第6話 外の様子
「では、早速、ここから出る算段をするか」
そう告げる“伝道師”に、リュドミラは別の事を要望した。
「いえ、その前に、外の様子を出来るだけ詳しく教えてください」
本当に、“伝道師”が言うように何時でも脱獄が出来るなら、可能な限り情勢を知った上で、予めある程度の計画を立てた上で脱獄するべきだ。と、そう考えたのである。
“伝道師”にも異存はないようで、彼女は直ぐに話し始めた。
「いいだろう。
ご令嬢殿にもある程度は想像がつくだろうが、この街は今、酷く緊張が高まっている。いや、実際にはこの街だけではなく国全体が、だろうな。
正に事態は一触即発といった有様だ。王国最大の貴族が、まともな詮議もなく突然殺されたのだから当然だろうが。
まず、リシュコフ公爵処刑後に国王は、事情を説明するとして王都に在住していた全ての貴族を招集した。だが、まともにそれに参じた貴族は多くはなかった。
登城を拒んだ者も少なくなかったし、何らかの理由をつけて親族などを名代として送った者も多かったそうだ。まあ、王に呼ばれて登城した貴族がいきなり殺されたのだ、そんな事になるのも無理はないだろう。
その上、その説明の場もかなり荒れたそうだ。そんな話が巷にも漏れ聞こえている。何でも、真っ向から王を批判した貴族が何人かいたのだそうだ。
ところが、今のところ国王は、そのような反抗的な貴族に何ら罰を与えていない。
もちろん、罰しない理由が慈悲深さや寛容さのわけがない。リシュコフ公爵家への行いを見ればそれは明らかだ。
恐らく、今の状況でいずれかの貴族を罰しようとすれば、それをきっかけに大規模な蜂起が起こる可能性が考えられるのだろう。そして、それに対処できる保証はない。だからこそ、国王は動けないのだ。
要するに、ちょっとした事をきっかけに、反乱が起こり国がばらばらになるかも知れない状況と考えていい。この国は今、それほど緊迫しているということだ」
「……」
リュドミラは言葉もなく沈黙した。
“伝道師”が語る現状は、リュドミラが想像したものとは違っていた。
もちろん、王国最大の貴族が突然殺されたのだから波風が立たないはずはない。しかし、そこまで切迫した状況になるとも思っていなかった。
普通なら、そうならないように下準備を行ったうえで、事を起こすものだ。或いは何か手違いがあったのか?
リュドミラが戸惑う間にも“伝道師”は言葉を続ける。
「次は、リシュコフ公爵領の話をしようか?」
「ッ! 分かる事があるならば、是非お願いします」
リュドミラは意気込んで直ぐにそう返した。王都の状況よりも国許の方が気になった。当然ながら国許には知り合いが大勢いるからだ。その中には、家族以外では最も心を寄せる相手もいる。
「分かった。まず、結論から言えば、公爵領はまだ軍事的に制圧はされていない。
一応、比較的少数の近衛騎士が派遣されて、公爵家の領内に駐留しているそうだから、反国王の決起はなされていないという事だ。だが、どうやら武装解除などもされていないのだそうだ。要は、膠着状態という事だろう。
恐らく、王都が今言ったような状況だから、国王も力づくで制圧するだけの兵を送ることができないのだ。
それでも公爵家の家臣や、公爵家に連なる貴族達が決起していないのは、恐らくご令嬢殿が事実上の人質になっているからだろうな」
リュドミラは思わず大きく目を見開いた。彼女は今度こそ驚いていた。
リシュコフ公爵家の当主と家族を殺しておきながら、その領土を確実に制圧する事も出来ていない。ありえない準備不足といえるだろう。
リュドミラは、まさかと思いつつ“伝道師”に問うた。
「インクレア侯爵と、オルゴロード辺境伯がどのように対応しているか分かりますか?」
インクレア侯爵と、オルゴロード辺境伯というのは、オルシアル王国においてリシュコフ公爵家に次ぐ勢力を持つ貴族だ。
リシュコフ公爵家を滅ぼすなら、その後の情勢を安定させるためには、この両家の協力を取り付けるべきだ。少なくとも、どちらか一家は味方に引き入れておくのが必須ともいえるだろう。
「インクレア侯爵は、王の招集に対して嫡男を登城させた。本人は心労により動けないので嫡男を名代にしたという事だそうだ。
そして、嫡男は王の考えを支持するとその場で告げた。だが、インクレア侯爵家としての正式な返答は、帰って父と諮ってから行うとも述べたらしい。
そして、その後未だに正式な返答はしていないのだそうだ」
「そんな事まで、分かっているのですか」
リュドミラはまずその点が気になった。
「ああ、街ではそんな話が盛んに流れているぞ」
「……」
それは不自然な状況だった。大貴族が王の前でどのような対応をしたのか、そんな情報が簡単に街中に流れるはずがない。恐らく、インクレア侯爵家が意図的にそんな話を流しているのだ。リュドミラはそう思った。
そしてその理由は、実際に反乱が起こり、王が倒される可能性を考慮しているからだろう。
王の意志に賛同したのはあくまでも嫡男個人の意思に過ぎず、侯爵本人は王に反対だった。
だからこそ、“心労”で倒れた。そして、そんな状況故に侯爵家としての公式な意思表示が直ぐには出来なかった。という事にすれば、仮に反乱が起こって王が倒された場合でも、反乱者に対して名分は立ち、侯爵家の命脈は保てる。
その為に、予め市井に情報を流してそのような認識を広めておこうというのだろう。
だが、絶対に王が倒されると確信しているわけでもない。嫡男が王に対して賛意を示したのがその証拠だ。
反乱などが起きず、或いは起こっても王が勝ったなら、王に賛意を示さなかった責任を負って侯爵が隠居して、最初から王に賛同していた嫡男が侯爵家を継ぐ。そうすれば、王がインクレア侯爵家を潰す理由はなくなる。
要するに、インクレア侯爵の対応は、どちらに転んでも家名を残せるようにするためのものと思える。だが、同時に非常に受け身な消極的な対応ともいえるだろう。
そのような対応を取るという事は、インクレア侯爵はまず間違いなく今回の変事を事前に知ってはいなかったのだ。
「オルゴロード辺境伯はどうなのですか?」
リュドミラは更にそう聞いた。
「辺境伯は領地から出てくる様子はないようだ」
オルゴロード辺境伯は、リシュコフ公爵が捕らえられた当時王都にはおらず、自身の領土にいた。辺境伯はそのまま何の動きも見せていないらしい。
この行動もまた、事前情報を持っていなかった証拠のように思われる。
(これは、まず間違いない。ゲオルギイは、綿密で大掛かりな計画など用意していなかったのだ。そんな準備なしに行動した)
リュドミラはそう結論を出した。
リシュコフ公爵家が、自家を滅ぼさんとする計画に気付かなかった理由は、そもそも十分な計画が準備されていなかったからだったのだ、と。
もちろん、王やその側近たちの中では計画はあったのだろう。だが、それは十分に具体化されていなかった。それなのに、偶然ロシエル・リシュコフ公爵当人と嫡男ヴァレリーを同時に捕縛する機会が生じたので、決行してしまったのだろう。
それは、リュドミラにはとんでもない愚行のように思われた。
(私たちは、王が優れていたから出し抜かれたのではない。逆に王が想定以上に愚かだったから、その動きが読めなかったのだ)
リュドミラはそう考えた。だが、直ぐに思い直す。
(いや、愚考だったか英断だったか。それは、最後の結果が出るまで分からない。
実際、今の王国は一側即発とはいえ、実際に反乱が起こったわけではないというのだから。そして、リシュコフ公爵家を滅ぼすという当面の目的は達している。
このまま、何事も起こらず王権を伸張させることが出来たなら、王の勝ちだ)
そう考え直したリュドミラだったが、気持ちが昂るのを押さえる事が出来なかった。
未だに決定的な破綻は起こっていない。しかし、十分な準備なしに事を起こした結果、何時大規模な反乱が起こってもおかしくないほど状況が緊迫している。それが事実なら、国王を討つ目も相応にあるということだ。
(そのような状況なら、私にも流れを変えられる)
リュドミラはそうとも思っていた。
少し前まで絶望的と思えていた家族の復仇と家名の復権は、今や実現の可能性も十分にあり得る目標だった。もしも、この牢から出て自由に動けるようになるならば。
「私をここから出してください。出来るだけ早く」
リュドミラは強い意志を込めてそう告げた。
「よし、任せておけ」
“伝道師”は軽く答えた。
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