第3話 蔑まれるのがお好きですよね?
正直、猫ちゃんを飼えるのは非常に魅力的な提案だ。猫ちゃんのためなら結婚しようかな……と思うほどには。
なぜなら、この国ではペットという概念がない。家畜という概念はあるのにだ。
だから、子どもの頃に猫ちゃんを飼えなかった。代わりにぬいぐるみの黒豆を抱っこして過ごした。
それなのに、猫ちゃんを飼える。しかも、既にシュナイパーが買っているという。
「シュナイパー様は私に蔑まれるのがお好きですよね?」
「そうだな」
迷うことなく頷くシュナイパーは潔い。だが、非常に嫌だ。
「私は別に蔑むのも、虐げるのも、好きではありません」
「そうだな」
ん? そうだな? 気が付いていたの? じゃあ、どうして今まで──。
「シュナイパー様ぁ!!」
私の疑問をどこかへ吹っ飛ばす勢いの甘ったるい声がシュナイパーを呼んだ。そして、その声の主はこちらに駆けてくる。
「シュナイパー様ぁ、今日はお勉強を見てくださるって約束してくれたじゃないですかぁ……」
ぷっくりと頬を膨らませて、シュナイパーの腕に巻き付く
「リリ、シュナイパー様のこと探したんですよぉ」
唖然としてしまう私を他所に、シュナイパーはいつも通り……ではなかった。
あの目、既視感があるんだけど。
「約束なんかしていないから、離れてくれ。今日は愛しい婚約者が入学してくる大事な日なんだ。カトロフ嬢に割く時間は微塵もない」
「もう、シュナイパー様ぁ。リリって呼んでくださいって言ってるじゃないですかぁ」
「私があなたをそのように呼ぶことは生涯ない。それと、私のことはリンドルフ第一王子と呼ぶように」
シュナイパーが冷たい。
あの、シュナイパーが……。
「エリザベート、行こう」
リリと名乗る女生徒を腕からひっぺがそうとしているシュナイパーを呆然と見ていれば、彼女と視線が交わった。
「あ、あぁ……怖い。怖いわ、シュナイパー様ぁ」
私を見て大げさに震える彼女。もちろん、私は何もしていない。
これは、どういうこと?
私が困惑している間に、シュナイパーは絡まれた腕を外すことに成功した。怪我をさせないように距離を取るのに苦戦したようで、どこか疲れている。
そんなシュナイパーの様子に気が付くことなく、私の記憶ではヒロインと思わしき見た目の令嬢が一人芝居を繰り広げている。
こんなのは、私の知っているヒロインじゃない。つまり、このヒロインもまた──。
「私にはあなたが怖いよ、カトロフ嬢。とにかく、私たちには関わらないでくれ」
「ちょっ……シュナイパー様!?」
シュナイパーがパチンと指をならすと、どこからともなく護衛が来てヒロインを取り押さえた。
「え、嘘でしょ!? シュナイパー様はその女に騙されてるのよ。許さないんだから、このビッチ!!」
ビビビビビッチ!? なんてこと! なんてことを言うの、あのヒロインもどきは!!
目を見開いて彼女を見ていれば、シュナイパーは隣で首を傾げた。
「彼女は時々よく分からない言葉を発するんだ。それに、妄言もひどい。エリザベート、彼女は何をしでかすのか分からないから、近付かないようにして欲しい」
心から関わりたくない私はら大きく頷いた。
「彼女の名前は、何とおっしゃるのですか?」
「リリス・カトロフ子爵令嬢だ」
「カトロフ子爵といえば、堅実な領地経営をされる方ですよね」
「そうだ。それなのに、娘があの調子じゃ子爵の苦労が目に浮かぶようだ」
確かに、と素直に思う。それと同時に黒豆を的にした糞ガキではなくなり、大人になったな……と感じる。
「……シュナイパー様は、約束を守ってくださっているのですね」
「ん?」
「出会った時にした約束です」
昔、私がぶちギレた時にした約束。
他者や、他者の物を傷付けたり、壊したり、余程のことがない限りしない。
そんな当たり前のことを彼は知らなかったのだ。
もちろん、相手が自身を害そうとしている場合は、余程のことだから例外だと伝えてはあるが。
「エリザベートに出会う前の私は、何をしても許されると勘違いをしていた」
シュナイパーは、気まずそうに言う。
もうあの頃のことは流石に許そう。
「あなたに出会えたから、私は多くの気付きを得られた。私の心がこんなにも揺れ動くのは、エリザベート……あなただけなんだ」
シュナイパー様、なぜこんなにいい雰囲気を作り出したの? 正直、その技術に困惑してるよ。
「そうなんですね。ところで、猫ちゃんのお名前は何と言うんですか?」
「ネモだよ。瞳が青いから、ネモフィラから名前を貰ったんだ。ネモの瞳を見るとエリザベートをいつも思い出すよ」
な、何で再び甘い雰囲気に!? 話の反らし方がわざとらしかったのは認めるけど、軌道修正早すぎないかな!?
「困っているエリザベートは可愛いけれど、嫌われたくないからこのくらいにしておこうかな」
クスクスと余裕のある笑みを浮かべるシュナイパーを睨み付ければ、もっと楽しそうに笑われたのだった。
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