第8話 魔術師アクィラ
夜の殺戮者が村を歩きながら、ずっと何かを叫んでいた。それがなんなのか、今わかった。
(コルヌを呼んでいる?)
いったい、あの化け物がなぜ、コルヌを呼ぶのか?
そのコルヌは娼館のコルヌなのか?
それとも、別のコルヌか?
——コルヌ……コルヌ……。
竜だ。ここで自らの命を糧に時の止まる呪いをかけた竜が、村を徘徊するモノの正体だ。生物としての存在はすでにない。影となって、さまよっている。
「ドラコレクス!」
ケルウスはそれに対して呼ばわった。が、影はまったく解していない。寒天のような巨体をふるわせているだけだ。
(ダメだ。もう理性は残っていない)
しかし、影が泣くと、土の上に崩れおちた死人たちが、ふたたび灰のなかから形をとった。これではキリがない。
「アクィラ。急げ。まだか?」
アクィラは地面に片手をつけ、口のなかでブツブツ唱えている。あんな暗い思念の流れたあとに、よくふれられるものだ。幻視者のケルウスがすれば、きっと気絶してしまう。
アクィラのふれた地面から、悪しき力がゾワゾワと虫のように、彼の体を這いあがっていく。なみの者なら、それにとりこまれ、自身の意識を保てなくなる。が、アクィラはそれを飲みこんでいた。自らの内にため、その体がひとまわりも、ふたまわりも大きくなったように見える。
とは言え、ケルウスはアクィラのようすにだけ集中してはいられない。死人は立て続けに襲ってくる。むこうはこっちの倍の速度で動く上に、数はほぼ無限だ。
——コルヌ……コル……ど、こ、だ……?
ドラコレクスの影は泣いている。血の涙だ。今はもう影にしかすぎないが、その涙にふれると、大地は酸をあびたように腐った。
おそらく、この影は夜になると力を増し、村までおりていくのだろう。
今はケルウスもアクィラも見えてはいないようだ。血の涙を流して、ただ嘆く。
体じゅう、あちこちをかまれながらも、なんとか、輪になって迫る死人を、アクィラから遠ざける。灰のかたまりが崩れては再構築される。その合間に痛み。猛獣の群れのなかでダンスを踊っている。
全身が蜂に刺されたような痛みでチクチクし、しまいには燃えあがる熱を感じる。意識が遠のく。もうじき、ぶっ倒れるだろう。
守りの手がおろそかになり、一体の死人がアクィラの足をかんだ。そこから、アクィラが吸った黒い力が外にもれる。呪われし力にふれた死人は真っ黒に染まり、巨大化した。組成も灰ではなくなっているようだ。見ためにも硬質に変化している。竜のウロコ? いや、骨のような何か?
ケルウスは必死で剣をそれにつきたてた。刃が通らない。片腕でかるく、ふりはらわれてしまう。
アクィラが叫んだ。
「うおおおおおおーッ! わが神リーリウムレギーナ。わが声を聞き、偉大なる御力を示したまえ!」
その瞬間、アクィラの体は大地にもぐりこむように消えていく。地面に割れめができていた。アクィラの言っていた外界へ通じる穴だろう。
ケルウスは続こうとするものの、なげだされた体勢のまま、上から次々に死人がつみかさなってくる。両手でかきわければ崩れるが、その間にも新たな死人が覆いかぶさる。
目の前でアクィラのあけた穴はふさがれていく。とても、まにあわない。
「アクィラ! きさま、やはり、自分だけ逃げだすつもりだったな?」
アクィラの姿はもう完全に見えなくなっていた。ただ、歯ぬけの笑い声がどこかから、かすかに聞こえる。
ああ、もうダメだ。ここで死人と堕ちた神の影に、おれは食い殺される。
すまない。コルヌ。約束を守れない——
そう思ったときだ。
何者かが強くケルウスの手をひっぱった。見れば、アクィラのあけた穴から腕が一本、伸びている。アクィラの老いた手ではない。だが、どこか異様な手だ。
それは人とは思えない強い力で、死人にたかられたケルウスをズルズルとひきずる。そのまま、穴のなかへひきこんだ。灰のかたまりは穴の境界を越えると崩れる。ケルウスだけが魔術でできた空間を飛ぶように移動する。
何かの力に吐きだされるように、その空間から放りだされると、神殿のすぐそばに立っていた。兵士たちの夜営地の前だ。寒天の壁も見えなくなっていた。が、そこが境界なのだと、今ならわかる。
兵士たちはとつぜん現れたケルウスを見て、涙を流しながらむかってくる。だが、そこからさきへは出てこれない。ケルウスのすぐ間近で、見えない壁にさえぎられたように、ならんで虚空をたたく。
「出してくれ! ここから出してくれぇー!」
「どうやって出たんだ? おれも外へ——」
「助けてくれェー!」
彼らは死人ではないようだ。でも、遠からず死ぬ。幻視者にすぎないケルウスにはどうにもできない。
アクィラの姿はもうなかった。
さきほど、ケルウスを助けてくれたのが誰なのかはわからない。が、そうでなければ、ケルウスも一生、あの場所からぬけだせなかっただろう。
ケルウスは彼らに背をむけ、村へと戻る道をくだった。
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