった。そう判断したミサへ、ヘルマンは去り際に言葉を置いていく。


「……好きにしろ。他に入り用なものがあればエンオウに言え。が、今日のところはもう遅い。ルーサー、部屋に案内しておけ」


 了解というルーサーの声を待たずにヘルマンは足音ひとつ立てず闇の中へと消えていた。

 ……よかった。

 許可されたことへミサは顔をほころばせる。微力にもならない可能性は否定できないが、村を、自分を救ってくれた恩人に何かを返すことが出来るとしたらそれしかなかった。


「何するの?」


 興味本位でルーサーが尋ねる。


「いくつか栽培するだけですよ」


 ミサはそう言って笑顔を振りまいていた。




 夜。

 本来客間として使われている部屋に通されたミサは、用意された寝間着に身を包んでベッドの中にいた。

 ……眠れないわ。

 雲の中はこんな感じなのだろうかと、暖かく柔らかい寝具の中で考える。

 全てが上等すぎた。羽毛布団も、シーツも、肌を撫でる寝間着も。

 姫にでもなった気分だ。姫という年齢でもないけれど。

 自嘲気味に笑い、ミサは布団から飛び起きる。疲れてはいるが、それがかえって目を冴えさせていた。

 夜風にでもあたろうと窓に近づく。素足は柔らかなカーペットに足跡を残していた。


「あっ……」


 窓に近づき、目に入ったのは愛用のくたびれたポーチだった。

 晴れの日に使う、ほんの少しの化粧道具を入れていたもの。それは前の夫が結婚してすぐにくれた贈り物だった。


「……女々しいわね」


 言葉にして、頷く。綿のポーチを撫でると、中にある硬いものが指を押し返す。


『……殺せ』


 脳内へ突如響いた声にミサははっと目を開く。

 忘れていた。聖剣は話すのだ。

 話すとはいえ一方的だ。そのほとんどは殺せとしか言わない。ノイローゼになりそうなほど単調で憂鬱になる。


「あなた、そんなこと言っても無駄ですよ?」


『……ろせ。憎かろう、憎かろう』


 ミサが声を投げかけると、聖剣は言葉を変えてきた。

 ……声が届いているのかしら?

 意志が疎通できるならと、ミサは鼻で笑う。


「憎いって、魔王様のことですか? 私の村はあなた達勇者に焼かれたのです、それで魔王様を憎むというのはお門違いじゃないだと思うけれど」


 どういう基準で勇者が選ばれるのかは分からないが、少なくとも魔王領にいる人種から選ぶならそれは間違っているとしか言いようがない。立場が悪いとはいえ生活することを禁じられてはいなく、いつだって侵略を企てているのは人間領だ。


『……魔王がいなければ、村は焼かれなかった』


「勇者がいなければ。どっちもどっちですよ。それよりもあなたはどうしたいの?」


『……どうしたい?』


 聖剣は疑問を浮かべて黙る。

 可哀想にとミサはポーチから柄を取り出すと、慈しむように撫でる。


「だって魔族を殺すのは女神ミハエル様の目標でしょう。あなた個人は何がしたいとかはないのかしら?」


『……我は女神の生み出し物。魔族を殺す為の道具でしかない』


「だめですよ、何も考えずに親の言うことを聞くだけでは。あなたはあなたで今生きているのですから、人生を謳歌する権利があるのです」


『……』


 聖剣はそれ以上語ることを止めていた。

 ……ミハエル様。

 魔王領で女神を信仰することは禁じられていない。そもそも勇者が女神に選ばれているということ自体を知っているものがいないからだ。女神と言えば月を思い出す、魔王領ではその程度の認識しかなかった。

 彼女が何故魔族を、魔王を毛嫌いするのか。それは分からない。ただそのためだけに聖剣を生み出し、人を操るような真似をミサの心は否定していた。

 ……願わくば、聖剣の彼にも良い一生を。

 ミサは柄を大事にしまい、手を合わせる。願いは誰かに届くことなく夜空へと消えていった。

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