第7話 境界線(お題:坂道)

 雨が降っていてもロードサイドダイナーに立ち寄るのはルーカスくらいのものだった。ココがいるようになってからも変わらない。

「いらっしゃい。わかってると思うけどこの人、寝てるわよ」

「ああ」短くこたえたルーカスは、傘を差し出す。黒に近い紫色のシンプルな傘だ。

「それ! この前言ってたお土産ね!」

 ココはカウンターから飛び出す。おてんばだな、と首だけの男が起きていれば笑っただろう。

「そう、お土産だよ。せっかくだしこのまま少し外を歩いてみないか」

 嬉しい、ありがとうと弾む声色でエプロンを首から外す。受け取った傘を手に先んじてドアに手をかけたココは、果たして自分が今まで店から出たことはあっただろうかと疑問を抱いた。

 ドアを開けると、雨が軽い音をたてている。風で糸が揺らいでしまう、そんな軽い雨だった。だから互いに傘をさした距離でも会話は十分にできる。

「ルーカスはどうして雨の日でも来てくれるの?」

 少しだけ後ろを歩く彼を振り返った。森を分断するようにのびる道路に車の気配はないが、それでも二人は道路端に並んでいた。

「彼に会う罪悪感を減らすため、かな」

 ココは立ち止まる。ルーカスもまた同じく。視線だけで、どういう意味かと問われた彼は「どうして彼が雨の日にああなるのか知ってる?」と尋ねかえした。

「いいえ、あなたは知ってるの?」

「なんとなく理由を察してるだけで確信があるわけじゃない」

 視線を下げて一歩踏み出したルーカスにつられるように、ココもまた歩きはじめる。

「彼は、雨の日に死んだんだよ」

 風が吹いて、二人の左側に雨が降りかかった。傘の柄を握るココの指は力を込めすぎているせいか白い。先を歩く彼女の足が速くなる。

 あなたが死なせたの。

 細く消えそうな声でも相手に届くくらい、今日の雨は軽かった。

「まさか。俺はずっと探してた。バラバラになった彼を。大勢で、森中歩き回って」

 また二人は向かい合う。ココはなんとなくルーカスが泣いているような気がして振り向いたが、泣いてはいなかった。

「でもどうしても首だけが見つからなかった」

 歩き出したルーカスはココを追い抜いて進んでいく。自然と後を追うようにココの足は動いた。彼女がついてきていることを確かめようともせず、彼は語りつづける。

 しかたがないなんて言いたくないけど、どうしようもなくて首以外で埋葬するしかなかった。それでも俺は諦められなかった。探して探して。ダイナーのカウンターにいるなんて誰が思う? しかもしゃべってる。まるで生きてるみたいに。見つけたときは夢かと思った。それもひどく悪い夢。でも夢じゃなかった。彼はいた。全部忘れてたけど。また話せる日がくるなんて思ってもみなくて、嬉しくて、今日までずっと彼の家族に知らせないままだ。しゃべって生きているように見えるまま墓に入れるなんてできない。何かがきっかけになって全部思い出したら、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。でも俺だけが会って、話をしているなんて、どう考えてもずるいことで。彼の、彼の家族こそ、彼に会うべきなのに。

「だから、話せない日に会うんだ」

 気づかないうちにずいぶん歩いたようで、ロードサイドダイナーの明かりが見えなくなっていた。緩やかな坂にさしかかって始まった話は、一番高いところに着くと同時に終わった。

「どうしてその話を私に?」

「俺は君も同じじゃないかと思ってる」

「あなた、と?」

 ココの目が僅かに大きくなる。

「いいや。彼と。ココ、君もこの森で死んだんじゃないのか。そしてまだ見つけてもらっていない」

 浮かぶ驚きの表情は、何に対してなのかルーカスにはわからない。自分が死んでいるかもしれないことへの驚きか、それとも自覚があって彼に言い当てられたことに対してなのか。

「もし俺の考えが正しければ、君はこの坂を越えられないはずなんだ。一度、雨の日に首を持ち出したことがある。やっぱり返さなきゃと思ってね。そしたら車がこの坂を越えたとたん、彼はパッと消えてしまった」

 じり、と後ずさるココの足元は乾いている。坂の向こうへ追いやるようにルーカスが立っていて、ココの逃げ場はなさそうに思えた。

「あ」

 前触れなく大きく一歩踏み込んできた体を避けようと、バランスを崩したココは後ろに足を引いた。

「やっぱりそうだった」

 シンプルな、黒に近い紫色の傘が道路に転がった。雨はもうほとんどあがっていた。

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